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『カムカムエヴリバディ』に、そこはかとなく漂う『ムーン・リバー』の響き

 深津絵里さんが、オードリー・ヘップバーンに似ている、という話は、もう随分前から聞いている。いかなる役を演じても、そこに凛とした輝きを見せてくれるからだと、私は理解している。

 今季のNHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の「大阪編」で、2番目のヒロイン〝るい〟役を、久方ぶりのTVドラマ登場の深津絵里さんが好演しているが、随所に『ティファニーで朝食を』を想起させるシーンがたびたび出てくる。細かな設定やストーリー展開が似ている訳ではないのに、そこかしこから匂い立つように、『ティファニーで朝食を』の楽曲・『ムーン・リバー』が感じられるのだ。

ふたりの漂流者

 いうまでもなく『ティファニーで朝食を』は、大都会にひとりで出てきて、必死に生き抜こうとしている男女が偶然に出会い、お互いに惹かれあっていく物語だ。『カムカム』でも、〝るい〟と〝ジョー〟は、たまたま〝るい〟が働くことになったクリーニング店で出会い、お互いに好意を寄せていく。

 女の子は、過去と決別するために、田舎を捨てて都会に出てきた。一方の男の子は、才能があるのに開花せず、都会のしがらみの中で、なんとか生き延びている感じ。

 この男の子が、女の子に出会ったことで、才能が開花する。しかし、女の子は、頑なに「縛られたくない!」と言い放ち、男の子の、気持ちを受け入れようとはしない。

決別したはずの田舎に縛られる日々 

 そもそも、岡山で〝るい〟から母・安子が離れていった理由は、雉真家からの支援を受けずに〝るい〟の傷を治す資金を稼ぎ、将来は兄・算太を含めた3人で一緒に暮らすためだった。

 おそらく〝るい〟は、伯父・算太が、母のお金を持ち逃げしたことは、もう知っているはずだ。だからこそ治療の資金を出すという、今は亡き雉真の祖父の申し出を、〝るい〟は断り続けた。その理由は「雉真家に縛られたくない」という気持ちからだった。

 しかし、そのために彼女は初恋を成就させることができず、二度目の恋でも、ジョーが苦しんでいるのが分からないほどに、混乱していた。決別したはずの田舎の陰が、都会に出て変わろうとした女の子の足を引っ張るのだ。

変わろうとしなくていい

 そんな中で出会う男の子は、過去に深い傷を負った女の子に、「変わろうとしなくていい」と寄り添い続ける。女の子は、少しズボラな男の子を少しだけ支えながら、そして、意図しないところで、男の子の創作意欲をわかせながら、自分を取り戻していくのだ。本来、自分の中にある力で、幸せになれることを教えてくれるかのように。

 大雑把過ぎるかもしれないけれど、今の自分を肯定しつつ、一緒に未来を語れるパートナーの存在を見つけるまでの物語が『ティファニーで朝食を』だと思う。そんな物語のエッセンスが、『カムカム』には感じられるのだ。

雨の中の「真っ赤な気持ち」

 『ティファニーで朝食を』では、女の子が憂鬱な気分になった時、その気持ちを「真っ赤な気持ち」と表現していた。普通、憂鬱は「ブルー」が定番だけれど、彼女はそうは感じないと言う。

 ジョーの気持ちが〝るい〟に通じ、おそらく初めてのキスにつながった洋服店のシーン。なぜかその日は、傘をささなければならないほどの雨の日だった。有名すぎる『ティファニーで朝食を』のラストシーン、猫を真ん中に挟んで抱き合うふたりには、もう、これでもかと雨が降る。

 そんな中〝るい〟は、真っ赤な傘でやってくる。これまでの〝るい〟のコーデからは考えられないような、派手な赤。ジョーのために選んだ上着も、これまた真っ赤。

 店内には、赤い薔薇の花も飾られていたし、赤は情熱の象徴でもあるから、そういう演出だって別に不思議でもなんでもないのだけれど、『ティファニーで朝食を』を思い出すと、どうにも別な意味にも見えてくる。

そもそもジョーの苗字が「大月」だし

 劇中で歌われる『ムーン・リバー』は、そもそも〝郷愁〟をセンチメンタルに謳っている。幼き日々を過ごした、あの川べりが懐かしいみたいな、日本で言えば『ふるさと』みたいなテーマの曲だ。

 ジョーの苗字を「大月」にしているのも、もしかしたら『ムーン・リバー』の〝ムーン〟からかなぁ、などと思ってしまう。そういえば、ジョーと〝るい〟が、それぞれの家で、大きな満月を見上げるシーンもあったなぁ〜。

