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【ホラー小説】向日葵と肝試しを 4

二人の間にある冷たい手と、微かに見える向日葵の花。
“何か”がそこにいるのは間違いない。
その恐ろしい事実から目を逸らすように、蓮は前に向き直った。
吹き抜ける強い風に、旧校舎の割れた窓を覆うシートが波打つのが見える。それは、まるで自分たちを誘っているかのように感じられた。

「持ち物は決まった。入るための鍵もある。邪魔ももういない。これで決めることは全部かな? なら、いよいよ日にちを決めようか。期末の後だから……」

「ま、まだだよ。先生だけじゃない。夜中に出かけるっていうなら、うちの親だって――」

「馬鹿!」

蓮が大声で遮ると、拓真はぎょっと視線を向けてくる。けれど、すぐに「あっ」と呟いて、自分の失言に気がついたようだった。

「何? 親御さんも、肝試しの邪魔になりそうなのかな?」

「まさか。中学生にもなって、親の文句なんか真に受けるかよ。もう何度も夜の街を遊び歩いてるっての」

硬直する拓真に変わって、蓮が取り繕った。
“声”の提案する肝試しが確定するのもまずいが、その言い訳に人を使えば“声”が彼らに何をするのか。その結果は、今も背後からざわめきとして聞こえてきている。
誰かを理由にしてはいけない。何か、別のもっともらしい理由で、この肝試しを中止にする必要がある。

「そう。良かった。じゃあ、他に何か考えておかなきゃいけないことはある?」

「……」

しかし、肝心のその理由がまったく浮かばなかった。
何らかの方法で、人に危害を加えることすらできる相手なのだ。蓮が何を言っても、覆されてしまう気しかしなかった。
こういう時に頼りにしたいのが、拓真の知恵なのだが――彼は真っ青になって押し黙ってしまっている。今の失敗は、気の小さい彼にはあまりに重かった。

「ふたりとも黙っちゃって、どうしたの? もう決めることないってことでいいのかな?」

「い、いや。まだ、ある!」

「へえ。なになに?」

「それは……」

呟きながら、必死で蓮は考えた。
せめて期間を短くするよう頼むか。いや、それこそ山下にしたような“事故”を当日起こさないとも限らない。
思考が恐怖と寒さでどろどろに濁っていく。

「そ、そうだな……宿題とか」

「宿題? 気になるなら持ってきたらいいじゃない」

「そうか……じゃあ、テレビだ。俺、毎晩、夜はテレビを見てるんだ。音楽番組だったり、アニメだったり。それを見逃したくない」

「ポケットに入っている“すまほ”って言うので見れるんじゃないの? 授業中、こっそり見てる人たちを見たことがあるよ」

「あ、いや、俺の機種じゃ見れなくて」

「よくわからないけど、なら見てた子からボクが借りて――」

「いや! やっぱりテレビはいい。帰ってから見る……」

「そう、良かった」

嬉しそうな“声”とは裏腹に、蓮は震えを隠せなかった。
何を言っても、この存在には通じない。覆されてしまう。あたかも、普段自分たちが教師や親に使ってきた口先だけの屁理屈が、今になって跳ね返ってきているかのようだった。
その後も、なんとか中止にできないかと理由を捻り出してみたものの、結果は同じだった。
そして、遂に頭の中から言葉が尽きてしまう。

「…………」

「ふふ、もう気がかりなことはないみたいだね。まるで時間稼ぎみたいだったけど……でも、しっかりした計画を立てるには、細かいことも潰していかないとね」

――だって、もしかしたら、永遠に肝試しを続けることになるかもしれないんだから。

すぐ耳元でした“声”に、蓮はもはや悲鳴を上げることすら出来なかった。
喉を通る空気は掠れるばかり。そもそも、言葉の消えた頭では、なんと発声したらいいかすらわからなかった。

「じゃあ、議論も尽くしたところで、そろそろ日時を決めようか。できるだけ早くがいいよね」

笑いを押し殺したように“声”が言って――

「待って」

少年の声が響く。
蓮がはっと顔を向けると、先程とは打って変わって、拓真がしっかりと蓮の目を見据えていた。

「時間稼ぎ……時間。それだよ」

「え?」

蓮には拓真の言葉の意味がわからなかった。けれど、どういうわけか、彼の顔色は幾分良くなったように見える。
蓮は考えを訪ねようかと思ったが、しかし、それを苛立たしそうな“声”が遮った。

