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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 15: 日本橋魚市場創始者の墓?

週末なので引き続き脱線します。日本橋魚市場と佃島漁業を完成させた森孫右衛門は、寛文二年(1662年)4月4日に、故郷の摂津は佃村で94歳の人生を全うします。当時としては破格の長寿です。

日本橋魚市場の歴史(岡本信男, 木戸憲成 著) では、死没から二百年の土地にあたる文久二年(1862年)に、追善の墓が築地本願寺に建てられたとされています。

築地本願寺屋外の案内板隣にある「篤行院釈久西居士」報恩塔

私もここに刻まれている「篤行院釈久西居士」は森孫右衛門だとばかり思っていたのですが、新しく建てられていたサムネイルの案内板を見て驚きました。森孫右衛門のものではなかったんですね。名主家伝来の記録から、佃島の初代名主である佃忠兵衛である事が明らかになったそうです。

忠兵衛は、森孫右衛門の弟である九左衛門の娘婿です。江戸当時孫右衛門は故郷で亡くなり、九左衛門は日本橋の本小田原町で魚問屋を開いたため、忠兵衛が佃忠兵衛と名乗って佃島(今でいう佃一丁目)の初代名主役を務めました。

古めの資料を参照しながら原典を読んでいるのですが、情報をアップデートしていかないといけませんね。現地に足を運んでよかったです。

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