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卓球の強い妹がいると、どうなるのか?

てるい家は卓球一家

卓球界では、親が卓球をやっている人、兄弟が卓球をやっている人。いわゆる卓球一家が多い。そのくくりで見ると、てるい家は立派な卓球一家だ。

ちなみに兄弟で卓球をやると、弟妹の方が強くなる傾向が強い。これは他のスポーツでもよく当てはまる。

単純に兄姉がやっているのを見て、卓球を始める年代が早い。両親も兄姉というモデルケースがあるので、弟妹によりよい環境を与えることが出来る。そりゃ兄姉より強くなるわけだ。

そして、てるい家も妹達が僕より強くなった。理由は上にある通りに加えて、妹達は僕より運動神経が良い。そりゃ平凡な兄は敵わない。

簡単にここで、僕と妹2人の成績を書いてみる。


まず長男ゆうた。

小6-中2まで全国ベスト32。全日本ジュニアベスト8。全日学ベスト32。

このように、高校で急激に伸びそして大学で伸びなかった。

次に長女もえみ。

全国ホープス団体優勝から、カデット、ジュニア、全日学、全日本ダブルス優勝まで、各カテゴリーで優勝しいるスーパーエリートだ。

スーパーエリートということで、ベジータをイメージするとよいかと。

最後に、次女なみ。

東アジアホープス日本代表、カデットベスト8。

3人の中で1番ポテンシャルがあったが、中学で卓球はやめた。ポテンシャルはあり、途中でやめたということで、悟飯ということにしておこう。

僕はクリリンくらいか、、、

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初めて妹を意識した時

中学生までは、妹を意識したことは全くなかった。しかし、高校1年生、とある所で意識することになる。

高校1年生のインターハイ。開催地は茨城。僕は、団体はベンチで、ダブルスだけ出場(結果は地元茨城のペアに初戦負け)。初めてのインターハイは、全く結果を残せず、ただ「青森山田すげー、仙台育英カッコいいなー」とミーハー心で、全国トップの選手を見ていただけだった。

そんな、苦い思い出のインターハイで、妹を意識する場面が訪れる。

会場のチャック塗り場にて。当時はスピードグルーを使用して良かったので、会場のチャック塗り場は、選手で溢れていた。

このチャック塗り場を客観的に見るととても面白い。換気が必要な為、だいたいは外のスペースに作られ、机がたくさん並んでいる。そして、選手達はきっちりと実力別に分かれて塗るのだ。

大まかに書くと、全国トップレベル。全国2.3回戦〜ベスト16。それ以下。この3つ位のレベルに合わせて、きっちりと選手が分かれているのだ。

もちろん僕はそれ以下。それ以下の選手が固まった位置から、「あ、青森山田の誰々だ」「おー、ブライス新品を開けてるよ!」と全国トップの選手を羨ましく見ていた。

そんな中、四天王寺と並んで女子のトップ、仙台育英の選手がチャック塗り場に来た。当時は、平野早矢香さん、渡辺裕子さん、今福久美さん、張暁さん、代さん、宮本さん、大槻さん、多田さんなど、全国トップレベルの選手ばかりだ。

そうそうたるメンバーに圧倒され、僕は彼女達が眩しく見え、しっかりと見ることが出来なかった。そんな中、チャックを塗っていると、育英の選手達はヒソヒソ話している。よく聞くと、

「えーめっちゃもえみに似てる。顔一緒じゃん」

なんと、妹の先輩達は僕を見てヒソヒソ話をしていたのだ。(長女のもえみは、仙台育英だ。)

今であれば、ヒソヒソ話をされる前に、「いつも妹がお世話になっております。兄のゆうたです。」と挨拶でも出来るのだが、当時の僕はただただ恥ずかしかった。15歳のてるい少年は、下を向いたまま、気付いてないふりをしてスパークグルーを塗っていた。

結局、僕は高校から大学に至るまで、妹の先輩と話すことはなかった。

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もえ兄と呼ばれる

大学3・4年位に、もえみの兄なので、もえ兄 と呼ばれていることを知った。卓球界では、僕は、てるいではなく、もえ兄なのだ。それから社会人となり、よく卓球の後輩と飲むようになった。もちろん学生もいる。そこでは、もえ兄 もしくは もえ兄さん と呼ばれた。

この もえ兄 というパワーワードは何度も利用させてもらった。仕事で、自己紹介をする時に使えるのだ。大まかな流れは、

・ガチ卓球していました。スポーツ推薦で進学しました。

・卓球ぽいですよね?

・妹強いんですよ。

・愛ちゃんとダブルス組んで、全日本優勝してます。

・卓球 照井で検索して下さい。

・妹ばかりですよね?

・だから卓球界では、僕、もえ兄と呼ばれているんですよ。

これで、簡単なアイスブレイクになる。

ちなみに、先輩にこれを使われて、「家、ついて行ってイイですか?」のスタッフが家に来たことがある。もちろんテレビに出るような面白い人生ではないので、僕の部屋で レット・イット・ビー が流れることはなかった。(つまりボツ)

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そして最近

ここ数年、卓球界では妹の影響力も薄れ、僕はもえ兄から、てる兄 と呼ばれることが増えた。と、同時に、このような場面が増えた。

卓球の仕事で、全国の審判さんや協会の方と会う機会があるのだが、よくある流れが

「照井です。本日は宜しくお願い致します!」

「照井さんて、あの照井さんの弟さん?」

「いえ、兄です!」

「あー失礼しましたー笑」

これだけで、審判さんと僕の距離が一気に近づき仕事がしやすくなる。

または、

「照井さんか、おーお姉さん元気か?」

「いや、妹です!」

「あーこりゃ失礼!笑」

これで、協会の方とも仕事がしやすくなる。


このように、30歳くらいになってから、兄ではなく、弟と間違えられることが多くなった。僕的にはどっちでもよい。今でも良いネタになっているのだから。


人は人、自分は自分

よくスポーツ選手で、兄弟と比較されて悩む、苦しむという選手がいるが、僕は全く意識したことがなかった。それは最初に書いた通りで、妹の方が運動神経がある上に、良い環境を与えられていたから。それに加えて、勝利への執念が僕とは全く違う。いわゆる負けん気が強い、負けず嫌いなのだ。それを子供の頃から分かっていたので、妹と比較したことは一回も無い。

逆に大人になってからは、卓球の強い妹を、上手いこと利用させてもらっている。何事も自分がどう捉えるか。それだけで、プラスにもマイナスにもなるものだ。

卓球を続ける限り、僕はもえ兄であり、弟さんと呼ばれるのであろう。










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