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メディカルニッコール120mmF4の思い出

自分がメディカルニッコール120mmF4というレンズを知ったのは、1982年、中学3年生の時であった。

当時天文少年であった自分は、バルブで電池が消費されないメカニカルシャッターの一眼レフカメラが欲しくて、この時発売されたばかりのニコンFM2を購入した。本当はキヤノンF-1(旧)が欲しかったのだけど、すでにNewF-1の時代になっていたし、何より高価で購入できなかった。キヤノンが欲しかったのは、天体写真家の藤井旭さんがキヤノンのフローライトで素晴らしい天体写真を発表していたことに影響されていた。

当時、ニコンのカメラを購入すると、「新・ニコンの世界」という書籍が送られてきた。この写真集のような書籍は、有名な写真家がニコンのレンズを使用して撮影した写真や、「ニコン史」というページではニコンの歴史とカメラの伝説的な話が掲載されていて、当時夢中で何度も読んでいた記憶がある。
当時ラインアップされていたほとんどのレンズで撮影された写真が掲載されていて、Close Up(接写)のコーナーで、メディカルニッコール120mmF4で撮影された写真が掲載されていた。その写真は真っ赤な口紅の女性の唇と歯並びのいい真っ白な歯を強拡大で撮影したものだった。
医療用途のレンズなのに、こういうものを撮影するのか、と思った。当時思春期の男子中学生にはかなりエロティックな写真に見えた。

知識としてこういうレンズがあるということは知ったところで、通常お目にかかることはないレンズである。
ところが1994年頃、このレンズを使う機会が訪れた。
この頃、自分はH社でコンタクトレンズの治験の仕事を担当していた。コンタクトレンズは医療機器であり、薬と同じように厚生省の承認を取得するためには、治験を実施して臨床的な有用性と安全性を確認しなければならなかった。さらに人間の眼で臨床試験を行う前には動物実験もしなければならず、これも担当していた。

動物実験には、ニュージーランドホワイトという種類の白色家兎10羽を用いた。板橋にある医学部の動物舎で、10羽のウサギちゃんに毎朝コンタクトレンズを装用させ、夕方に外して洗浄・消毒を行い、これを21日間繰り返すのが仕事であった。途中でコンタクトレンズが脱落することもよくあるので、数時間ごとにチェックして、コンタクトレンズが外れていたら消毒済みのものを装用させなければならなかった。
実験開始時、1週間後、2週間後、3週間後(最後)に眼科医による家兎眼の検査を行い、写真撮影を行った。角膜や結膜の検査は動物舎にある細隙灯顕微鏡で眼科医が写真撮影も含め行ったが、外眼部の撮影を自分がメディカルニッコールを使用して行ったのであった。
メディカルニッコールはこの大学の医学部眼科学教室の備品で、ニコンNewFM2とセットになっていた。当時、自分もニコンFM2(Newではなく、シンクロが1/200秒の初期型であったが…)ユーザーであったので、「外眼部の撮影はオレに任せろ」ということで毎週10羽のウサギちゃんの両眼を一所懸命に撮影した。ピント合わせの微調整は体を前後させて慎重に行った。フィルムはフジクロームの400を使用していたと記憶している。

この仕事の最も辛かったのは、3週間一緒に過ごしたウサギちゃん達を自分達で屠殺して、眼球摘出までしなければならなかったことである。摘出した眼球は、病理標本にして異常の有無を確認しなければならない。眼科医の検査が終わり、自分のメディカルニッコールによる外眼部の撮影が終わったら、この嫌な仕事の最後の仕上げ業務であった。その時は、仕事とはいえこんなことしていたら一生呪われるなぁ、と思っていた。気のせいか、その後1か月ほど肩が重かった。

昨年、中古カメラ市でこのメディカルニッコール120mmF4を見かけた。同行していた後輩に、「先輩これ買ったらどうですか」と言われ、苦笑いした…。

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