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『おかえりモネ』で描かれなかった登米のもうひとつの顔と、霧の中の撮影の関係

『おかえりモネ』では、北上川と、古い街並みと、森林のある町として描かれたのが登米だ。このショットは、実在の「登米町(とよままち)森林組合」の建物。私がお邪魔した時には、2人の職員の方が、事務所で仕事をされていた。

『おかえりモネ』の企画が進んでいる中、ここにも、NHKのスタッフさんが、大勢で訪問されたそうだ。事務所の中をうろうろして、いろんな所を見ていたという。この事務所は、ドラマの撮影には使われなかったが、木の伐採や、植林などの計画や、日々の運営の中心はここだ。ドラマで見た森林組合の人たちの日常は、こういう場所にあるんだなと、納得した。

登米町(とよままち)は、合併した登米市の中の、ひとつの町になってしまっているが、平成17年(2005年)以前は、登米郡登米町という、独立した自治体だった。

それどころか明治時代には、短い期間だったとはいえ、水澤という名の県の「県庁」が置かれていた場所だと聞いて、後回しになっていた記念館へ直行した。話をお聞きするうち、登米(とよま)は、もともとは、〝港町〟だったこと知った。北上川を利用した水運の拠点のひとつだったのだ。

北上川に隣接し、登米(とよま)の町のすぐ上流側にある寺池園。元は寺池城という城があったそうだが、昔から軍事上も重要な場所だった証拠だ。

登米(とよま)が城下町であり、港町だったことだけでもびっくりしたが、私が何より驚いたのは、ここに林業や農業ではなく、〝漁業共同組合〟が存在することだった。

モネが、朝岡さんやサヤカさんと3人で「移流霧」を見た場所、「鴇波水門」。ここは、公園としても整備され、ほんとに綺麗な場所だが、GoogleMapで見てた時から、不思議なノボリが写っていて、何だこれは? と思っていた。

「さけ採捕場」の文字の脇に〝北上川漁業共同組合〟とある。何も知らない私は、冗談か何かの間違い、としか思えなかった。でも、場所は確認できたし、気仙沼からの所要時間も分かった上に、こんなに天気が良く、気分は上々だった。

翌日は午前4時に起床し「移流霧」を見るための準備をした。午前4時の気仙沼は、まだ雲が多く気温も高かったので、気嵐は望めなかったからだ。ちなみに、移流霧については、どんな状況で発生するのか、天候との関連が分からなかったので、気嵐の可能性が無い日は、毎日でも「鴇波水門」に通うつもりだった。

その日は、三滝堂の「道の駅」から登米の方を見ると、もうスゴい霧が見えて「チャンスだ!」と思い込んだ。登米東和ICの付近では、視界が50m以下になるほどの濃霧。これは「鴇波水門」も期待できると思ったのだが、登米ICに近づく頃には霧は薄くなり、「鴇波水門」の方角である南を見ても、霧など全く見えなかった。上の写真は、振り返って見た風景。もしかしたら、これが「移流霧」だったのか、とも思ったが定かではない。でも、明らかに東の山側から西へと流れていた。

「鴇波水門」は憎たらしいほどの快晴。日の出を迎えてしまった。これでは、北上川の日の出を写しに来ただけじゃないか、とも思ったが、何やら水面が怪しい。

昨夜の雨で、湿度が高かったから、山には、もやがかかっていて、それが、朝日で白く輝き出した。水面を見ると、何やら見たことのあるような光景。

下流に見える橋の橋脚辺りの水面に、朝日が差し込むと、あ、蒸気霧が出ている。原理的には、気嵐と似たような霧だ。

動画で撮影したひとコマを静止画にしたもの。気嵐‥じゃない蒸気霧が、ちゃんと写っている。これを撮りに来たのではないけれど、キレイだから、まぁいいかと思った。

と、その時、背後に人の気配。モネが見つめた川面の反対方向から、何やら人の気配がする。それまでは「鴇波水門」をくぐって旧北上川の方へ分流される時の水音しか聞こえなかったのに、人の声もする。

ひとりが堰の上で、あとの2人は、水路の中に入って、何やら水の中を探っている様子。聞けば、許可をもらって、さけ(鮭)を採っているとのこと。思わず「漁師さんですか?」と聞いたら、笑いながら「いつもは、農業をやってる」と答えてくれた。

さらに話を聞くと、この分流の堰を作ったために、さけの遡上が妨げられて卵が産めなくなったので、こうやって魚を捕らえて、卵を孵化させて、またここに戻すんのだと教えてくれた。

捕らえたさけを、孵化場に持っていくのが、この時期の日課だが、明日は、登米市内の小学生が見学に来るので、その時のために、見せる魚体を確保しているとのことだった。明日の天気も快晴が予想され、こういう時は、さけが捕れないことが多いからだそうだ。確かに、何度も網を入れて、やっと一匹という感じだった。

