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今の学校を大人は知らない


よくも悪くも学校は、集団で生活する場

就学前までの子どもの環境は、家族との人間関係が中心です。保育園、子ども園に通ってますが十数人、それが1学級35人程度、学年で2から5クラスとなり、当然自分がどのように振舞ったらよいか分からなくなります。誰が自分と合いそうか、友だちになってくれそうかなど分からないです。中には乱暴な言葉を平気で使う子、すぐ手で叩くなど暴力的な子などもいます。それを見て怖いと感じてしまうのです。
いわゆる小1ショックです。
それから体力的なことも就学前とは段違いに必要になります。40分~45分程度の授業を次から次にこなしていく生活は、機械的で楽しいとは思えません。姿勢を支える腹筋背筋を中心とした筋肉が、外遊びが少なくなった子どもにとって育っていないのです。あともう1つ、脳から手先までの神経や筋力の未発達です。鉛筆が上手く握れない、力加減がよくわからないなどの理由で上手く書けなかったり、紙が破れたりします。そんなことが続くと書く意欲がなくなってしまいます。
教わる内容も、誰にとっても合っていないのかもしれません。ある子どもは知っていることばかりでつまらなく感じる子もいるでしょう。集団に合わせるために進め方が早すぎると感じる子どももいるでしょう。
今、こういうことに興味関心があると思っても、それを伝えることもできず我慢して次々とこなしていくだけの授業に子どもはすぐに退屈してしまいます。こんなところは昔も今もあまり変わっていないところです。
なんだ、そんなの昔と一緒じゃないかと思うでしょう。こういう場所であるということが前提としてあるわけです。

昔以上に多様になった子どもを知らない

親御さんは我が子しか見ていませんから、すべては自分の子(というか自分自身)を基準にしてしまいます。
ですが今の学校には、本当にいろいろな子どもが集まっています。ここでは子ども自身のことに限っていくつか例をあげてみましょう。
・人前で話したくない・話せない(先生に当てられても発言できない)
・注目をあびたくない(目立つことが嫌い、視線が集まるのが怖い)
・友だちが欲しくない(1人がいい、自分と考えが全く一緒じゃないと友だちと認めないなど)
・強制はいや(自分が思ったこと、考えたことしかしない、人に言われてさせられるのが我慢できない)
・先生と思えない(言葉づかいが上から目線、行動が荒い、依怙贔屓するなど尊敬できない)
・教室のにおい(服、体臭、給食、印刷など嗅覚的に無理)
・教室の音(怒鳴るような声、カン高い子どもの声、ワイワイガヤガヤが耐えられない)
などごく一部です。これを見て、子どもが甘えているだけ、我がままを言ってるだけだと思う方も多いはず。
ところが、子どもは真剣に対応しているし、頑張って克服しようともしているのにできないわけです。
ただ通っているだけ、教室にいるだけなのにさまざまな感覚が働いて、脳に情報を与え、ストレスを感じすぎているのです。
どうしてこうなったか。おそらく生まれてから5-6歳までに神経系統がものすごく発達するのですが、その間に人間関係に揉まれてないし、脳の発達の仕方が他の子とは異なる子もいるし、ご家族が子どもに向き合えるほどの時間をかけられていないというのもあるかもしれません。かつてはもう少し家庭内でも地域でも子どもが多く、集団生活というものが日常の中にあったのですが、今は1人ひとり、それぞれ個別、孤立的に生活しています。一緒の空間にいてもそれぞれ自分1人で何かしている、ということが多く、一緒に何かをする時間、空間は無くなりつつあります。
そんな日常から急に学校の集団生活に放り込まれても混乱するのは当然なのかもしれません。でも大人からするとそんな当たり前だということが「できない」ということが分からないのです。