「拓真くんも何かあるの? いくら引き伸ばしたって、日程を決めなきゃ計画を立てる作業は終わらないよ?」

「いや、そういうことじゃなくて。時間って聞いて思い出したんだ」

言いながら、拓真は蓮に何度も頷いて見せる。どうやら、自分に任せろということらしい。
もとより万策尽きていた蓮には、彼を信じる以外できることがない。祈るような気持ちで、頷き返すしかなかった。

「確か、肝試しの時間って夜遅くってことに決まったよね? それって、時間的に大丈夫なのかなあって思ったんだ」

「はあ? さっき親は大丈夫ってことになったよね? それとも、やっぱり問題だって言うなら――」

「親じゃなくてさ、警察だよ警察」

「警察?」

“声”が不機嫌そうに聞き返してくる。
拓真は緊張しているのか、膝の上に置いた握りこぶしが赤くなっていた。

「僕たちが夜に遊び歩いてるってのは、さっき言ったよね?」

「言っていたね。でもそれが?」

「そういうときは、大体ゲームセンターでさ。蓮ってば、こんなバリバリのスポーツ系の見た目のくせに、美少女のアーケードゲームに夢中なんだよ。かくいう僕は――」

「ねえ、計画にどんどん関係なくなっているよ。計画の話をしているんだから、それ以外を喋ったらいけないんだよ?」

「わ、分かってるよ」

肩に置かれた手の力が増す。
拓真は一瞬たじろいだものの、気を取り直すように話を再開した。

「それで、この間もゲーセンで遊んでたんだけど。運が悪いことに、見回りの警察官が来てさ。まだ日が沈むかどうかって頃だったから、補導まではいかなかったけど……名前と学校聞かれちゃって。それに蓮は、僕を連れ回してる不良に間違われて、色々大変だったんだよ」

「確かにそんなことあったけど、今そんな話しなくても……」

嫌な記憶を掘り返され、思わず口を出してしまう。けれど、拓真は大きく首を横に振った。

「いいや、ここからが重要さ。その後、誤解を解いてすぐ開放されたんだけど……僕、警察官の近くにいたから、小声でやり取りしてるの聞こえちゃったんだ。『この子脅迫されているかも』とか、『マークしとくか』とか、そんなこと言ってた。つまり、僕たちは夜中に一緒に出歩いてると、今度こそ補導される可能性があるかもしれないんだ」

まるで選挙演説でもするかのように、拓真は固まった身体を精一杯揺らして力説する。

「そうなったらまずいよね。受験に支障も出ちゃうし、学生としてまずいよ。肝試しはやっぱりやめた方がいいんじゃないかなあ」

そう言い切った拓真は、やりきったような顔をしていたが――蓮はすぐに顔をしかめる。
これが彼の思いついた秘策だったのだろうか。確かに、普通の友達相手になら、これくらいで誘いを断ることができるかもしれない。
けれど、今話している相手は、そういう存在ではなかった。それはさっきまでのことで拓真もわかっているはずだ。

「ふうん。分かった。じゃあその時いた警察官の名前を教えて。ボクがそれは誤解だったって直接説明してきてあげるよ」

「そ、それは嬉しいけど、うーん。なんて名前だったかな。名字は佐々木さんだったか、鈴木さんだったか……名前の方はさっぱりわからないなあ」

「もういい。じゃあ、当日もし補導されそうになったら、その時に“対処”してあげるよ」

案の定、こうなってしまう。
これでは肝試しの中止を納得させられない。計画が決まってしまったら、その時点で終わりなのだ。今、身体の自由が効かないように、自分たちの意思とは無関係に、旧校舎へ向かわざるを得なくなるだろう。
けれど、拓真は「なるほど、それなら大丈夫そうだ」と頷いていた。
なにが大丈夫なのか。単なる時間稼ぎにしたって、これ以上はそろそろ昼休みが――
そこまで考え、蓮ははっとした。

「そうか、時間か」

「蓮くんまで何? もういいでしょ、時間って言うなら、そろそろ肝試しの日時を決めるよ。肝試しの開催日は、期末後すぐの――」

「違う。“もう時間”ってことだ」

“声”は何か疑問を発しようとしたようだが――それはすぐさま掻き消された。

――キーンコンカンコーン。キーンコンカンコーン。

校舎から聞こえて来る、大きなチャイムの音。
それは、昼休みの終わりを知らせる予鈴だった。

「予鈴鳴っちゃったね。次は体育だよ、着替えなきゃいけないから、急がなきゃ」

「ああ、急ごう」

蓮は拓真と頷き合う。しかし、すぐさま“声”が反論した。

「何言ってるの? まだ肝試しの計画は決まってないよ?」

「でも、今の音聞いたでしょ? 時間なんだよ。僕たちは学生だから、授業に遅れないように戻らないといけない」

そう言うと、拓真はベンチから立ち上がった。
身体が動くのだ。
蓮も足に力を込めてみると、なんの抵抗もなく立ち上がることができた。

「じゃあ、放課後だ。計画は立てるまで終わらないんだから、放課後決めよう」

「いや、昼休みが終わったら、話は終わりだよ」

「なんで、そんなの納得しないぞ」

「いいや。俺は、この昼休みの時間を使って肝試しの計画を立てようって最初に言ったんだ。だから、今日の昼休みの間に決まらなかったら、それで終わり。つまり計画は白紙なんだよ」

