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たばこと塩の博物館


   この記事を共同で書いているネッコとteruminは、「たばこと塩の博物館」について掘り下げていく。
 ネッコにとって、博物館といえば、化石や鉄道、地域の歴史を表す場所というイメージがあった。そのため、「たばこと塩の博物館」という博物館はなんだか新鮮な気がした。
 「たばこと塩の博物館」は一体どのような施設であるのかということももちろんだが、墨田区とどういった関係があるのかということを二人の筆者で述べていきたい。

「たばこと塩の博物館」について

まず歴史や展示してあるものについての説明となるが、


たばこと塩の博物館は1978年、東京・渋谷に開館。15年、東京スカイツリーにほど近い場所にリニューアルオープンした。常設展示室では、たばこの起源から世界への伝播、日本への伝来・現代までの歴史を、喫煙具をはじめとする豊富な資料で紹介している。いっぽう塩については、岩塩・湖塩・天日塩などの世界の塩資源、日本での製塩の歴史、塩の科学などを実物や模型で解説。デジタルや映像展示も充実し、たばこと塩の歴史・文化について楽しみながら学ぶことができる。また、特別展示室では年間6回程度、浮世絵や喫煙具などの収蔵資料のほか、多彩なテーマで特別展を開催している。

 たばこと塩の博物館は1978年、東京・渋谷に開館。15年、東京スカイツリーにほど近い場所にリニューアルオープンした。

常設展​

歴史としては、墨田区にもともと建設されていたわけではなく、移転先として墨田区が選ばれたという。移転理由や、なぜ墨田区が選ばれたかについては後ほど述べる。
 また、様々な資料から、たばこについても塩についても学べるそうだ。

墨田区との関係

 過去の特別展・企画展からの引用のため現在は行われていないのだが、公式ホームページの、以下の引用から隅田川をめぐる文化と産業がわかるかと思われる。


徳川家康の江戸入府以来、隅田川流域は開発が進められ、さまざまな物資を運ぶための運河として、江戸の生活を支えてきました。そして同時に、船遊びや花火などの娯楽の場として、また江戸の名所として
、人々に深く愛され、親しまれてきました。
一方、明治時代以降には、その水運と水がさらに活用され、当館のある本所・向島周辺は、マッチや石鹸など近代軽工業の発祥の地となり、大蔵省専売局のたばこ工場なども建設されました。
本展では、江戸時代を通じて描かれた浮世絵や明治以降に記録された写真を中心に、隅田川をめぐる暮らしと文化をご紹介します。あわせて、あまり知られていない「たばこ」や「塩」と隅田川の関わりについてもご紹介します。

   たばこと塩の博物館 東京都渋谷区から移転し、2015年4月25日に、墨田区にリニューアルオープンしたJT運営の博物館の公式サイトだ。


 このようなことから、移転した現在の「たばこと塩の博物館」と墨田区の関係性も見えてくるのではないだろうか。

そもそもこの博物館ができたきっかけは?

 この博物館ができたきっかけは日本の喫煙文化が変化したこと。もともと日本のたばこは「キセル」(画像)というものが主流だったが、紙巻きたばこへと変化した。これによって江戸時代以降続いていた日本のたばこが失われることになった。

 「日本の今までのたばこの文化の形がなくなるのは困る!」ということで海外に流失しないために喫煙具そのものや1930年代ごろから描かれている浮世絵などが集められだした。こうして収集した資料を公開し、たばこと塩の歴史と文化を伝える施設として博物館ができたと考えられる。

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渋谷からなぜ墨田区に移転したのか?

 もともとたばこと塩の博物館はJT(にほんたばこさんぎょう)の博物館であり渋谷の時は日本専売公社であった。

日本専売公社とは?

たばこ専売法 (昭和 24年法律 111号) ,旧塩専売法 (昭和 24年法律 112号) などに基づいて国の専売事業の健全にして能率的な実施にあたる公法上の法人。日本の専売事業は 1898年の葉たばこ専売に始り,長い間国の直営事業として経営されてきたが,日本専売公社法 (昭和 23年法律 255号) の施行に伴い,1949年6月,大蔵省専売局の事業を引継いで設立された。 85年4月「日本たばこ産業株式会社」として民営化され,たばこ製造の独占権をもち,塩の専売も扱う特殊会社となった。



1978年に渋谷の公園通りにオープン、建物の老朽化や所蔵資料の増加にともない、2013年9月に休館していたたばこと塩の博物館が、2015年4月25日に墨田区に場所を移してリニューアルオープンした。渋谷時代に比べ、面積は2倍になり、コレクションがいっそうパワーアップしたのだ!
リニューアルオープンした「たばこと塩の博物館」 展示品がパワーアップしまくっていた 吸わない人にも楽しい館!