明日の小学生の見学の内容は、こうだ。まずここで、さけの採捕の様子を見る。そして、ここでさけの魚体に触ったり、すくう網の重さを体感した後、バスで移動し、東和町にある漁業組合の孵化場を見学させるのだと言う。厚かましいとは思ったが、ご一緒できないかとお願いしたら、あっさり承諾してくれた。

さて翌朝。未明に「鴇波水門」に到着したが、霞も出ないくらい快晴で暖かい朝。午前8時半には、小学生もやってきた。みんなが見守る中、大きな網が差し込まれる。

脇にいるメンバーが、指差した先に、さけが見えた。

何と、あれだけ条件が悪いと前振りしておきながら、まさかのダブル!小学生は歓声を上げる。実は、この直後にもダブルで採捕。皆さんとっても嬉しそう。

ここからが凄い。登米の小学生は、さけをどんどん触る。持ち上げる。走り回る。網にも興味を持って、みんなで担ぎあげる。こうやって、北上川のさけを守ることを覚えていくんだなぁと思った。

それから、バスで移動し着いた先は、登米市の最北に位置する東和町。ここに「北上川漁業共同組合」の建物がある。あ、トムさんの喫茶店の外観の撮影場所となった「one world」から、そんなに遠くない場所だ。

それにしても、さけの孵化のためだけに、こんなに立派な施設があるとは驚いた。職員も大勢いる。

建物の裏には、大きなプールのような水槽。採捕されたさけは、まず、ここに集められる。そして、受精に適する時期が来るまで、ここでしばらく泳がされる。時期が来れば、担当の人が選別して、孵化場へ運び、採卵と受精を行う。

これは、子どもたちに、さけの年齢を勉強してもらうための鱗を、組合の人が採取しているところ。奥に準備された顕微鏡で、みんな見ていた。

準備が整ったさけ。

こんな風に受精させて、

四角いかごに入れ替えて洗浄し、この四段の滝のような箱で孵化を待つことになる。

最終的には、こんな感じ。サーモンピンクの真珠のようだ。白濁しているのは死んでいるので、すぐに取り除くそうだ。孵化したら、手前の方に流されて、別な水槽に自動的に移っていく。

キレイな水を常に流さなければいけないので、専用の水源を井戸から確保している。温泉で言えば「かけ流し」状態。もう、香川県の人間からすれば、考えられない水の使い方だ。羨ましい限り。でも、大変な作業。さけを守るために、ここまでやってくれてるんだと感謝したい気持ちになった。

東和町からの帰りに、登米(とよま)まで帰ってきて、モネが自転車で走ったり、菅波先生と歩いた場所に行ってみた。森林組合のある町だとばかり思っていたが、元々は〝港町〟であり〝漁業組合〟がある町でもあったことを知り、ここまで来て良かったと思った。

ここで、ひとつ、『おかえりモネ』の撮影にまつわるエピソードを紹介したい。この、さけの採捕と関係があるのだ。

当初、『おかえりモネ』の撮影スタッフは、さけの採捕をしていたあの場所から「移流霧」を見つめる3人を撮影したかったそうだ。しかし漁業組合の方は、許可できなかった。撮影は、霧が出るまで行われる訳で、作業の邪魔になる。遡上したさけを、少しでも早く捕らえたい組合の方々の承諾は、最後まで得られなかった。遅れれば、繁殖に適さなくなってしまう。これは絶対に避けたいとのこと。

私は、この後どうしても霧が撮影したくて、もう一度出かけた。ただ、濃霧だった。もちろんこの日も、漁業組合の方が来て、さけの採捕に取り組んでいた。さけの採捕が全くのボランティアだと聞いて、もう一度驚いた。

私の撮影の方は、とにかく霧が濃いので、少し遠くはホワイトアウト。日の出の後、1時間以上粘ってはみたものの、日輪すら見えないくらいの濃い霧が続いたので、撮影は諦めた。でも、霧の中は心地よかった。

鉄橋が、途中から見えない‥。濃すぎて。汽笛を鳴らしながら、突然列車が現れる感じ。動画はしっかり撮れた。YouTubeにまとめたい。

一方、さけの採捕は、こういう霧の中の方が好ましいとのこと。どんどん採捕していた。

そして帰り際、この霧の中で思った。もし、さけの採捕がなかったら、モネ、サヤカさん、朝岡さんは、この場所に立って、旧北上川の流れの方向に見える、こんな霧を、見つめていたかもしれないなぁということ。こちらの方が水面に近く、気仙沼の内湾や岸壁から見る「気嵐」に似て見えるのは確かだ。

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