フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』(河出文庫、2017年)を読みました。

スペインの村から次々と人が離れ、ついに自分と妻とペットの犬だけになる。そして、妻は寂しさのあまり自死する。そして犬を自ら撃ち殺し、自分もまた死に向かう過程を美しく描いた小説でした。日本の小説でこのようなものは読んだことはなくその文体の美しさとともに衝撃でした。

本書より・・・

川岸で過ごしたあの夜から、雨は日毎私の記憶を水浸しにし、私の目を黄色く染めてきた。私の目だけではない。山も。家々も。空も。そうしたものにまつわる思い出までも。最初はゆっくりと、やがて時が過ぎるのが早く感じられるようになると、その速度に合わせて私のまわりのものすべてが黄色に染まって行ったが、まるで私の目が風景の記憶でしかなく、風景は私自身を映し出す鏡でしかないかのようだった。
-----
子供の頃、父親が大事な秘密を明かすように、下弦の月の夜に切った木は、地中に埋めても何年も腐らないのだと教えてくれた。私たちが知らないだけで、木は生きている。感情もあれば、痛みも感じる。だから、斧が肉に食い込むと、苦痛のあまり身をよじるが、そのせいで筋が入ったり、瘤ができたりする。やがてそこからカビや白蟻が入り込んで腐ってしまうのだ。しかし、木々は下弦の月の夜は眠っている。熟睡しているあいだに急死する人のように、その時なら木々は自分が斧で切られていることに気づかない。そうして切った材木は肌理が細かく、つるつるしていて、カビや白蟻に侵されることはないので、地中に埋めても何年も腐らないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?