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雨の日に見つけた、理想じゃない自分と折り合う気づき。

完璧主義で充実ジャンキーな私。

完璧主義だと、ちょっとうまくいかないと落ち込むし、次もうまくいかないのではないかと不安がでやすい。
けっこう休日が大変で疲れを取らなきゃ、楽しまなきゃと自由なはずの時間が何か追い込まれた気分になりやすい。

昨日は大雨だった。
いつもだったら怠さが出ないようにちゃんと散歩して、テーブルにお茶を出しながらゆったりストレッチして、昼ごはんを作って食べたら午後に外出する。これを理想として生きてる。
でも災害級の雨となったらそうはいかない。

午前中はなんとかやることを探して充実を手にしようともがいていたけど、お昼をたべて休んでいたらプチッとスイッチが落ちた。

もうどうとでもなれと床でワッフルケットを被り転がった。
いつもは気分を変えようとなんとなく見ているYouTubeでさえポイと放り投げた。
きっと後悔するだろうなと思いながら、意識があるようなないような微睡の中に沈んでいった。

気づいたら16時だった。
起き上がってみると、体が軽かった。
驚いた。
昼寝をしすぎると怠くなる、というのが自分の頭の中にある常識だったから。
活力が湧いて文章も書きたくなったし、支度して近所のサウナにもいった。充実した時間だった。

正解かどうかは実践した時としなかった時の両方を体験しないとわからないのだな、と思った。
知識は間違いなく大事。でもそれを正しいと思い込むのはちょっと危険かもしれない。
わかってるつもりだったけど、いつの間にか足元を掬われていた。

それをやれば自分の人生が幸せになる、という特急券ではないのだなぁと思う。
世の中に提示されてるのは「充実」とタイトルのついた「正解っぽいもの」で、何億という人の何千という歴史の積み重ねだ。それでも明確な正解は見つかっていないんだから、人生というのはつくづく難しいんだなと思う。

今の自分にとってのいい具合とは、
「理想の時間が半分で、残りの半分は先の未来の理想のための下準備だと思って生きる」
ということなのかもしれない。
完璧な充実なんて少なくとも二十代でたどり着けるわけないんだなとおもう。
でも理想を諦めたり下げたりするのはそれはそれで元気が減るのは今までの経験からわかってること。


たまには何もせず寝てしまうのだって下準備になったのだから、思い通りじゃないことにも思い詰めすぎずにやっていけばいい。そんなふうにちょっと気楽になった自分と出会えた。

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