「3月9日」のありがとう

17年前の3月9日は大事な人と出会った日で、きっと一生忘れない日。

出会ったことで、大きなものを失いもしたし、得たことも大きい。ただ、今のわたしが「この世に存在していい」と思えるのは、あの日からはじまった縁のおかげなんやろうと思う。

「愛」って言葉はとてもつかみどころのない言葉やけれど「あなたはここにいていいんだよ」という無条件で、絶対的な肯定に近いと思っていて。それを生まれてから育つ過程で、親が与えてくれることもあれば、そうでない人が与えてくれることもある。誰からもそれをもらったと思えないということもあるかもしれない。

親もいなくなり、きょうだいもいなくなり、家族が誰もいなくなったある意味、これ以上ない「ひとり」な状態の自分にとっては、そのときもらった愛が生き続けているから、生きていられるのではないかと思う。何度も、もう死んでいいと思うくらい、寂しかった。でも、生きている。

もちろん、今あるつながりに生かされているのも間違いないけれど。

レミオロメンの「3月9日」に「瞳を閉じれば あなたが 瞼の裏にいることで どれほど強くなれたでしょう」という歌詞があるけれど、まさにそういう感じで。

感謝が尽きない。

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