見出し画像

越えられた実感

高校一年生の息子がいる。
我が家はひとり親家庭で、息子とはもう12年ほど常にマンツーマンディフェンスだ。
4月に高校生になったと思ったら、今回のコロナの影響で即休校。
本人曰く「慣らし保育にもなりゃしねぇ」状態らしい。

この春休みに、彼にPCをプレゼントした。それなりに高い買い物なので、多少躊躇したが、今となっては大正解だったと思う。

エクセルでお小遣いの管理をしたり学校の課題である読書感想文をワードで書いてみたり。合間に自分で見つけてきたタイピング練習ソフトでトレーニングして、ブラインドタッチも習得したらしい。休校期間もまだまだ延長の予感がするので、今後は一緒にオンライン講座にも挑戦してみようと思っている。

その彼に「note書いてみたら?」と勧めてみた。
初めは乗り気ではなかったが、どうやら書き始めたらしい。この機会にGmailアドレスも取得した。せっかくの思いがけない休暇。新しいことに挑戦するのも悪くはないだろう。

昨夜、ふと気になって彼のnoteのページを開いてみた。
1件、投稿してあった。
読んでみた。
……驚いた。

内容に関しては、私自身全く興味のない分野だったのだが、文章の構成が普通に上手いと思った。

「なんだこれ、完全に越えられてんじゃん」

2年前に身長を抜かされて以来、久々に感じた「越えられた」感。
私は基本、日記みたいな文章しか書けない。思いつくままダラダラ書くだけ。
彼は違った。
それなりに構成ができている。
彼の文章を読んだ後、自分のnoteを読んでみた。どっちが子どもが書いた文章か分からない。

くそぅ。悔しい。

ただし、その感想を彼にフィードバックすることは許されない。
なぜならば、「お母さんは読まないし、SNSにも載せない」ことが表向きの約束になっているからだ。母親の手によって、今まで散々プライベート情報を世界発信されてきた彼なりの抵抗だろう。
ということで、もうしばらくコッソリ様子を見ようと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?