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note13 三貴子(みはしらうずのみこ)


今回は前回の続きになりますが、伊邪那岐命が禊ぎ祓え(みそぎはらえ)をして、最後に貴い三柱の御子が生まれます。

それでは、その三柱の神々の誕生の場面の解説をします。

伊邪那岐命が禊ぎ祓いをして次々に神々がお生まれになりましたが、最後に左の目を洗われた時にお生まれになられた神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。

次に右の目を洗われた時にお生まれになられた神は、月読命(つくよみのみこと)です。

次に鼻を洗われた時にお生まれになられた神は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。

天照大御神は、高天原の主宰神であります天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の最も尊い化身としてこの現象界に現れた神です。直接的には太陽の神と言われますが、単なる太陽神ではなく、天御中主神と同じくこの宇宙の本源の神と理解していいのでは、と思います。
天照大御神は、伊勢神宮のご祭神であり、同時に日本の皇室の皇祖神なのです。皇室の祖とされる神です。

ですから、大嘗祭では天皇陛下が天照大御神と共にお食事をされたわけです。


そして、これまでお伝えしたことがありましたが、全てのいのちがつながっているという視点に立てば、天照大御神は私たちのご先祖でもあるとも言えると思います。

このように日本で最も尊い神様が「禊ぎ祓え(みそぎはらえ)」でお生まれになられたということは、どんな意味があるのでしょうか。
つまり「禊ぎ祓え」そのものが重要であるとも解釈できますが、
では、なぜ「禊ぎ祓え」が重要か、この原文の解説の後に考察したいと思います。

まずは、原文の解説に戻ります。

月読命は、月に象徴される神で、夜の世界を治める神です。

また、建速須佐之男命は勇猛迅速に荒らすさぶ男神の意味です。

以上、八十禍津日神から建速須佐之男命までの十四柱の神々は、伊邪那岐命が身体を洗い清めることによってお生まれになった神々です。

この時、伊邪那岐命は言葉では言えないほどお喜びになって、
「私は、わが身の穢れを祓って祓って祓って、次々に御子を生んだが、最後に三柱の貴い御子を授けていただいた。」
と言われました。そして、ただちに首にかけていた首飾りをはずして、その玉の緒をゆらゆらと揺り鳴らしながら、天照大御神にお授けになられて、
「あなたは高天原を治めなさい」
とご委任になったのです。
そこでその首飾りの珠の名を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と言います。この珠というのは、単なる首飾りとしての珠ではありません。それは依り代であり、伊邪那岐命の御霊を引き継ぐことを意味しています。
続いて月読命には
「あなたは夜の世界を治めなさい」
とご委任なられました。
また、建速須佐之男命には
「あなたは海原(海)を治めなさい」
とご委任なられました。

原文の解説はここまでです。

では、禊ぎ祓えについてもう少し詳しく説明と解釈をしていきたいと思います。

まず、「禊ぎ(みそぎ)」とは、身体を洗いすすぐことで、身についた凶事や罪・穢れを除去して清めることです。具体的には、川や海で冷たい水につかったり、滝にうたれたりして、心身を清めて「禊ぎ」をしたりします。
また、「祓え」とは、心身についた罪を禊ぎなどの儀礼や唱え言葉によってとりはらい、清浄にすることです。神社にて神様の前でのお祓いはその象徴的な行為です。

禊ぎと祓えは一連の行為・観念であることから、一般には禊ぎ祓えと言ったりします。

伊邪那岐命は徹底した禊ぎ祓えによって、全ての穢れを洗い流されて、最後に三柱の貴き御子 天照大御神・月読命・須佐之男命をお生みになりました。

これはいったいどういうことなのでしょうか?
すでに何度かお伝えしているかもしれませんが、古代の日本人は、私たちひとりひとりの中に神が在る、神性が宿っていたと認識していたようです。
古代より、日本人は自らを神の生みの子であり、神の子孫であると信じてきたのです。ちなみに祝詞では子孫と書いて「うみのこ」と読みます。日本人にはこの考えが人間観の根本にあるように思います。

私たちの本体は天つ神から賜った貴い神性な御心であると信じていたのでしょう。だから、その神性を覆う異心を徹底した禊ぎ祓えをすることで、祓う必要があるとわかっていたのではないでしょうか。

ですから、「祓え」とは絶え間ない試みが必要になります。常に「祓い」し続けることが神道の真髄でもあります。もうこれで祓いは必要ないということはなく、祓いに祓った時に、自らの神と在るのです。

こう考えてくると、祓えとは、神社にて祓ってもらったり、川や海で禊ぎをしたり、祝詞を唱えること以外にも、自らの内面にある異心に気づき、いまここの一瞬一瞬である中今に心を向けていることが「祓え」になるようにも思います。

このように禊ぎ祓えを解釈していくと、伊邪那岐命が自らの内にある罪・穢れを徹底的に祓うことで、三貴子がお生まれになったのも理解できるように思います。

以上のようなことから、禊ぎ祓えがいかに大切かが、わかっていただけたでしょうか?

私たちも毎朝、顔を洗うわけですが、これも禊ぎの一つと捉えてみてください。夜お風呂に入って、身体を洗うわけですが、これも禊ぎの一つと捉えてみてください。
目を洗うと天照大御神と月読命が生まれて、鼻を洗うと須佐之男命が生まれる、そんなことを思いながら、朝に晩に顔や身体を洗ってみてください。
心身を清らかにするで、神々が私たちから切り離されて、別個に存在しているのではないということを体認してみてください。体認とは、体感し認識することです。
そのことで、自分の神性を思い出す瞬間があったり、より一層自分を愛おして感じてくださる方がいたら、嬉しいです。

さて、言霊の原理では、須佐之男命が百番目の神様で、この百柱の神様を言霊百神、ことたまもものかみのと読み、五十の言霊の原理と五十の言霊の運用法則を表していると言っています。
この解釈は後でお伝えする機会があればと思います。

最後に補足ですが、日本人とは国籍や血縁ではなく、日本語を話す人という定義のもと、私はお伝えしています。

今回はここまでです。

いつもありがとうございます🌈

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