初めてのフルマラソンは、観光地を走れ
センター試験
ニュース、SNSもセンター試験に関する話題で溢れている。センター試験の日は、なぜ雪が降るのだろうか?結構な確率で降っているイメージがある。と、あたかもセンター試験に関する思い出を書く流れですが書きません。そもそも、書きたくてもセンター試験を受けていないので、書けないのである。
僕は、小論文と面接と実技で筑波大学に入学している。初対面の方と話す時、流れで僕が筑波出身と聞くと、「へー勉強出来るんですねー」みたいな感じの反応を受ける。その際は、自信満々で「はい、小論文と面接と実技で、受かりました!」と言うと、簡単に場が和む。ただのスポーツ推薦ではなく、小論文、面接、そして最後に実技を入れるのがミソである。
冬といえばマラソン大会
センター試験の思い出が全くない僕が、冬でふと思い出したのが小中学校のマラソン大会である。「マラソン大会か、5・6年前マラソン走ったなー」と思い出した。僕は誘われてハーフマラソンとフルマラソンを2回ずつ走ったことがある。
2014年11月 戸田マラソン(ハーフ)
ハーフマラソン前、走った履歴がアプリにまだ残っていた。まず8月に5㎞、7分半/kmペースで走り始め、そこから10月には、10㎞、6分半/kmペースまで距離とスピードが上がっている。ハーフマラソンを走るには、半分の10㎞を走れたら完走できると考えていたのだが、実際はハーフマラソンを走るまでは不安で仕方なかった。その為、マラソン本番は作戦を練って臨むことにした。
本番までに、9回練習で走っていたようである。スマホアプリというのは本当に便利だ。11月16日が本番↓
作戦。前半10㎞はものすごくゆっくり走る、後半10㎞は様子をみながら可能であればスピードを上げる。会場は、こちら彩湖の周りを2週するコースである。
本番は、作戦通りにきっちり走った。前半10kmは、おっちゃん、おばちゃんにも抜かされまくる。しかし、慌てることなく、本当にゆっくり走ってペースを守った。アプリでの履歴では、0~1㎞、6分50秒/km、9~10km、6分20秒/km。
※マラソン大会では、カメラマンが写真を撮っていて、参加番号で検索すると(僕は552)自分の写真を簡単に見ることが出来る。
前半飄々と走る。マラソンに参加しているとは思えないほど無表情だ。
ブラジル土産のブラジルユニホームで走る。
後半10km。まだまだ体力に余裕があったので、徐々にペースを上げることにした。結果的に最後の 20~21km、4分20秒/km とラストスパートまで出来ている。完走後疲れたが、「ハーフマラソン走ってみたら余裕だな。前半からもっと速く走っても完走できたわ。」というのがハーフマラソンの感想である。
ゴール直前ラストスパート!
ゴール直後は流石に疲れた顔
作戦が上手くいったこと、完走出来たことで、僕は満足感に浸って、初めてのハーフマラソンを終えたのである。
2015年4月かすみがうらマラソン
今度は、42.195kmのフルマラソン。早速ググると、フルマラソンを完走するには、練習で20km~30kmを走ることのできる走力が必要と書いていた。結果的に僕は、完全な練習不足で当日を迎えることになる。約1か月前から練習を開始し、最長10㎞までしか走ることが出来なかった。
無理して10㎞以上走ろうと思えば可能なのだが、徐々に距離を伸ばしていかないと、膝が痛くなるのである。3km、5km、7km、10㎞、13㎞、15㎞、、、と徐々に膝が耐えられる距離を伸ばしていく。走っていると、「そろそろこれ以上走ると膝がヤバそうだな―」というのが分かってくる。そこまでいったらすぐに走るのを止める。
と言いつつ、実際は膝を痛めてしまっていた。本番まで時間がないことに焦り、一気に10㎞走ってしまい膝を痛めてしまったのだ。何事も経験をして学ぶのである。ちなみに、卓球でもそれから無理をしなくなった。(もともと無理をしないタイプなのだが)
練習履歴はこちら。約5kmを2回走っただけで、10㎞走ってしまった。↓
かすみがうらマラソンとは↓
地獄のフルマラソン
練習不足で本番当日。8:00土浦駅に行くと、すごい人であった。
トータル2万人以上が参加するマラソン大会。愛卓TTCの仲間、大野さゆりさん、平屋慶四郎君とスタートラインに立つ。大野さんはフルマラソンを何回も経験したことがあり、愛卓TTCの仲間をマラソンに誘った張本人である。平屋君は、ジムで練習を積んでいたらしく、20㎞近く走れるようになっているとのこと。頼もしい先輩方である。