「……」

突きつけるように言っていると、すうっと、左肩を掴む感触がさらに冷えていくのがわかった。
調子に乗りかけていた蓮だったが、その瞬間に忘れていた怖気を取り戻す。

「ほ、ほら。急ごうぜ」

「うん!」

二人は一目散に駆け出した。
背筋に強い視線を感じたが、“声”が追ってくる様子はない。
二人も決して振り返りはしなかった。ただ前だけを見て、校舎の入り口に滑り込む。

「っは。助かった!」

廊下を行き交う生徒を見て、ようやく解放されたという実感が湧き上がってくる。
そのまま下駄箱に手を付き、蓮は荒い呼吸を繰り返した。ほんの数十歩走っただけだというのに、心臓が跳ねるように脈打っていた。拓真も同じようで、隣で両手をついて倒れ込んでいる。

「お前ら、なに土足で上がっとるんだ!」

と、そこに野太い声が飛んできて、二人は驚いて振り返った。
昇降口の外に、見覚えのある大男が立っていた。

「熊セン!」

それはいるはずのない教師、山下だった。

「た、確か死んだはずじゃ……」

「いや、死にはしてなかったでしょ。でも、熊セン……階段から落ちて、病院送りになったはずじゃ……」

その巨体を眺めてみるが、どこにも怪我をしている様子はなく、ちゃんと自分の足で立っている。とても階段から転げ落ちた人間には見えなかった。

「幻覚だったのか?」

「騒ぎ声だけだったから、幻聴だよ。たぶん」

そんな二人の様子に、眉間に皺を寄せて山下は唸り始める。

「何言っとるんだ。馬鹿言ってないでさっさと靴を脱がんか! というかお前たち、次俺の体育だろう! 体育着にも着替えてないじゃないか!」

「す、すんません!」

飛び上がるように靴を脱ぐ。

「ごめんなさい、すぐ着替えてきます!」

「予鈴はもう鳴ってるんだからな! 本鈴に遅れたら欠席だからな!」

二人は状況を確認する間もなく、追い立てられるように再び走り出すのだった。



「まったく。人を死んだとか、病院送りだとか、失礼なこと言いおって……」

唸るように息を吐きながら、山下はグラウンドに向けて歩き出した。
今日はやけに寒い。朝はそれほどではなかったが、雲が厚くなり始めてから急激に寒くなった。
大方あの二人、体育着は寒いからと、着替えずに体育を受ける気だったに違いない。
そう思いながら肩を怒らせていると、ふと、視界の端に妙なものが映った。

「……向日葵?」

校舎の前にある花壇。そこに、一輪の向日葵が咲いていた。
授業で度々グラウンドに出ている山下は、誰よりもその場所を目にしている。確かに、夏には向日葵が咲き誇っていたが、冷え込んできた先週辺りには、すべて枯れ落ちてしまっていたはずだ。
それが、こんな向日葵――まるで、さっきまで温室にあったかのごとく、青々としたものが一本だけ残っていれば、絶対に印象に残っているはずだ。
しかし、山下の最近の記憶に、この向日葵は存在しない。

「記憶違いか?」

なんにしても、花一本。違和感があろうが、大したことではない。
そう思ってグラウンドの方に向き直ると、今度は旧校舎が見えた。その一角を覆うブルーシートが大きくはためく様子に、重い息をつく。

「あっちは無視できんなあ」

それはある事故で割れてしまった窓を隠すための応急処置だったが、施工が不十分だったのか、今にも飛ばされてしまいそうに見える。
万が一、生徒に当りでもしたら問題になりかねない。だというのに、妙な権利関係のせいで、業者による補修の目処も立っていなかった。

「仕方ない。今度、直しに行くか」

ついでに、中からも窓を塞いで、しっかり補強を――

――くすくす。

そう考えたところで、耳元で妙な音がした。まるで、少年の笑い声のような、風の音だった。
山下は妙な寒気を感じ、ゆっくりと振り返る。しかし、そこには誰もいない。
ただ、あの向日葵が、寒々しい花壇で静かに揺れているだけだった。

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