村田沙耶香「殺人出産」で思わず殺人を肯定してしまいそうな感覚に陥る脅威
※ネタバレあり
「コンビニ人間」を読んだ時も、「地球星人」を読んだ時も、読み終えた際は、恐怖を感じ、ボロボロと涙が出てきた。村田沙耶香が描く世界が怖くなって、夜は眠れなくなった。
村田沙耶香の作品は、日頃なんとなく感じる「社会の圧力」や「違和感」をそのまま物語として体現し、ダイレクトに自分へ責めてくる。社会の体現としての登場人物たちの声が、時に自分に向けられているような感覚で、傷つけられる。主人公が自分と重なることもあり、共感しつつも、精神的にやられる。
精神的安定を鑑みれば、できれば、避けて読みたい作品なのだが、村田ワールドの中毒性は凄まじい。傷つき悩み、驚愕、絶句しながらも、どうしても読みたくなるのだ。同じように社会との関わり合いに疑問や軋轢を感じている、変わり種の主人公に共感したい欲望から来るのであろうか。
「殺人出産」なんて、もうタイトルから読んだら病んでしまいそうなオーラを放っている。舞台は、殺人出産制度で人口を保つ日本。殺人は「悪」という常識は覆され、10人産んだら、1人殺せる制度である。
「昨日の常識は、ある日、突然変化する」がテーマのこの作品では「常識とは何か」を問いかけ、「常識がもたらす危険性」示唆している・・・と言いたい。(その理由は、後述)
思えば、今から80年前の戦争真っ只中は「お国のためなら人を殺して良い」という世界が日本にもあった。東日本大震災前の教育では、「原子力は明るい日本の未来のエネルギー」と新しいエネルギーの可能性を若者たちに伝えてきた。
生まれた場所や環境によって、その土地それぞれの「倫理観」や「常識」が幼少期に植え付けられ、またその時の時代の流れに沿って、何も疑いもなく、生活している面が私たちの暮らしでも大きいのではないか。
その象徴が、殺人出産制度によって生まれ、制度を何の疑いもなく肯定している、小学生の従兄弟のミサキであり、また、作中に出てくる蝉スナックや蟻サラダ(読書モデルが美容のために食べていると人気)に現れる。
当然、私も「殺人出産制度」には反対だが、「少子高齢化が進んでいる日本にとって、『殺人出産制度』は合理的でありかなと思う!」といった「殺人出産」のレビューを見つけて驚愕した。フィクションの世界だと思っていたが、この読者は、登場人物たちによって、洗脳されてしまったのか!
確かに、読んでいると、主人公の目を通して、この本の世界にうっかり流されてしまいそうな面も帯びている。特に最後に姉と一緒に「死に人」を殺すシーンは、残酷というよりかは、殺人が美しいものとして描かれていて、「殺人は悪」という読者の常識を覆してくる。
なんて正しい世界の中に私たちは生きているのだろう。
この世界の「正しさ」が破裂したように、私へと押し寄せていた。この手の感触、血の懐かしい匂い、清潔な肉の世界に入って行き命をもぎ取るということ。誰かを殺すということがこんなにも正しいことだったなんて、私は知らなかった。
村田沙耶香「殺人出産」pp115-116
きっと村田沙耶香は、この作品によって、常識を覆る危険性を示唆していると信じたい。それとも、起こりうる、日本の未来を暗示しているのであろうか。
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