スタートの号砲が鳴っても、スタート地点に行くまでにも時間がかかる。スタート地点まで歩くだけで、15分くらいかかった。無駄な体力使いたくないのだが、、、。↓
スタート地点では、ゲストが手を振ってくれている。アントキの猪木、芋洗い坂係長、M高史 かすみがうらにいい具合のゲストである。
スタート地点通過後、3人で走り順調に距離を伸ばす。土浦市内の大きい道路から、徐々に田舎道となり、民家の脇道を走ることになる。大野さんは、途中から自分のペースで走る為、先に行ってもらい、平屋君と二人で田舎道を走ることになった。民家の前では、じじばば達がイスを出して、お茶やビールを飲みながら応援をしてくれる。応援というよりか、一緒にかすみがうらマラソンを楽しんでいるのである。こちらはマラソンで大変なのだが、まったりした雰囲気で和ませてくれる。
田舎道を走っていると、20㎞地点を通過。疲労感はあるが、まだ大丈夫。しかし、だいぶ前からあることに辛くなってきた。何かというと、風景が全く変わらないのである。いくら走っても、何もない。田舎道に定期的にじじばばが沿道に現れるだけなのである。辛い、辛過ぎる。いくら走ってもじじばば。ここで黄色い声援でもあれば頑張れるのであるが、、、。
途中で田舎道から風景が変わる場面がある。マラソン名の通り、霞ケ浦が現れるのである。霞ケ浦とは、日本で二番目に大きな湖。そして、霞ケ浦ではれんこんが栽培されている。茨城県はれんこんの生産量が一番である。「お!霞ケ浦だ!れんこんだ!」と最初は興奮したのだが、、、。
これが地獄のかすみがうらマラソンコースマップ↓
そして、疲労とメンタルが崩れ、27㎞地点でとうとう歩き始めてしまった。そこからは、走って、少し歩いて、走って、少し歩いて、、、の繰り返し。それに加えて、左側に霞ケ浦+れんこん、右側にじじばば これが永遠に続くのである。もうこれは、地獄なのではないか、なにかの拷問なのか、「俺は回し車を走り続けるねずみになったのか」と、マイナスイメージしか浮かばなくなってしまった。「あーこれが東京マラソンであれば、東京の街を走れて、風景も変わるし、沿道にはじじばばでなく、黄色い声援もあるだろうし、マラソン走るならば、観光地がいいなー」と。考えてもこの辛さは全く変わらないのだが。
もし僕一人であれば、絶対に棄権していたのだが、平屋君が一緒に走ってくれていたので、なんとか走り続けることが出来た。途中から、平屋君が地獄の中から抜け出すよう導いてくれる仏様のように見えた。(確か少し光っていたと思う。)
走る割合と歩く割合が途中から逆転し、半ベソかきながらなんとか平屋君に引っ張ってもらっていたところ、40kmあたりで、土浦市街に戻って来た。やっと、霞ケ浦れんこんじじばば地獄から解放されたのである。このタイミングで平屋君に「ありがとうございました。もう地獄か終わったので、なんとか一人で地上に戻ります。僕のことは気にせず先に行って下さい!」平屋君もとい仏様は颯爽とと走りだした。その時点で平屋君は完全に光を放っており、僕はまぶしくて目を細めながら、手を合わせて頭を下げた。
ここから残り2kmは自分一人でゆっくりなんとか前に進んだ。結局、この2kmだけで平屋君とは、タイムで20分くらい離されてしまった。
ゴール後、愛卓メンバーに「お疲れー」と迎えられ、僕が言った言葉は「バリきつい」以上でした。
なんとかフィニッシュ!天気もいまいちでした。
「バリきつい」
仏様こと平屋君
初めてマラソン走る方へ
・しっかり練習すること。最低20kmを走る走力がないと地獄を見ます。
・観光地、都会のマラソンを選ぶこと。景色が変わらないと、メンタル的にキツイです。また、途中から歩き始めたときに、「あそこまで走ろう」と目標があると、なんとか頑張れます。かすみがうらマラソンでは、各給水地点を目標にしていました。
・誰かと一緒に走ること。文中にもあるように5時間半も、走りたくもないのに、走るのは大変苦しいです。可能ならば仏様と走りましょう。
・怪我の対策をすること。マラソン途中でどこかを痛め走り続けると痛みが増します。僕は練習で右膝を痛め不安があったので、人生で初めて膝にサポーターを巻いて臨みました。
・無理はしないこと。無理は禁物です。練習、本番でも怪我してはいけません。怪我してマラソンは走れません。
最後に、僕は一生フルマラソンを走るまいと思っています。
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