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気仙沼は「海面上昇」に対応できる最先端の街だ

気仙沼を歩き回りながら、海沿いのさまざまな復興の様子を目の当たりにした。かさ上げされた住宅街。動力や人力必要としない自動浮上式の防潮扉や防潮堰。それが、街を津波から護るために、それぞれの場所で整備され続けている。

歩き回った3日目頃から、これらの整備に対する見方が、どんどん変わって来たことに、まず自分自身が驚いた。復興した、復興しつつある街を見たい、という思いが、最先端を学びたい、という気持ちに変わっていたからだ。

もしかしたら、「海と生きる」という気仙沼の心意気の中には「震災から立ち上がる」とともに、「地球温暖化にも耐え抜く」という、未来志向の発想が既にあるんじゃないかと感じたからだ。

ご存知の通り、我が瀬戸内海沿岸は、ここんとこ異常気象と海水面の上昇が重なり、島嶼部を中心に、高潮の被害が続発するようになった。漁港には1m弱の防潮壁が作られ、車や人が出入り出来るよう、可動式の扉やスライドする遮蔽物が設置されてはいる。

しかしその中に、浮力を利用した自動開閉式の陸閘など、見たことがない。明らかに気仙沼のそれは、最先端の装置である。瀬戸内海沿岸の潮の干満の差は大きい。このまま地球温暖化が続けば、沿岸の高潮は間違いなくその頻度を増す。最先端を目で見るためにも、現地を訪れるのが最も効果的だと思われる。

新次さんやりょーちんに言わせた「海は悪くない」の意味を、ドラマを観ていただけの私は「自然災害は受け入れるしかない」の意味で捉えていたが、どうやら間違っていたようだ。「海と生きる」ためには、全てを自然任せにするのではなく、人間として出来ることがあれば、それはキッチリやっておく、という覚悟なんだと今は思っている。

「学びたい!」 それが旅をここまで長くした、大きな原動力となっていたのは間違いない。

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