 そして、ふたりの思う〝故郷〟は「岡山」だ。岡山の旭川の川べりと、大阪の今の住まいのそばの川べりが似ている、というセリフもあった。川べりの道は、かつて〝るい〟が何度も母・安子と通った道だ。まさに〝ひなたの道〟だった。

ショーウインドウの前の女の子

 あまりにも有名な『ティファニーで朝食を』のオープニングのシーン。夜の仕事を終えた主人公の女の子が、着飾った服で未明のティファニー本店の前にタクシーで乗りつけ、開店前のショーウインドウの前で、テイクアウトのパンをかじりコーヒーを飲みながら、装飾品を眺める。高価で買えないが、ここへ来ると、憂鬱な「真っ赤な気持ち」が癒され、明日への活力が湧く、みたいなシーン。

 『カムカム』でも、初めてルイ・アームストリングのLPを買った〝るい〟が、電器屋さんの前で、LPを聴くための「携帯プレーヤー」を見つめるシーンが出てきたけれど、なんだか、似たような空気感があった。映画では、もちろんストリングスの『ムーン・リバー』が流れていた。

女の子の〝傷も一緒に〟受け止める男の子

 男の子は、女の子の「心の苦しみ」を理解しようと努力し続ける。拒絶されても男の子はねばる。最後の最後まで。そして雨の日、ふたりの気持ちは通じ合う。

 『ティファニーで朝食を』では、『ムーン・リバー』がコーラス付きで高らかにリフレインされる。そして物語は〝おしまい〟。

 『カムカム』は、そのラストシーンを超えていく。都会で出会った女の子と男の子の、その後を描いていく。これがとても楽しみだ。『ティファニーで朝食を』のその後が見えてくるような気持ちにさえなってしまう

 「〝傷〟を受け止める」のは、簡単ではないと思う。『ティファニーで朝食を』でも、女の子のお兄さんの訃報が届いた時、女の子は半狂乱になる。部屋中のあらゆるものを破壊し尽くすかのように、暴れまくる。

 『カムカム』でも、話題になったシーンがある。ジョーが〝るい〟にとって大切な曲だと知って、あの『On the Sunny Side of Street』演奏した時、曲の途中で会場を飛び出し、心配して追いかけてきたジョーに、恨み言だけを吐いて、ひとりで帰ってしまった。

 〝キャラ変〟に見えた視聴者も少なくなかったようだが、深い心の傷に、悪意は無いにしても、厳重に鍵をかけた部屋に土足で踏み込まれたようなものだから、私には、怒るというか、混乱する気持ちはよく分かるように思えたが、それまでの控え目な〝るい〟の様子とは一変していたのは確かだ。

原作はハッピーエンドではない

 『カムカム』は、前代未聞の「ヒロイン3人制」で、〝るい〟が結婚し、娘に恵まれるまでは、公式にもアナウンスされているから、その後の幸せは担保されているが、〝るい〟を支える男性は、かなり大変だと思う。それも含めて、これからの物語の展開が、楽しみで仕方ない。

 もっとも、『ティファニーで朝食を』の原作は、ハッピーエンドではない。野良猫に名前をつけなかったヒロインは、自分自身も、誰にも所有されないことを望んだ。その延長線上に結婚はあり得ない訳で、感動のラストシーンで終わる映画とは、全く趣が違う。

 『カムカム』のヒロイン〝るい〟にしても同じだ。ハッピーエンドで終わるわけにはいかない。娘の〝ひなた〟へとつながる何かがなければ、物語が続かない。

〝るい〟の学生時代が気になる

 やはり〝るい〟の、大阪へ出る前までの生き方が気になる。母・安子が渡米してのち、雉真の家で生活しながら、どんな教育を受け、どう育っているのか。

 大阪へ出る1年前から学校をやめ、書店でアルバイトしていることを、隠していたとはいえ、雉真家の誰もが知らなかったというのは、ちょっと衝撃的だった。

 叔父の勇に至っては、安子がなぜ渡米せざるを得なかったかすら、分かっていない様子だった。仕事に忙しい祖父と叔父を除けば、大人は雪衣さんひとり。彼女に気を遣いながらの雉真家での〝るい〟の居場所は、有って無いようなものだったのかもしれない。

 『カムカム』は、三世代につながる物語だから、〝るい〟で幸せになってしまえば、『ひなた編』に繋がらない。〝るい〟もまた、安子のように、幸せの絶頂から突き落とされる何かが待っているのは、間違いない。

 

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