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note15 須佐之男命が伊邪那岐命のご命令に従わなかったのはなぜか


さて今回は、前回の段の解説の中にありました。なぜ須佐之男命が伊邪那岐命のご命令に従わなかったのかを考察してみたいと思います。

須佐之男命は、
「亡き母のいる黄泉の国に行きたい」
と言って泣きわめいていました。
私たちの感情では、そのことも理解できるように思います。
そして、この段では須佐之男命に追放を命じた伊邪那岐命もまた、最愛の妻伊邪那美命を亡くたとき、どうしても受け入れらることができなくて、黄泉の国を訪れますが、異心に覆われてしまった伊邪那岐命が伊邪那美命との約束を守らかったあまり、たくさんの禍が降りかかってきたことは、すでにお伝えしました。

この段では須佐之男命は伊邪那岐命に
「いまし、命(みこと)は海原を知らせ」
と委任されました。
これは、伊邪那岐命の委任であると同時に、天つ神の委任でもあると言えます。
天つ神とは、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をはじめとする、五柱の別天つ神(ことあまつかみ)のことを指しますが、古事記の冒頭「天地のはじめ」に登場しました。
そして、別天つ神は眼前の天地の心と理解してもいいでしょう。
それを具体的に言うならば、私たちから有る無し・善悪などの分別の異心を祓った時に眼前に見える世界とも言えるでしょう。
神々は人間の善悪という分別を超えた存在です。
例えば太陽の光は善人にも悪人にも等しく与えられています。
そもそも善人も悪人もいないとの見方もありますが、視点によって物事はいかようにでも捉えることができます。
つまり私たちは生かされて生きている存在との視点に立つことができます。
社会秩序を保つために、人間が決めた善悪のルールを守ることは重要なことですが、秩序の根源には私たちを生かしてくれる「いのち」があるのです。その「いのち」に心を合わせて、私たちの祖先は日常生活を営んでいたのです。
そして、その自我の奥にある「いのち」を天御中主神という具体的な神名としてお呼びしていると捉えてみてください。

須佐之男命は他の神々と同じく、決して天つ神と切り離されて別個に存在しているのではなく、その御心の内には天つ神がご鎮座なさっています。
なぜなら、須佐之男命は、伊邪那岐命の徹底した禊ぎ祓えによってお生まれになった神様だからです。
つまり須佐之男命の本体は、天御中主神であり、天つ神そのものと言えます。

ところが、須佐之男命は、長いあご髭が胸元に届くようになるまでの長い間、激しく涙を流して泣きていました。
つまり、伊邪那岐命の命令に従わないことは、須佐之男命の御心が私欲私見の異心に覆われて、本来の清らかな本体を見失ってしまっているということなのです。
本来天つ神から備わっている、調和の世界とも言える、清らかな心を見失えば、眼前の世界は、その穢れた異心のままのことが起こります。
すなわち、青山は枯山になり、川と海からは水がなくなり、すべての禍が一斉に起こったのです。
この部分は須佐之男命の異心の比喩ではないでしょうか。

例えば、この地球には、大小さまざまな河川があって、毎日、海の方へ向かって流れていますが、その海の水がだんだん多くなってあふれるということはありません。
今日一日についても同じです。
一日が終わり、また朝を迎える。
これがすべての万物の調和の世界の状態にある、「いのちの力」なのです。
この天地の理法に従い、生かされていることに感謝しながら生活することが私たち日本人の根源にあるのではないでしょうか。
それが、神と私たちがつながっていると言える状態であるのかもしれません。
しかし、須佐之男命のように異心のまま、天地の理法に逆行すれば、青山が枯山になり、川海に水がなくなるのです。
以上のような意味から、ここで須佐之男命が伊邪那岐命の委任された命令に従わずに
「黄泉の国行きたいと思う」
と言ったことは、まさに須佐之男命の御心が異心に覆われていることを物語っていると考察できます。

これを私たちの日常にも重ね合わせてみることもできます。
私たちは表面的な感情や善悪で物事を判断してしまいがちですが、
私たちにはあがなえない自然の摂理が存在することは確かだと思います。
私たちそれぞれが決めてきた役割もこれに当たるのかもしれません。

そして自然の理法または自然の摂理とはどの状態かを理解する必要がありますが、異心に覆われていては、それに気づくことはできません。
やはり前の段でもお伝えしましたが、いつもいつも異心を祓うことが必要なようです。


そして異心とは善悪の分別を超えるところにあるならば、私たちの概念にも疑問を持つ必要もありそうです。

自分の役割に気づきまっとうするのか、選択権はいつも私たちにあるというのも同時に言えることです。

途中、視点によって物事はいかようにでも捉えられる、とお伝えしましたが、言霊の学びでは、その視点を五つの次元として表しています。
この言霊の学びを皆さんにどうお伝えするか、思案中です。

今回はここまでにします。

いつもありがとうございます🌈

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