罪悪感とパラレルワールドの夢
こんにちは。
最近、YouTubeでバシャールが語っていた夢の活用方法とパラレルワールドについての瞑想を作っていました。
それらの投稿を無事、終えて眠りにつき早朝に強烈な夢を見て起きました。
私は覚えてる夢は記録してもう何年も経つのです(それについてはYouTubeの夢の活用方法で最後に語っています)
心臓がとても速く脈打ち、これは心臓発作を起こすんじゃないかというくらい死の恐怖を感じる感覚で目覚めました。
手は震え、いつも書いている分厚い鍵付きのノートの鍵をようやく開けて、ペンは震えている中、なんとか記録できました…
私は昨年の秋に父を亡くしているのですが、父は入院していた病院で一人静かに息を引き取り、数時間して見回りの看護師が発見するという最後でした。
その病院は転院先で、その前にも紆余曲折あり、もっと最先端の病院への転院も予定していた矢先、突然逝ってしまいました。
早朝に病院から連絡があり
『お父様の心臓が止まりましたので、なるべく早めにこちらに来てください』
と言われ、あの時も心臓が止まるほどのバクバクで車をなんとか運転して病院に辿り着きました。
この心臓の感覚は、とても不快で強烈でした。
今思えば、、よくあの状態で運転できていたなと思います。きっと見えない存在に護られていたのでしょう…早朝で車も少なかったのも幸いでした。
病院に到着すると心臓マッサージが行われており、父の軽く開いた目は、もう、生きていない目でした。
それでもおそらく1時間近く心臓マッサージをしてくださりました…
父のお腹は、腹水で膨れ上がり、身体はマッサージのたびにゴムのようにうねって動き…私はそれを呆然と見ていました…
看護師さんたちには何度も見ないようにと強引に別の場所に連れて行かれそうになりましたが、私はどうしてもそれを見届けたくて、何度も強い口調で断り続けました。
あれからもう9ヶ月ほど経ちます。
最初の半年は、自分を強く責めました。
もっとやれることがあった、
なぜあの時あれをしなかったのかなどなど…責める理由はそれはもう湯水の如く無限に出てきました。
これだけバシャールを学んでいるのに…
そこでこの数ヶ月はもう一度、バシャールを読み漁り吸収し始めたわけです。1ヶ月前からYouTubeも始めました。
前置きが長くなりましたが、
私が今回観た夢は、
別の次元の父の死に直面した時のものでした。
この次元の父も体調が一時回復して一時退院もしたりしていましたが、さすがに車の運転は、薬の量が多かったので、私がしていました。
別次元の父はさらに元気になっていて、運転を久々に楽しんでいました。元々イタズラ好きだった父は、細い道に差し掛かり、カーブでもわざとちょっとスピードを出し、助手席にいた私をイライラさせました。
父は注意してもやめずに加速して、私の怒りの沸点が…と、突然父が心臓麻痺を起こして気を失いました。
慌てた私はハンドルを握り、交差点に差し掛かってしまい、全てがスローに見えて、なぜか車がどちらの方向からも向かってこず、私はクラクションをずっと押し続けながら交差点を斜めにゆっくり走行しました。
そして、反対側でようやく誰にも追突されることなく止まり、父に声をかけても反応はなく、車外に出て、
誰か心臓マッサージできる人はいませんか?!
誰かたすけてください!!
誰か!誰かーーー!!
と錯乱状態で叫び続けました。
自分の目がおかしなことになっている感覚がしました。
何人かの人々が駆け寄ってきて、後ろで何か父にしてくれていましたが、私はそれでも叫ぶことがやめられず、
誰か助けてください!
