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縄文人の神

こちらの記事はYouTubeで読み上げを行っています。


「神」というと、あなたは何を想像するでしょうか。


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願いを叶える存在

万物の創世主

祀られている存在

他星人

自然そのもの

神さまの概念はたくさんあるので、世界中、人それぞれで「神」のイメージは変わってきますね。

では、日本人に受け継がれてきた「大自然の能力があって、人格もある、たくさんの神さま」の概念は、一体どこからきているのでしょうか。

これを知るにはまず、縄文人のお話から始める必要があります。




学校の日本史の授業で、縄文人(ネイティブジャパニーズ)と弥生人(渡来人)について勉強したと思います。

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縄文人は、約1万6000年から3000年前に日本に定住していた人々を指します。


日本はユーラシア大陸の東の果てにあり、日本より東には、渡ることが困難な太平洋が広がっています。そのため、日本にはさまざまな地域から移民が渡り、定住しました。


弥生人は、一般的に漢民族などの大陸系(中国人、韓国人)を指します。日本に渡ってきた人々の中では、弥生人が最も大きな勢力でした。

しかし実際は、他にもロシア、インド、チベット、モンゴル、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア全域などからも、さまざまな移民が渡ってきていますので、「渡来人」という大きな枠で呼ばれたりもします。

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縄文人は、大陸から渡ってきた弥生人を快く受け入れてきました。

なぜなら、自然そのものを崇拝し、自然と共に生きていた縄文人には、所有や区別という概念がなかったためです。



ところが、大陸から移民してきた人々は、自然を剋し、土地を所有し、農作物をコントロールしようと考える文化であったため、所有意識や区別意識が強い人々でした。

この宗教観の違いなどが元となり、縄文人や少数派の渡来民族は次第に山谷や僻地へと追いやられていきます。

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日本という土地は、古くから、弥生人が縄文人を蝦夷(えみし)、毛人、土蜘蛛、隼人(はやと)、国栖(くす)、山人(さんか)などと呼び、差別・迫害してきた、悲しく血生臭い歴史があります。

アラハバキは、迫害された縄文人たちの心の拠り所となった神さまです。


なお、縄文人と渡来人は数千年の時間をかけて緩やかに混血を繰り返してきたため、多くの日本語にはアイヌ語の名残が見られます。

言葉は文化そのものですから、日本の神も、ベースには縄文人の宗教観が反映されています。



縄文人(ネイティブジャパニーズ)たちは「神さまは自然そのものである」と定義し、木、草、太陽、火、土、山、石、岩、水、川、海、風、雷、星、月などの自然物を崇拝していました。

アイヌ語で「神」を表す言葉は「カムイ」ですが、カムイという言葉には「命を司る仕組み・存在・エネルギー」といった意味があります。


つまり、縄文人の考えた「神」は、いる・いないという観念ではありません。

すべては、神(命を司る仕組み・存在・エネルギー)の中に存在していると考えていたのです。


渡来人は、「カムイ」という音に、「神」という字を当てました。
「かむい」はそのまま大和言葉の発音となりましたが、縄文と弥生のシャーマニズムが融合して「靈媒を通して語りかける存在」といった意味が加わりました。こうして、「日本の神さま」の概念が作られてゆきます。

なお、「神」という漢字は旧漢字として、昭和初期まで使われていました。




昔の日本人は、私たちは神の中にあり、命を司る仕組み=循環に生かしてもらっているということを知っていました。

だから、自然に対して「ありがとう」と拝んでいたのです。


ちなみに、「ありがとう」には「有難う」という漢字が当てられています。
「ありがとう」は大和言葉の発音に直すと「ありんがとう」です。

「あ」は女性器、「りんが」は男性器、とう(十)は交わるを意味します。
「ありんがとう」という音には、男女の交わりを神聖なものとする背景と、「生命の誕生を祝福し感謝する」という意味が込められているのです。



なので、縄文時代から続く伝統的な神社はとくに、命の循環に感謝し、恵みに感謝し、命を司る仕組みにお礼をいう場所なのです。

間違えても、神さまにお願いを叶えてもらおうと欲をあげつらったり、御神木に五寸釘を打ち付けるというのは、神聖な神社で行うことではありません。


お礼を申し上げた上で、神社に祀られている神さまに抱負を述べ、お力添えいただくようお願いをするというのは大丈夫です。



神さまとの上手なお付き合いの方法がわかると、神社にお参りをするときの指針になりますね。見えない世界への感度が高い人は、霊媒師でなくとも、在野にもたくさんいます。サークルでは体験談のシェアが活発です。


これからも良い記事を書いていきます。