 その移転先についてだが、単に墨田区に、移転先としてちょうど良い場所があったからだろうか。いや、そんな曖昧な理由ではないのだ。以下の墨田区との関係から、「たばこと塩の博物館」と墨田区の関係、そして、墨田区はどのような地域であったかということまでわかる。

実際に電話してインタビューしてみた!

 ネットの情報と自分たちの推測では限界があると思い、もっと掘り下げて実際にたばこと塩の博物館で働いている青木さんに電話してインタビューしてみた。とても親切な方で塩とたばこの博物館の存在意義、町とのかかわりなどいろいろなことを教えてくださった。

Q:この博物館の存在意義と街への影響は?

A:墨田区の地域から求められる存在になるように努めている最中ということ。

 この求められるというのは墨田区主催のイベントにできる限り協力したり、街の中学校の社会科見学の場となったり、もはやこの博物館が墨田区の1部として、なくてはならないものとして、努力している。

どんなイベントを開催しているのか?

 様々なイベントを開催していることがわかったのでここでは1つずつ紹介していく。

1.展覧会

 この博物館はたばこと塩以外の展覧会も豊富なのだ。「おもちゃ絵」と呼ばれる子供向けの珍しい浮世絵の展覧会もこれから開かれるそうだ。ほかには小学生を楽しませるための塩の学習室というイベントも行っている。今年はコロナの影響で例年のように実験は行っていないが夏休みの自由研究の手助けとなる提案をしている。それに日本だけでなく海外の美術品を鑑賞できる展覧会も時期によって開催される。

詳しく知りたい方はこちらへ↓



2.ワークショップ

 スミファという墨田区主催のワークショップに会場を提供するとともに、当館もそのイベントでワークショップを行っている。

3.社会見学

 中学生が社会見学としてこの場所に訪れることもある。また、一般向けのイベントではなく、墨田区内のリカ教員に向けた研修として、実験ワークショップを開いたりもしているらしい。

4.デイサービスの利用

 駐車場ができたこともあって障がい者が利用しやすい施設へと変化。分け隔てなく墨田区の若者から年配者、障がい者にも利用しやすい施設へとなっている。

終わりに

 今回のリサーチを通して、ネッコとterminが思ったことは、「たばこと塩の博物館」は、全ての人に優しく、親しみやすい博物館であるということだ。その理由として、小学生の自由研究に役立つような展示や、例年なら
実験ショーがあるなど、小さい子からも親しまれていることや、障害者の人が安心して利用できるなど、誰でも楽しめるような工夫をしている。だからこそ、博物館はこの墨田区の人々に親しまれている。
 また、現在だけでなく昔から墨田区と、「たばこ」と「塩」は関係があると言えるだろう。
 今回筆者達は、自粛(コロナ)により、訪れることはできなかった。しかしこの状況が落ち着いたら、行くことを心待ちにしている。ぜひこの記事を読んでいただいた人にも今後遊びに行ってもらいたい。

追記

ここでひとつ追記をしようと思う。理由は教授が以前この記事にコメントをしてくださったからだ。

①なぜたばこと塩が専売公社だったのか

たばこが専売の理由

たばこの専売は、日清戦争後の財政確保と、欧米資本による市場独占を防ぐため、明治37年(1904)7月に始まります。塩の専売は翌年です。

その後専売公社は1935年に現代の人が多く知るJTという名前に変わった。

引用サイト

塩が専売の理由

塩づくりの原料を海水に頼る日本では、古くから塩浜法が行われ、江戸時代には瀬戸内に入浜式塩田が発達し、全国の約八割の塩を産しました。明治の開国後は日本の塩も国際市場の影響下に入りましたが、当時は差塩が大半を占めていました。品質に勝り低価格な外国の塩への危機感も高まり、国内塩業の育成・保護、製塩技術の改良や価格の低廉化が急がれ、打つべき政策・施策の議論が重ねられました。さらに、日露戦争のための膨大な戦費の調達に苦慮した明治政府は、国内塩業の基盤整備と財政収入を確保する両面から塩の専売制導入を検討し、1905年(明治38年)6月、塩の専売制度を実施したのです。

引用サイト

なぜたばこと塩がなぜ専売公社だったかということについて、この二つの引用から言えることを筆者2人で大きくまとめみた結果

「明治開国後、日本が国際市場の影響下に入ったことにより、多くの海外の製品が日本に流れてくるようになった。そのことによる欧米資本による市場独占を防ぐため。」

ではないかという結論になった。

②当時は3公社といわれて、専売、国鉄、電電が国の独占事業だった。これらがなぜ、国の独占事業であったのか?

この質問はネッコとteruminも頭を悩ませた。なぜなら情報をかき集めても3公社5現業の資料しか出てこず「これだ!」という答えがなかなか見つからないのである。

なので推測で語ろうと思う

筆者2人としての結論はたばこと塩が専売公社になった理由と同じように欧米資本による独占、海外の商品や品質が日本に流れて国の経済が崩れていくことを防ぐために国の独占事業にしたのではないか、という答えになった。











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