ゴッホのひまわりの力

わたしはずっと、ずっと、願っていたことがある。

それはゴッホのひまわりの本物を見ること。日本にもあるが、ゴッホの生まれたオランダで、ひまわりを見ることを願ってきた。

その念願がとうとう叶った。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館に行ってきた。ちょうど「ひまわり」のテーマで特別展をやっていた。なぜゴッホがひまわりを描いたのか。そして描くときに込められたものはなんだったのか。

数々のゴッホの絵を目にしながらも、やはりたった一枚の「ひまわり」の絵の前に立った時、自ずと涙は止まらなく流れた。

他のどんな絵の前でも、流したことのない感覚の涙だった。

それはなんなのか。

「スピリチュアルケア」「魂が癒える」というのは、こういうことか、と強く感じた。深い深い部分にある痛みが、完全にはなくならないものやけれど、絵によって、やわらぐのがわかった。

でも、それはなぜ起きるのか。

考えたときに、ゴッホのとてつもない「孤独」を想った。

生きている間に認められることがほとんどなかったゴッホ。人とのつながりに救われることもあれば、つながりの中で、恨むことも、憎むことも、自分を申し訳なく思うこともあった。極限の孤独を知っている芸術家の一人であることは間違いない。そのゴッホが苦悩の果てで、仕上げた作品の中に「ひまわり」はある。まるで、希望の光のように、輝いている。

背景にある闇が深ければ深いほど、どんなに小さくとも、その光はまばゆく輝くように、ゴッホのひまわりは、ゴッホの苦しみによって、深い輝きを得ているように感じる。その輝きは、一枚の本物の絵にあるアウラ(※)から強く感じられるもので、プリントされたものからは得られない。

※ 大学のときに「芸術論」の授業で「アウラ」という概念を学んだ。それは、 大量に印刷され、複製されることが可能な時代において、オリジナルのものと出会う、その瞬間、そこでしか得られない、一回性から感じられるもの。参考になるのはこちら

そして、わたしにとっては、そのアウラには魂が癒えるほどの力があることを知ったのが、今回のゴッホのひまわりとの時間でした。

次は、ロンドン、そして、東京、ミュンヘン、フィラデルフィアと生きているうちに必ず、全てこの目にしようと思う。

それがわたしが生きているうちにしたいこと。

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