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祭りとお祓い

元々、日本にはたくさんのお祭りが行われていました。
吾妻鏡にも祭りは多く取り上げられており、鎌倉時代ではお祭りは盛んだったようです。

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当時は祭りがどの宗教かというのをあまり区別してはいませんでした。色々な宗教のお祭りが一緒に行われていたのです。

しかしながら、宗教ごとに上下の差というものは存在していました。

基本的にはお坊さんを中心に仏教的な儀式のお祭りがあります。下座に位置するのが神道系のお祭りでした。陰陽道はさらにその下座でお祭りをするものでした。

しかしながら、陰陽道は下位だったからこそ伸びたのです。

何かの宗教的イベントがあれば、仏教系なら寺に出向き、神道系なら神社に出向くでしょう。しかし、陰陽道系がどこかに出向くということはありません。
陰陽師は訪問するのが仕事のやり方だったからです。

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昔はあちこちで物の怪の怪現象があったといいます。出向いて対応するのが陰陽師だけだったので、トラブルの対応の大半は陰陽師が行っていました。

お祓いの案件量がずば抜けて多かったのです。

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御祓に限らず、数をこなしていたため、一番ハイレベルな対応ができるようになったために、お祓いの案件がさらにやってくるというスパイラルが起こりました。

枕草子や源氏物語にも数多く、陰陽師の活躍が描かれていますが、それは数をこなしてきたというのが大きいのです。

見えない力というのは、昔の人に才能があったからできたというわけではありません。単純に修行だったり実務だったりで技術を磨いてきたからです。
わたしも色々教えていますが、気を出せるようになったとか、触れずにものを飛ばせるようになったとか、多くの成功の連絡をいただいています。
このようなことに興味のある方は、是非一緒に精進しましょう。


これからも良い記事を書いていきます。