だれか!だれか!!だれかーーー!!あーー
と絶叫していました…
後ろの方で、おい、心臓が戻ったんじゃないか…?と男性の声が聞こえてきましたが、それでもなお、私は叫び続けて、もう何を言っているのかわからなくなり、自分でも周りが見えなくなって…とうとう起きました。
そして、前半でお話しした状態です。
なぜこんな夢を見たのか、
やはり夢のことやパラレルワールドのことについて考えていたからかなと思いましたが…それでも引っかかるところがあり考えていました。
そもそも、前の病院での誤診と院内でのコロナ感染がきっかけで本来すべき治療までが長かったり、ついてないなと思うことが続きました。
父の死について、病院の先生を責めることもできたし、病院の対応を責めることもできました。
なぜ、もっと早く発見できなかったのか?
なぜ、不安定な人間に心電図をつけて寝かせなかったのか?
病院の返答は全て言い訳に聞こえました。
でも、亡くなる前日に父からLINEを受け取っていたので、私は幸いにもそれ以上病院を責めることはやめることができました。
父のLINEは、
『色々大変ですが、先生には感謝しています』
というようなものでした。それが生きている父の最後の言葉です。
生きている時は、
父と私の間には色々大変なこともありましたが、父の魂はとても純粋でした。
愛そのものでした。
亡くなってからは、よりそれが理解できるようになりました。
父はきっと、魂レベルでは、私が病院や医師を責めたがることをわかっていたのだと思います。何より、私自身を。だから、四十九日が明ける時に来たのでしょう。
父が医師に感謝しているのに、私がそれを無視して裁判沙汰にするようなほど責めるわけにはいきませんでした。
そうして、責める相手がいなくなった私は、今度は自分を責めていました…コントロールできることではなかったのに。
今回の並行世界の別の死に方を目の当たりにして、あの父の最期では、私は完全に正気を失っていました。
もう、おそらく日常生活もままならないほどに成り果てました。
いずれ自死を選んだかもしれません…
あの並行世界が存在していて、その世界の私はあれを経験して、その後も生きていかなければいけないのかと思いを馳せた時、抱きしめたくなりました。
大丈夫、この私が一緒にいるからと。
そして、めいいっぱいの愛を並行世界の自分へ送りました。
この次元では、父の心臓が止まったのを発見した看護師さんがいたはずで、いくら仕事とはいえ、驚いたことでしょう。
他の職種の人たちよりは慣れてしまうのかもしれませんが…それでも私の代わりに発見してくださったかと思うと、深く深く感謝します。
仮に一時退院中に父が自分の部屋のベッドで息を引き取っていたら、起きてこない父を見に行った私が変わり果てた父を発見していたわけで、それでもまたどうなっていたかわかりません…
恐らく、そのパターンが1番自分を強く責めるパターンかもしれません。
なんにせよ、父は完璧な最期をちゃんと選択していました。
私が正気を失わないように…
きっと魂レベルでは、お互いに合意しているのでしょう。今になってよく分かります。
バシャールの知識を学んで、人は死なない、永遠の存在だということは、知っていました。
それでもやはり、真面目な父は、四十九日の次の日の朝、私にもう行くよと知らせにきてくれました。
『立派に努めてくれてありがとう』
父からのメッセージはテレパシーでした。
いつもながら言葉数の少ない父でしたが、ああ、もうこれでお別れなんだなぁと分かりました。
とは言え、1週間ほど前に久々に父が遊びにきてくれました笑
いつもながら、お気に入りのリビングの自分の席があった場所に居て、静かに飲んでいました。
もうそこの椅子をどかしてしまっていましたが…頑固な父らしいです。
生前も断固としてその椅子、その場所を譲りませんでした。
精神世界というのは、本当に面白いものです。
スピリチュアルな経験は、子どもの頃からこれまで沢山してきましたが、それでも尚、学ぶことは尽きません。
最後に何が言いたかったかというと、
☀️夢はパラレルワールドを行ったり来たりしてる(魂が望めば)
☀️死も死に方も結局は大きな視点で見ると完璧、ベストな方法、タイミングとなっている
☀️自責の念は愛と反対。でもそれは悪ではなく、より深い愛に気づかせるための過程であり、結局は愛に内包されたものである。
と言うことです。
強引にまとめました📝💦
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