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何故会社に入らなかったのか

おはようございます。佐藤です。今回は私が独立をした理由についてお話をしようと思います。お時間よろしければ見ていただいてくれると幸いです。

自己紹介にもあったように私は都内の2年制の専門学校に入学し英語とビジネスについて勉強していました。(いい企業に入って若くから活躍したい)そんな思いをしながら通学していました。

二年生になり就活が始まるそんな時期(本当にやりたいことってなんだろう。)そう考える日がやってきました。(お金持ちになりたい)はいいとして、肝心な(何をして)の部分が何も考えていなかったからです。父親にも相談したところ、どんな会社に入ろうと(福利厚生をしっかりしているところに入りなさい)そう言われ、どうしようと考えていた時、私は趣味を仕事にしようと思いました。車が大好きなので車の職に就こうと2社どちらも車の会社に面接を受けることにしました。

1社目は大衆車からベンツなどの高級車販売を展開する⭐︎社、2社目は高級車しか販売しない●社ランボルギーニなど富裕層を相手にする会社であった。ワクワクが止まらず1社目の面接を行い、最終面接までいきました。しかし連絡がきませんでした。切り替えて次の会社で内定をもらおうとそう思いました。そこの会社の面接も最終選考までのぼり詰めました。

私の就活も終盤に近づいてる、そう思いながら最終面接まで一週間、面接の準備をしている時、38°の熱が出てしまいました。(まあ一週間もあれば治るだろう。)そう考えてましたが、熱は下がるどころか、上がる一方でした、流石に病院にいき、診断されたのは(風邪)でした。処方箋から抗生物質をもらい、三日後の最終面接に備えましたが、面接の当日熱も下がらず、休むわけにもいかないので熱がある状態で面接を受けました。終わった後、尋常じゃないほど汗が出てきてその日の熱を測ったところ40°の熱があり、普通の風邪ではないと思い救急車で夜間の病院に行きました。インフルエンザの検査をしましたが結果は(陰性)で翌日に改めて病院に行ったところ、(マイコプラズマ肺炎)にかかっていることがわかりました。医師からは(入院しましょう)と告げられ人生で初めて入院をすることになりました。感染症のため部屋からは出られないので私は携帯と向き合い面接の合否の通知をワクワクしながら待ちました。

入院生活も慣れたところでいきなり僕の携帯に一本の電話がなりました。2社目の会社からだった。そこで私は具合が悪いのに面接を受けたことに謝罪をし、面接をしてくださった方に感染していないかの確認もしました。本題の合否についてですが、(佐藤さん合否についてですが、営業ではなく経理でお願いしてもよろしいでしょうか?)と言われました私はてっきり受かったか落ちたかその2パターンだと思っていたのに変化球とはこういう使い方もできるなと思いました。ですがこれを断ってしまったら就活やり直しになってしまう。正直めんどくさかったので(はい!お願いします!)と言いました。改めて経理の方と面接をするということで退院した後にまた面接をすることになりました。

ですが、何故かショックというか悔しいというかなんとも言えない思いがとてもあり、(何のために就活をしたのだろうと思いました)1日中考え。(本当にこのままでいいのか)夢はスーパーカーに乗る、、、)ん?? そういえば経営理念でお客様にというワードがあって、いつしか自分の夢は(会社の経営理念)になっていると気づきました。父親に(福利厚生にしっかりしているところに入れ)ただその一言で就活を始め、ここまでやってきましたが、(自分は誰かのために生きていない)今思えばこの専門学校に入った理由も(誰かに認められたい)(みんなと差をつけたい)そんな思いで入学しました。人との出会いは恵まれたものの、先生からも(就職!!)と言われ(ああ、周りの目を気にしなきゃ)なんて思いながら、日々生きていました。車の良さなんて会社に入らなくてもできる。営業も違う形でできる。欲しいものは(時間でもらえるお金じゃない)(結果でもらえるお金なんだ)そう強く思いました。

退院して経理の面接までの間私は(覚悟と決断)をし面接の日に会社を断ることにしました。父親にこの事を言おうと思い、恐る恐る言いました。(俺、会社断って自分で仕事する)そう言ったら父親は(お前にはがっかりだ)まあそれはそうだろうなと思いました。それもそのはず、私は就職するために入学してお金を払ってもらっているのにも関わらず就職しないなんてそうなるよなと思いました。

ですがこの後私は人生で初めて堪忍袋の尾が切れます。それは父親から(あいつは(友達)毎日愚痴を言いながら頑張ってるのにお前は何様だ)流石に私は耐えきれず(会社に入るために生まれたの?)(自分で会社を建てるがなんでダメなんだ)と言いました。父親が会社を建てるのに反対なのは訳があります。

今は亡き祖父、祖父は不動産の社長でした。父親もその祖父の元で働く役員でした。しかし景気が落ちてしまい、倒産してしまいます。その中父親はどうにかしようと数多くのものに試みようとしますが、結果は失敗で、自己破産してしまいました。トラウマがあるからこそ私にはこんなにも反対したのだ。

父親の気持ちもわかります。当時小さかった自分をどれほど愛してくれたのか、だからこそ、そう熱く言ってくれたのかもしれません。

ですが私は祖父がどんなやり方だったのか、どんなあり方だったのかを知っています。だからこそ今は学習に力を入れ、成長した姿を見せたいと思いました。

学校の先生にも断ったことを伝えたところ、(もったいない)(なんで?)など様々なことを言われました。確かにみんなの意見は間違ってはいないし、確かに。とは思いましたが。だけど入ってすぐ会社を辞めて中途半端な生き方をするより信念を貫き通しいく生き方の方が個人的には好きなので全く後悔はありません。。

ー最後にー

私が言える立場ではありませんが、マイナビニュースのアンケートで(会社に行きたくない人)というアンケートで308人にアンケートしたところなんと210人の方が(会社に行きたくない)と思っていることがわかりました。人それぞれ幸せの定義は違いますが、今の時代は(自己表現 自己実現)の時代なのではないかと思います。私たちの父親 母親世代の人たちからしたら信じられないような時代ではあります。私はその考えに依存しないで新しいものをどんどんと発信していく人間になると決意しました。

長々となりましたが、最後まで閲覧していただき誠にありがとうございました。



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