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つぶやき日記

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noteのつぶやきで綴った日記です。
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2024年5月の記事一覧

大丸福岡天神の買い物アテンドサービスを利用した。今回で3回目。ワークショップに参加させてもらって以降、とても身近に感じてよく利用するようになった。実際アクセスが地下鉄の駅直結なのがありがたい、視覚障害者にとってアクセスの良さはかなり重要。

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ずっと真面目な顔して仕事したり勉強したりしてると何かが足りない感じがしてくる。何かと思ったら、お笑いの要素だと気付いた。TVや動画を見たりするだけではダメで、関西のノリでくだらないことを話す時間が僕には必要だ。18歳までに血肉に染み込んだものは一生モノなのかもしれない。

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しょうがないんだけど、目が見えないことに関連したことを書いたり調べたり考えたりすることに、自分が飽きちゃってる。僕の個性的な部分ではあるし、役割として求められる部分はとてもありがたいけれど、鮮度を保つ方法を教えてほしい

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「もし目が見えなくなったら」という仮定の問いかけが、晴眼者には仮定であっても、僕には現実。
国立新美術館で見た「遠距離現在 Universal / Remote」という展示、とても良かった。
別々に書こうと思ってたけど、2つセットでいいかなと思ってくっつけてみた。

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例えばこのタオルは黒色だとおもってたものが、実は白色だったということがよくある。そのとき、僕の中で感じていたイメージと現実とのギャップが明らかになったわけだけど、かと言って僕の中にあったイメージがニセモノだったとも思っていない。シュレーディンガーの猫の話ってこういうことかなと。

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若いとき、自分は人見知りだとわざわざ思うまでもなく人見知りだったはずなんだけど、いつしか知らない人とでも何でもない感じで話せるようになった。
それはもともときっとその要素が僕の中にあったはずで、どんな人にも今は所有できていない才能が眠っているんだろうな。

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左があるから右があり、下があるから上があり、悲しみが感じられるから喜びが感じられる。 もし世の中に喜びしかなかったら、喜びは体験できない。 この世界は相対性でできていて、相対性の中に気づきがある。 いや、そうじゃなくて一番言いたかったのは、今悲しい気持ちってこと。

まちなかで誰かに助けてもらったとき、その人にとって初めて出会う視覚障害者が僕ということが、結構よくある。
次にまた視覚障害者に声を掛けるかどうか、そのときの印象が大きく影響すると思っている。
だから、その一期一会が良い時間だったと思ってもらえるようにちょっと意識している。

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カメラと人工知能を搭載したメガネ型デバイスが、いよいよ視覚障害者の生活を一変しそうだ。
これを日常的に使うようになったら、「見えない」ということの定義が変わりそうな気がする。

インクルーシブデザインワークショップにて、「目が見えないけどチャレンジしたいことは?」というお題が出されました。僕が出した回答は「ゴキブリ退治」。目の見えない人のゴキブリ退治がいかにシュールか想像してほしい。ともすれば、出てきたことにすら気付かないことがあるのだ。

スマートスピーカーに時刻を質問して、返事が返ってくる前に別のことを考えて、
意識が上の空になっている間に時刻を聞き逃すということを、1日に1回ぐらいやっている。
結局、今何時なの?

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「害がダメなら障もダメでしょ」
NPO法人ノアールの熊篠さんが、YouTubeの古舘伊知郎チャンネルで、障害者の害をひらがなにすることに関してそのように話されていた。
その通りだなと思った僕の肌感覚では、障害当事者はひらがなにすることにこだわっている人は少ないと思う。

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タンスの中を掃除したら12万円出てきた。掃除したらいいことがあるものだなと満足していた。
後日、公金の支払い請求があり、金額が12万円だった。
何もないところから喜びが飛び出してきて、手にしていると思ってたのに虚空へ消えていった。
この状況を見事に言い表している諺を教えてほしい。

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最近よく聞く「タイパ」、個人的に100年後に残しておきたくない日本語です。言葉に趣がない。 一方、鶴瓶さんの言葉で「忙しい人には時間がある。暇な人には時間がない。」という言葉が好きです。慌ただしいときに、ふと思い出して励みにしてます。