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これっていけないことになったのね

(昨年の今頃書いて放っぽっちゃったらしいです。
一応完成させようと)

元ジャニーズだった方が記者会見していた。
中学校卒業前頃から前社長より性的行為を受けてましたと。
イケメンな、女子が憧れそうな貴公子然とした人だった。

40年以上前からジャニー喜多川社長が彼の芸能プロに所属する
歌手やタレントに手を出しているという話はあって、
私が聞いていたのは

「ジャニー社長と寝ないコはデビューさせてもらえない」

という噂で、
写真週刊誌に、当時のジャニーズ事務所稼ぎ頭3巨頭(?)の1人の
全裸写真らしき写真(キワどい所は陰になっていて写ってない)が
スッパ抜かれ、そんなことが書かれている記事が載っていた。
その当時思ったのは

「こういう芸事の後ろ暗い伝統って続いてたのね」

だった。
世阿弥と足利義満の頃、いえもっと前から、
芸人とそれを庇護する貴人の関係って言えば、
貴人は好みの芸人を贔屓にして金銭的支援をして、
その見返りに芸人は貴人の言うがままに今の言葉で言えば、
性暴力の被害者なってきたんじゃなかったか。
その頃は身分制度があって、芸人はとても身分が低かった。
芸を称賛されながらも、下賤を蔑まれていたと言うか。
下賤の者が将軍さまってヒドイって言っても
誰も助けてくれないだろうし、
言う事を聞いて盛り立ててもらった方が興行的にも
よかったんじゃないか。
盛り立てて貰わなければ自分達の生活が成り立たないとか、
そのためなら一座の子供一人の犠牲は、やむを得ないもの
なんて考えもあったのかも知れない。
この頃、基本的人権の尊重なんて、なかっただろうし。
足利義満に見出された頃の世阿弥はまだ14、5歳くらいの
少年じゃなかったかな。もっと幼かったろうか。
歌舞伎役者だって蔑称があって、「川原乞食」だ。
あれだけ隆盛を極め、稼ぎまくってたろうに、税金を免れていたから
「乞食」だって聞いたことがある。
人並みに扱われてなかったのだ。
そのせいか、「天覧」の栄に浴したのは明治20年(1887年)、
出雲阿国から200年以上も経ってからだ。
郡司正勝さんによると、歌舞伎の隆盛は、それまで貴人のものだった
「男色」の庶民化をもらたらした。
(ちがったかなー…)
「幽玄」とは「男色のもどかしさ」だって言ってた学者もいた。
こりゃー対等な恋愛関係とかじゃないだろう。
曾我廼家桃蝶※さんていう女形が永六輔に語ったところによると、
お師匠さんに「こうするんだよ」と言って襲われた(?)のが
初体験だったそうだ。(『極道まんだら』)
(※大正~昭和初期にかけて活躍した曾我廼家喜劇の女形)
下賤の男やオンナを買ってセックスしてなんというか、性的満足と、
人ひとりにパワハラして自分が上になった気になってうっぷん晴らしを
する、っていう今の基準だといびつな遊び方が
割と日本の伝統としてあったんじゃないかと思う。
芸事は修行の一環みたいになってる場合もあるのかな。
それを受け容れられるよう「教える」人もいたりしたんだろう。

その延長で、ジャニー社長がデビューさせたい少年に性的関係を迫る
っていう構図があったと、私は理解していた。

これは明らかにしてはいけないタブーなのであって、
だから20世紀になっても写真週刊誌しか報道しなかったり、
『光GENJIたちへ』(北公次)の内容があんまり話題に
ならなかったんじゃないかなと思っていた。

ジャニー社長は1931年生まれだ。
うちの親より数年前に生まれている。
うちの親から若い娘さんの写っている古い写真を見せられて
「この娘ね、売られたんだよ」
と言われた事がある。母と同じ年齢くらいの娘さん
だったそうだ。
母の若い頃は、非合法の人身売買は未だ行われていたのかな。
そんな時代に、ジャニー氏も育ったんじゃないか。

「ユーの代わりはいくらでもいるんだからね」

と芸能界で仕事したい少年にのしかかって行くのは
今でこそ醜悪で最悪な行いであるけれど、
ジャニー社長の生まれ育った時代や芸能の仕事を始めて
しばらくは、
被害者、というか歌手や俳優志望の男性がどんなに傷つき、
後遺症に悩むことになっても
「当たり前」というかそれくらい我慢しなさいとか言われる
芸能界の因習みたいなものだったんではないんだろうか。
むしろそこを乗り越えてこそ大御所の庇護のもと芸能界で
輝きつづけられるのだ、みたいな昭和的根性論がまかり通って
いた時代ではないかな。

それがアタリマエ、という時代に生きた人を、
アタリマエじゃない時代に生きた人が裁くって、
できるものなのかな。
線引きって、どこでする?
今、少年時代の世阿弥を寝所に呼んだ足利義満は
少年に性的虐待したと評価を下げる人なんていないだろうし、
曾我廼家桃蝶さんのお師匠さんを、
立場を利用したセクハラおやじだってなじる人も
今更いないだろう。
国文学と民俗学と短歌に偉大な足跡を残した大学者だって、
室生犀星の本(『我が愛する詩人の伝記』)を読んだら、
今の倫理観では薬中のセクハラ教師だ。
この方の仕事は学問の世界に貢献する事大なんですから、
そんな人の業績は抹殺します、なんてぜーったい出来ないぞ。
20世紀の半ばくらいまで生きてた人だ。

じゃあ。
ジャニー喜多川氏はどっちの人だろう。
今の倫理観で裁いていい人か、そうじゃない人か。
ある時期までは「当たり前」だったのが、
ある時期を境に「許すまじきこと」になった、過渡期に居た人
なのか。
「許すまじき事」となった時代に生きた人は、それ以前の
「当たり前」だった時代の行いについても、さかのぼりで
罪を問われるんだろうか。
そもそもこのテの「当たり前」が「許すまじきこと」になったのって
いつだ。
ジャニー氏の生前だったの?
BBCのドキュメンタリーが無くても、ジャニー喜多川氏のやった事は
明るみに出て、断罪されるものだったんだろうか。
イギリス人が、イギリス人の倫理観でこれはとんでもないって判断し
ドキュメンタリーにして明るみに出たから性加害だと騒いだんじゃ
ないんだろうか。

今は身分制度も無いし、一座のため芸のため、と
犠牲のまま傷を封印しなくてもいい時代だ。
私だって、
ジャニー氏の犠牲になった人は、せっかく
そんな時代に生まれているのだから、
その傷を癒し回復してほしいのだ。
だからこれ考えた時、とてもモヤモヤする。
悪いのは、裁かれるべきは、ジャニー氏だけ?

どこでもそうだけど、
見て見ない振りしてクサいものにフタをして、
今はもう時代が違うんですよと
ジャニー氏に言う事もせず、
やりたい放題やらせてた周囲の分別ある
オトナが一番悪いのだ、多分。
テレビで観たけど、
北公次氏のジャニー氏への呼びかけが悲痛だ。
あれを、あの時に取り上げ、ジャニー氏を止めることは
できなかったんだろうか。(北氏は2012年死亡)
ジャニー氏は、
時代は変わったって知っていながら
強大な権力をカサに
少年たちを食いものにし続けていたんだろうか。
それにしても、だれかご注進に及ぶ人は、
いなかったのかな。

みんな自分が一番かわいい。
守る人がいればなおさらだ。
その保身の陰で、
心も体も自尊心もずたずたにされたまま
何年も何十年も引きずって生きてきた人達が
いるって、なんだか暗澹としてしまう。













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