信長の弱点を見出す目
物事の変化から弱点が生まれ、それを確実につくということが重要でした。
それをうまくやったのが織田信長です。
1570年の4月に織田軍は越前を侵攻しましたが、浅井長政が寝返ったことで退却したわけです。
とはいえ、皆さまもご存知の通りで、信長は直ちに態勢を立て直し、6月になると2万6000の兵を率いて岐阜を出発しました。
徳川家康も5000の兵を率いました。
そして、6月28日に浅井、朝倉の連合軍1万8000人を姉川で破りました。
浅井、朝倉軍は総崩れになり、
ました。
織田軍はその城下に迫って、いくつかの砦を占領し横山城を攻略しました。しかし、小谷城はまだ攻めないのです。
反信長同盟がまだまだ根強く織田軍を締め付けていたことで、小谷城までは手が出せませんでした。
姉川の戦いから2年が経った1572年の8月朝倉郡の2万人が小谷城を援軍としてやってきました。
それにより、砦の攻略をされてしまい、浅井軍と結んでしまい小谷山を固めてしまったのです。
完全に信長は手が出せなくなりました。
しかも武田信玄が動き出していたのです。
しかし、物事が動けば弱点というものが出てきます。
信長は歴史に名を残す名将ですから、その弱点に気づいたのです。
ピンチからチャンスが到来しました。
朝倉義景を家臣が裏切ったのです。前波吉継と裏切り者を唱えるべく派遣された追手の家臣も信長の庇護を求め、本陣に駆けつけてきました。
朝倉勢は一乗谷の館を京都風に飾って連日の宴会裁き、家臣は朝倉義景に失望し敵国である信長に下ったのです。
窮地でありましたが、家臣の寝返りという小さな変化です。
戦国時代ではよくあることでしたが、ここから大きなチャンスを信長は見出します。
こういうインスピレーションは見えない世界の力を磨くことで身に付きます。
興味のある人はぜひ一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。