学校で扱う〇〇学習が多すぎて、アップデートできてない

授業をする先生も大変です。2000年ごろから本格的に始まった総合学習、近年は環境、情報、英語などもどんどん小学校から扱うことになりました。学習指導要領も変わってきています。最近では、個別学習、アクティブラーニング、探求学習、問題解決学習、ICTによる学習など教科にとらわれない学び方も次々に提案されています。このような新しい学びが必要であることは理解できるのですが、当然ながらそれを扱う先生の力量には相当な差があります。
そういう状態で授業を行えば、要領がよくなかったり、理不尽なことをやらされたりといろいろミス・失敗・混乱もあるでしょう。十分な教材研究の時間など全くとれないため、授業モデルを見よう見まねでこなすということもよくあることです。
そんな時間に付き合わなければならない子どもたちが一番の被害者かもしれません。
深い学びが必要なのは学校の先生なのに、それはできない職場環境にしておいて子どもに深い学びを要求するというのは無理があります。
こういうことが先生への信頼を失うことにつながると思います。

子どもに向き合う時間がない

一番変わったのは、先生の時間です。外からではなかなか見えにくいのですが、今の先生はとにかく多忙です。というのも学校が福祉の機能をもたされるようになったからです。
子どもの虐待、不登校、生活困窮、ひとり親世帯、ヤングケアラーなどの状況の把握を学校に頼ることが多くなりました。地域社会の中での人間関係が皆無になったために関係がある先生に負担が来ているのです。家庭の状況を把握するためにアンケートをしたり、電話・LINEしたり、訪問したりしなければなりません。それは多くは業務時間以外にしなければならないでしょう。プライベート時間を削ってしなければならないのです。
それに加えて保護者からの様々な意見、クレーム、要望などがあります。先生がいろんなことに忙殺され授業の準備が上手くできないことで子どもたちが嫌の思いをしたり不信感をもったりする。それを聞いて親御さんも我が子に不利益があっては我慢できないので意見を言うという悪循環が出来上がっています。
現実に子どもが多様になったということはご家族の考え方、価値観も多様になっているわけですから、実に様々な意見が出てくるのは仕方のないことかもしれません。しかし学校の先生がそれに全て応えることはできません。対応できないので結局のところ精神的に追い詰められることになります。そういうわけで先生が精神的に病んでいくということも多いです。
学校の業務はそれだけではなく、文科省や教育委員会からの照会がたくさんあってどうでもいいような?文書をつくらなければなりません。それに会議やら委員会があり、さらに部活の指導があり、その合間をぬって授業の準備、採点、教材研究です。書いているだけでブラックな仕事だなと思います。
子どもも病んでいくし、先生も病んでいくという場が学校です。
なんかおかしくないですか?
先生に精神的な余裕がなければ、怒鳴ったり、強引にしたり、無理したりといった学級運営がされるのです。結局、子どもが傷ついていきますよね。

子ども同士、関係が築けない

学校の様子や先生の置かれている状況に焦点を当てましたが、子ども同士の関係も相当変わりました。
これは相当根深い問題です。育った環境が相当異なる子ども同士が一緒の空間にいても、共通点が見つからないので友だち、仲間とどうしても思えないのです。クラスで話せる子が1人か2人いればいい方で他の子は一緒の空間にいてもまるで他人です。ショッピングセンターに人はわんさかいても、知り合いは誰もいない状況を想像してみてください。そんなショッピングセンターでどうやって仲良くなることができますか?すれ違う人はそれぞれすでに仲良くしている人がいたりして、誰にどう声かけすればいいか検討もつかないですよね。
クラスの中もそんな感じです。とにかく共通点を見いだすことができないので、とにもかくにもコミュニケーションが上手くできる子、オモシロいことが言える子、容姿がカッコいい、かわいい、スポーツがとにかくできる、などなど話しやすいきっかけは、スゲー、カワイイ、オモシロいですからそういう子どもは友だちができやすい。でも大多数は、どれもないので大人しくするしかないわけです。こんな感じが学級内に「スクールカースト」を自然に生み出してしまうのです。
この学校の中の感じは、子ども自身にしかわからないものじゃないかと思います。
だから、大人の私たちは、基本的に学校生活というものは以前と全く違うものになっているのではないかと疑った方がいいし、まずもって知らないと思った方がいいでしょう。そこに気づくことはとても大切なことです。