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つぶやき日記

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noteのつぶやきで綴った日記です。
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#視覚障害

久しぶりにがっつりランニングでインターバルトレーニングしてきた。800mを5本。3分35秒、37秒、38秒、40秒、33秒。思ったよりしっかり走れて楽しかった。ただ少し疲れたので、いつも帰宅後少し寝るけど、今日はいつもより長めに寝ました。そういえば、公園で蝉が一匹鳴いてた。

ライターでなくともビジネスパーソンも文章を各力があって困ることはない。コミュニケーションとしてのメールやチャットもそうだし、対外的なホームページ、メルマガ、SNSも書かないと始まらない。ソフトウェア開発という仕事でさえ、書くスキルは重要だ。むしろ何かを書いている時間は長い。

岸本佐知子さんのエッセイ、『ねにもつタイプ』を読んだ。
穂村弘さんもそうだけど、どうやったらこんな面白いエッセイが書けるのだろう。
どうやったらそんなわけのわからない妄想が展開されるのだろう。
真似はできない、できないのはわかってるけど、面白いものを僕も書きたい。

今日は連続投稿の150日目。まだまだ試行錯誤だけど、応援してくれる人がいるから続けられる。いつもありがとう。

近藤康太郎さんの『文章は、「転」。』を読んだ。文章を書き始めると、書いているうちに想像していなかった部分に及ぶことがある。そこが一番個性の出るところであり、自ら面白いと感じる部分でもある。読むと、またnoteを書こう、書きたいという気持ちになる本。

目の見える人が見えない人のことを共感するのが難しいのではないかと感じる理由。昔は見えていた僕が30年かけてほとんど見えなくなって、見える人の感覚はほとんどないし、こないだまで当事者だった弱視の人の気持ちさえもよくわからなくなっている。今の自分の状態が主体になるし、それが普通。

茅辺かのうさんの『アイヌの世界に生きる』を読んだ。和人として生まれるもアイヌの娘として育てられたトキさんの人生についての聞き書きと著者のエッセイ。トキさんの生き様や考え方が好き、憎めない感じ。読みながら、背景の北海道の広い大地も感じられる。いつか行ってみたい。

noteを続ける理由。最悪本を出版できなくても、生きた証を残したい。ウェブログではなくライフログ、遺書に近いかも知れない。最悪フォロワーが増えなくても、自分の学びや心の傷の治癒につながっている。自分が幸せに生きることが、この世界にとって良いこと。

手に触れて初めて実体化する世界。
思ったより大きいドトールのSサイズ。
思ったより小さい上島珈琲店のコーヒー。
駅で声掛けしてくれたおじさんの汗ビショの腕。
目が見えないと一つ一つが驚きです。

今朝2つ音声を投稿したら2つとも5分を超えてしまってブツ切れてた。しかも2つとも一度5分超えたから撮り直して、今度は5分以内に収まっただろうと思って録音時間を確認せずに公開して、後から気づいた。全く本当にダサい。

原田マハの短編小説集『あなたは、誰かの大切な人』を読んだ。いいタイトル、そしてどの話も心に残る。中でも「無用の人 Birthday Surprise」という話が一番良かった。最後のシーンが印象的で、とても美しかった。自分の目で見ているかのようにはっきりと脳裏に思い浮かんだ。

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仕事は属人化しない方がいいと言うけれど、前まで自分のしてた仕事を他の人が担うことになったとき、どう心を整えればいいのか。しかも僕がその人を紹介してトレーニングにも関わって、多大な貢献をしたのかただのお人好しか。自分でなくても回るものは手放した方が後々良い方向に向かうと信じたい。

未来の自分にアドバイスをもらうという話を耳にすることがある。そこで、10年後の自分に「本を出すとしたらそれはどんなタイトル?」と尋ねてみた。
・・・。
特にインスピレーションは得られなかった。10年後、まだ出版してないかもしれない。20年後の自分には怖くて質問できない。

先週奈良に帰省中に軽いぎっくり腰になり、完治しないまま出張へ。治りがイマイチだったので、慣れない土地で急遽整体を予約。当然初めてのところなので少し不安たったけど、すごくいい整体だった。ちょうどキャンセルになったところに僕が予約したみたいで、縁があるときはピタッとはまる。