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山口 猛『紅テント青春録』(立風書房、1993年)を読みました。

東北大工学部に入学するも学生運動が吹き荒れる中上京し、唐十郎率いる状況劇場に研究生として参加しいわばマネージャーとして活躍した著者による回顧録です。後に映画の世界に転じ活躍する著者は状況劇場では「奴隷」だったとのことしたが、それだけに、筆も立ち、内部の様子もよく知り、扇田昭彦さんとはまた違った視点で当時関わった人々の様子がよく伝わります。唐十郎が当時の若者に熱狂的に指示された理由を知りたいと思っていますが少しずつわかってきたような気がしています。状況劇場がパレスチナ公演を行い、ある意味地理的には行けるところまで行き、企画としては成功を収めるのですが、そこで自分たちの活動が演劇を超えるものではないと自覚し、活動が転機を迎えるというくだりは大変興味深かったです。


本書より…

李とともにドラマの軸になった大久保は、見た瞬間のインパクトはそれほど強くなかった。目鼻だちが異様に大きかったけれども、とくにうまい演技をするわけでもなく、麿のように強烈な肉体を観客にぶつけたわけでもなかった。ところが舞台が進行していくうち、まるで軟体動物のようにヌメヌメと引っ掛かり、妹を思う心情が演技を超えて伝わるのである。どこから出てくるのかはわからないながらも、大久保を見ていると、なんとも切なくなってきたのを覚えている。
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その李にしても、自分ではきちんと演技プランを立てて役を作りだしていくタイプの女優と思っていたらしいが、とんでもない。
異常に強烈な個性の持ち主であり、それは麿やシモンと同様、唐の特権的肉体論の証となるような存在感の持ち主だった。決して美人ではなかったが、凛としたたたずまいは彼女ならではのものであり、日本の女優のようなベタついたところがなく、その存在感は際立っていた。
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だからこそ李は「アングラ界の女王」と呼ばれていたのだが、それは彼女にしてみれば本意ではなかった。李が「大劇場の舞台に立ちたい」という願望を密かに、やがて公然と口に出すようになった時、当初誰しも冗談としか受け取らなかったが、彼女は女優としてのまっとうな要求だと思っていた。

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