扇田 昭彦『唐十郎の劇世界』(右文書院、2007年)を読みました。

状況劇場の初期から40年以上に渡り、熱烈なファンでありながら、批評家として「中立的な」論評を行ってきた著者の著述をまとめたものです。少しずつ唐十郎戯曲の理解が進むに連れ、今とは時代状況が違うこともありなぜ当時の若者が唐十郎に熱狂したのか知りたくなり、書かれたものを読んでいます。扇田さんという優れた批評家が数十年に渡りいたことは唐さんを正当に評価する上で重要なことだったのだと思います。そして私のように同時代に状況劇場を体験できなかった人は扇田さんの著作によりそれを少しだけ「追体験」できるのです。本書でもいい作品は激賞し、そうでない作品には厳しい批評を行い、何が足りないのか指摘する扇田さんの態度が明確に現れています。
本書より…
この連中は、杉並区善福寺二の八、自称演出家、唐十郎さん(二五)をリーダーとする明大、国学院大の学生ら若い演劇愛好グループ。びしょぬれの寒さに同署でガタガタふるえながら「屋内劇場の舞台で行われている演劇は古い。われわれの“演劇”こそ純粋の演劇のパターンである」と署員に演劇論をひとくさり。「真の芸術でも無許可で、突然やってはいかん。再び、このような行動をとれば厳罰に処す」と厳重説諭のすえ、釈放された。“真の芸術”とは、何ともきびしいもの。
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つまり唐は、いつまでも彼の記憶に「つきまとう」(『ナジャ』)人々、言い換えれば、「私とのあいだに、思いもよらなかったほど奇妙な、避けがたい、心惑わすような関係」(同)を結んだ他者を通して、「私とは誰か?」を描き出そうとしたのである。

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