継体天皇が築いた見えない世界のインフラ
513年は継体天皇の時代です。
継体天皇は、百済から五経博士を得ることになりました。
五経というのは、儒教の経典ですが、経とつくだけあって、有名な易経もその一つに入ります。
当時の百済は、東からは新羅の攻撃を受け、北からは高句麗の攻撃を受け、国家の危機に陥っていました。
日本にも援軍を要請していましたから、使者を日本に派遣し、仏具や経典を献上していました。
天皇も援軍を送っていましたが、それと同時に医博士、易博士、暦博士の交代と卜書、暦本、薬を送るように要求しました。
つまり、既にこの時代には、中国医学の博士はもちろんのこと、易の専門家や暦の専門家においても、当番制で来日させていたということが分かる訳です。
さらに書物や薬も取り寄せており、見えない世界への日本での普及が進められていたということが分かります。
このように、見えない世界の普及が始まり、継体天皇の孫である欽明天皇の時代には陰陽道が広まっていくのです。
先人が、外交を通じて手に入れてきた叡智があるということが分かりましたね。
そこまでして得たいほど見えない世界には効果があるということです。
そのような見えないものに対して興味のある人はぜひ一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。