見出し画像

2001年4月30日 ティファナ(メキシコ)

21年前の話…。発売されたばかりのデジタルカメラ「IXY DIGITAL 300」(200万画素)を持参していたので、何も考えずに撮った写真が残っている。当時書いて今も残っている文章があったので、併せて振り返ってみた。

2001/4/27~5/3まで、出張で米国サンディエゴに行った。目的は、American Society of Cataract and Refractive Surgery(ASCRS:アメリカ白内障・屈折手術学会)に参加することであった。当時、国内の主要な眼科学会はほとんど参加していたのだが、やはり医療の本場はアメリカ。眼科業界もご多分に漏れず、アメリカが最も進んでいた(今もそうなのかな?)。海外出張の希望は出していたのだが、不景気でなかなか承認されなかったのだが、この時は当時担当していた機器のメーカーが出張費を出してくれることとなり、行かせてもらえることになったのだった。初めての海外出張であった。

当時も今も英語は苦手なので、この時も学会聴講や展示場の見学は当然すべて英語で少々大変であったのに加え、アメリカとフランスの会社とミーティングが計4回も設定されており、そのストレスのせいか、全ミーティングが終了するまでは慢性的な頭痛が続いた。
最後のミーティングが早朝からで午前中に終了したので、ちょっと学会をサボって、メキシコの町ティファナまで行ってみることにしたのだった。

アメリカ合衆国の地図を見ると、サンディエゴという都市はカリフォルニア州の西海岸のほとんど最南端に近い場所に位置している。ここからメキシコ国境までは20~30km程度で、トロリーで40分程度でアメリカ側の故郷の町サンイシドロに到着する。あとは徒歩かバスで簡単に国境を越えられる。
幸い学会が行われているサンディエゴコンベンションセンターの前にトロリーの駅があったので、ここで自動販売機でサンイシドロまでの$2.25の切符を購入して、トロリーに乗り込んだ。

画像1

このトロリーはオレンジラインといい、サンイシドロまで行くには2つ目の駅でブルーラインに乗り換えなければならなかった。

画像2

乗換駅で待っていると、トロリーを待っている人々の中でスーツを着ているのは自分だけで、他の人はとてもラフな格好をしていた。そもそもアジア人らしき人物は全くいなかった。

ブルーラインに乗り込み南下するにしたがい、周辺の景色に変化が見られた。家がどんどん貧乏化していくのだ。中にはトレーラーハウスに住んでいる人の地区みたいなところもあり、この辺は南に行くほど、つまりメキシコに近づくほど貧民層の居住地域になっているものと考えられた。実際サンディエゴの北には、ラ・ホヤという海岸線の美しいリゾート地がある。乗客も社会的地位の高そうな人はあまりいない感じだったが、日本と同様に携帯電話はかなり普及しているようで、多くの人が社内で通話していた(さすがに日本のようにメールを打っているおねえちゃんはいなかったが・・・)。この頃はまだスマホはなかった。
サンイシドロに近づくにつれ、メキシコ領が遠くに見えるようになってきた。ものすごい大きなメキシコ国旗が遠くで旗めいているのが見えた。不思議なことに国境線がどこかはわからないのだが、あの辺から向こうがメキシコなんだなというのがわかった。

画像3

終点サンイシドロはただの駅で、駅前にマクドナルドなどがあった。トロリーを降りると、ちょうどティファナ行きのバスが待っていたので、$1.25支払って乗り込んだ。

画像4

バスが走り出すとギターを持ったお兄ちゃんが唄を歌い「メキシコへようこそ」という感じで迎えてくれる。10分ほどでバスはティファナの町の中のメキシコーチバスターミナルに到着した。バスを降りるとお土産屋になっていたが、ほとんどの乗客はそれを無視してメインストリートに出て行った。72時間以内のメキシコ滞在はパスポートのチェックはなく、勝手に入国できるということだった。したがって、もしパスポートを忘れてメキシコに入国すると、アメリカに再入国する際にはパスポートチェックがあるので大変なことになる。

画像5

メインストリートを国境と逆方向に歩いていったら町並みが途切れてきたので、再び町の中心方向に歩き出す。

画像6

ストリートはお土産屋とドラッグストアしかないといった感じで、こちらがアジア人と見るや否や「ニイハオ」と声をかけ、無視していると「コンニチハ」と必死に客引きしていた。

画像7

町並みはとてもカラフルだが、よく見るとあまりきれいでなく、非衛生的だ。アメリカとメキシコの国力の差を感じずにはいられなかった。

画像8

町を歩いている人に「Please take a picture of me.」と声をかけて買ったばかりのデジカメを渡そうとすると、「I don't know.」と言われてしまう。あとでわかったのだが半分以上の人には英語が通じないらしい。明らかにアメリカ人の観光客とわかる人間を探し、写真を撮ってもらいながらブラブラと歩いていた。

画像9

ソンブレロをかぶってただ立っているおじさんや、日本でいうところのチンドン屋みたいなのがいたり、見ていてなかなか面白かった。

画像10

それにしてもドラッグストアが異様に多かった。3件に1件の割合だ。米国内で薬が非常に高価なため、みんなツアーで買出しに来るという話だった。

画像11

事前に調べておいた日本語の通じるお土産屋「アステカ」に入ってみた。今もあるのだろうか…。売っているものは銀製の食器やアクセサリー、オパール、皮製のコートや帽子、敷物等だった。

画像12

見たところ日本人っぽい女性の店員さんに「ツアーですか」と声をかけられ、「一人です」と答えると「エーッ、一人でこんなところに来たんですか?」などと言われた。確かにスーツ姿で彷徨いているのは自分1人だけであった。仕事でサンディエゴに来たついでにちょっと遊びに来た旨を話すと、あんまり変な通りとかには入らないほうが良いと注意された。やはり治安が良くないらしい。

画像13

聞くところによると、日本人はよくやられるそうで、昼間メインストリートを歩くぶんには大丈夫だが、路地や夜は危ないらしい。たまに日本人が殺されるということ言っていた。

画像14

この時も、ロサンジェルス駐在の日本人ビジネスマンが一人で遊びに来て、夜複数の男に襲われ、身包みはがれ首を閉められて声も出なくなったらしいという話を聞いた。

画像15

女を安く買うことができるので若い日本人のビジネスマンが一人で来たりするのだが、痛い目にあって帰るらしい。殺されないだけマシという話だった・・・。

画像16

「アステカ」で若干の土産を購入し、再びアメリカ国境に向けて歩き出した。歩いて国境をいうものを越えた経験がなかったので、来るときはバスを使ったこともあり、どうしても歩いて越境したかったのだ。

画像17

国境は両岸が広いコンクリートで固められた細い河を渡る橋であった。ここを越えて不法入国しようとしても広くて隠れることはできないであろう。河を越えると入国管理局があり、パスポートをチェック、手荷物がX線検査され、無事米国に戻った。

現在のティファナはどうなっているのだろうか…。多分もう行くことはないであろう。ネットで調べてみようか…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?