人間交差点

マタイ25章を生きる人

飯塚で仕事の会議と懇親会があった帰り、西小倉駅で降りるはずだったが、電車を寝過ごしてしまって、気づいたら小倉駅に着いてしまっていた。
骨董屋を営む友人の打出宏美、通称”姐さん”が、小倉駅内の居酒屋を夜な夜な手伝っているというのを思い出して、レストラン街を彷徨っていると、店の明かりが消えたガラス越しに、下を向いてレジ打ちをする人影が見えた。
顔が見えないから確信が持てなかったけど、これは”姐さん”に違いないと思って、居酒屋のガラス戸を叩いたら、やっぱりそうだった。
誰もいない店内で閉店支度をする”姐さん”の邪魔になるからと、たわいもない世間話をしてから、『今度、は遅くなっても呑みに行くから』と言って店を後にした。

レストラン街の階段を降りながら時間を見ると23時前だった。金曜日の深夜だから、小倉駅周辺でホームレス支援をやっているNPO”抱樸”の人達のことが思い浮かんだ。
今は、ほとんど直接的に手伝っていないが、ホームレスの人に炊き出しをした後に、まだ炊き出しの公園にも来ない方が駅近くの通路や路上に静かに身を潜めていて、その方達にお弁当やカイロを届ける活動を少しだけ手伝ったことがある。今年は暖冬だから、ホームレスの方も良かったなぁーと、ふと思いながら階段を降りると、地下道に座り込む男性二人に声をかけている女性が見えた。後ろ姿で、すぐに教会の牧師夫人”伴子さん”だと分かった。さっきの”姐さん”と別れて30秒も経たずに、金曜の深夜に会うとは、、
駆け寄って、接客中の”伴子さん”に声をかけると、ハッ!と路上に座り込んでいた男の一人が顔を上げると、それが奥田牧師だったので、びっくりだった。『石山さん、この人、トルコ人』と言いながら、老眼鏡を鼻にかけ、トルコ人の人と会話した内容をメモに取っていた。
僕は、たまたま金曜日に飲み会があって、それも乗り過ごして深夜の小倉駅に辿り着いたわけだが、その前の週も、来週の金曜日には、同じように、この場所に行けば、奥田牧師と伴子さんがいるのだと思うと、いつもそこに決まって、あの人がいてくれる。これって凄い希望だよなーと。この偶然なのか、必然の傍観者の僕は、この夜に感激したのだった。

聖書の中に、マタイ25章という、聖書の中でも、キリスト教の真髄を示す大事な聖書箇所がある。
あの遠藤周作の『沈黙』を映画化したマーティン・スコセッシは、このマタイ25章をテーマにして『沈黙』を撮ったと語ってもいた。
この金曜日の夜に、小倉駅の構内でマタイ25章を生きている人を見たことを覚えておこうと思った。

そしたら、今日、教会に行っての帰り際、伴子さんに「金曜日ばったり会ったねー」と会話した後、教会にある自分のレターボックスを開けると一通の封筒が入っていた。それを開くと、6年前に自分がマタイ25章のことを書いた『私のみことば』が入っていて、今度、かつて教会員の一人ひとりが語った『私のみことば』を文集化したい。との趣意書(承諾依頼)だった。

仕事やプライベートが充実感から、しばらく、マタイ25章のことを忘れていたけど、何かのメッセージとして、心に留めておこうと思う。自分の周りにある、最も小さくて、弱くされている人、その人、イエスを見過ごさないようにしたい。

私のみことば(マタイ25章)□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□■□□□□
 『あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである。』『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。』
 このマタイ25章の聖句をいつかの宣教で聞いていた時、不意に遠い昔にあった小学6年生のキャンプでの出来事を思い出していた。楽しいプログラムが終わった後、皆が親からもらった小銭を握りしめ売店に走りアイスクリームを食べていた時、ある藤原君という子がひとり寂しくしていた。彼はお金をもっていなくて売店で買うことができないでいた。この後、僕は急いで自分の母親を見つけ藤原君のために100円を貰い、一緒にアイスクリームを食べたのだが、なぜこんな昔の記憶が突如蘇ってきたのだろうか。不思議ですが、マタイ25章のみことばに沿うなら、その時の藤原君にイエスの面影があったからなのだと思います。
 私がキリスト者になろうと決めたのは信仰告白で語ったとおり、「もっと自分を高めたい
という自己投資、自己欲求を追い求める世界とは違う生き方、既にいただいている恵みに応答していくという生き方」に出会ったからです。
そして、この恵みはイエス・キリストを私が今も十字架に架け続けているという犠牲のうちにあります。
「日々、自分の十字架を棄て、自分の十字架を負え」と云う、ルカ9章23節のイエスのみことばは、「イエスが私の罪の十字架を背負うってくれるのだから、おまえは弱き人の罪を負え。その弱さ故の罪を赦し、共に寄り添え。それが、恵みへの応答だ。」と私は聞きます。
 クリスチャンとなって、私はどれだけ弱き人の十字架を負えただろうか。仕事で関わった人達、妻、幼い赤子を預け働く妹、遠くの異国に住む姉、今も独りで働き続ける父親、教会の兄弟姉妹に対して、その人が弱かった時の顔を見ようとしてきただろうか。自分の明日の事を心配して、その人が胸に閉じ込めた憂いを聴こうとしなかったのではないか。
イエスは、いつもそこにいたのだ。日々の生活の中で神のみことばを忘れ、自分自身の平和に安心しきっている時、イエスはもっとも小さな者の姿をして私の前に立ち現われ、私が応答できるかを見ていたのだ。そして、たいていの場合、その小さな者を、イエスを見殺しにして生きて来たように思います。
マタイ25章は、応答することが出来た私の小さな原体験として、藤原君のことを思いださせてくれました。
夜寝ていた時に、何も持たない人が戸口に立っている。今、この人の切実さを受け止め応答できるか。マタイ25章のみことばを思い、イエスの気配を感じることができるか。
あの小学6年の夏、キャンプから帰った後、「あの時の100円がどれだけうれしかったか」と無口な藤原君がはしゃぎ喜ぶ姿を彼のお母さんが伝えてくれた。
私はイエスを十字架に架けながらも、イエスが私に頷いてくれる姿を見つけて生きようと思います。
2014年6月29日 石山輝久

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