友達の鞄を必死に掴んだ、センター試験の帰り道

14歳で目の病気を告知されてから24歳で白杖を使い始めるまで、グレーな時間を過ごした。みんなと同じように見えるわけでもなく、かと言って、白杖を使うほどでもなく。

ただ、夜だけは例外で、本当は白杖を使ってもいいぐらい夜は見えてなかった。でも、白杖を持つこともそれを説明することもできなかった。その勇気がなかった。

冬は日が短くなり、暗くなるのが早い。僕が高校生の頃、部活終わたっときや7時間目の授業が終わったとき、すでに外が真っ暗だった。見えない道を歩かなければならないことに内申ずっとビクビクしていた。学校の門から地下鉄の入り口までの道を歩くのが、とても怖かった。

センター試験が行われる1月も、当然日が短かった。しかも、試験会場が自分の通っている高校ではないので、慣れない道を歩かなければならなかった。試験後の真っ暗な帰り道、目が見えないことをごまかしきれないと思った。出席番号が隣りの友達に「暗くて見えないから鞄につかまらせてほしい」と頼んだ。惨めで恥ずかしかった。

目が見えないこと、友達に頼ることそのものは、何も恥ずかしいことではない。でも、僕の中ではそれは「恥ずかしいこと」になっていた。今でもまだそう感じるところがある。

そんなネガティブなラベルを1つ1つ剥がしていくことによって、生きることが少しずつラクになっていく。「別に恥ずかしいことでも何でもなかったんだ」とか、「思っているような悪いことは起きないぞ」とか、ネガティブなラベルが間違っていることを実体験で見つけていく。見つけて剥がしてみたら、もう1枚同じラベルが貼られていたなんてこともあるんだけど、それはそで前に進んでいる証拠なんだと思う。

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