書くということについて
note初回、あくまで備忘録なので、他の人が読むことを意識した文章ではないけれど、書くという事について自分の思いやかかわりを考えてみた。
今、カンボジアでフリーマガジンのライター兼デザイナー兼編集という、なんとも欲張りなことをやらせてもらっている。媒体の特徴が、旅行で訪れたい・触れ合いたい、カンボジアのいい事やモノを紹介する、というのがテーマなので、必然的に自分の印象というよりは、客観的なとらえ方で見て文章化することを心がけている。
もちろん、それが悪いこと、というわけではないけれど、3年ちかくこういった文章を書きづつけていると、ふと、”自分の言葉とは何ぞや”という疑問がフツフツと湧いてきた。
これには、きっかけがある。今年、世界を暴風に巻き込んだコロナウィルスの影響は、確かに自分の周りにも大きく吹き荒れ、媒体の発行の延期が続き(広告主ありきのビジネス故、なんともしがたい)結果、少し余裕が生まれた。発行準備とその合間の仕事に追われ続けた2年間、ぽっかり空いた時間にうつつを抜かすわけではないけれど、普段考える時間もない業務時間にも、考え事ができる幸運!
そんな時間の中で思いふけったことは、取材先で見聞きする、フリーマガジンでは拾いきれない、何気ない話や旅とは関係ない事・人を、そのまま自分の中だけで澱のようにため込んでいるのはもったいないのでは?という思い。
だったら、まずは、書いてみよう!とPCに向かうものの、なかなか筆が進まない…
思いとはなんぞや?
自分が感動したポイントや伝えたいことは何ぞや?
目線が自分から、そして相手へと向く、その視線の繋がりがなかなか文章化できない。普段1000字2000字余裕で書いていた自分が、あら不思議と。
というわけで、短文ながら、まずは”思い”と”自分”を書くことを始めてみよう。そして、とりとめのない文章の先に、確かにある伝えたいことを見つけてみよう。
(20分)
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