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経済安全保障、サプライチェーン再編について歴史から探る

激動期に入った世界において、我が国が生き残るためには経済安全保障の強化が欠かせない。その一環として、サプライチェーン再編の検討が必要。江戸時代の鎖国政策が典型的であるが、我が国は日本列島内でほぼ完結している時代がある。完全な断絶は現実的ではないが、歴史的事例などを参考に、持続可能性向上を図るのが望ましい。

サプライチェーンの再検討の時


近現代産業を持続するという観点での物理的な資源に乏しい我が国は、世界的な自由貿易から最大限の恩恵を得てきた国家の一つと言える。しかし、「防衛費増額は喫緊の課題、求められる地政学のセンス」(2023年1月23日)や「デフレの時代からインフレの時代へ」(2023年2月3日)などで書いたように、世界は激動期に入っていると考えられ、今後とも世界的な自由貿易が継続し得るかは心許ない。
ロシアによるウクライナ侵攻の事例からも明らかなように、重要物資の産出国が戦争状態に入ると、戦争に直接かかわらなくても様々な影響を受ける。戦争以外にも産出国の政情変化、自然災害などによって貿易は影響を受ける。近年では世界中に構築されたサプライチェーンにより、諸国間の貿易においては中間財や資本財が大きな比重を占めている。自由貿易に支障が生じれば、最終製品の輸出入が滞るだけではなく、生産活動が中断してしまう事態に発展する可能性が大いにある。現に2011年の東日本大震災、タイ大洪水、2020年から本格化したCOVID-19パンデミックなどでサプライチェーンは大きくマイナスの影響を受けた。
現時点での人類の科学では、自然災害やパンデミックの発生の時間や場所を予測することはほぼ困難である。一方、戦闘や紛争については、具体的な戦闘勃発を第三者が予測することは困難であるが、どの地域の危険性が高いかなどについてはある程度推測することはできる。なお、人類の活動とは関係なく、地球規模での気候変動期に入っているとの見解もある。いずれにしても、第二次世界大戦以降の相対的に安定していた時代は終わりつつあり、大激動の時代の始まりに立ち会っているように思われる。
このような環境下でも、現代の生活をなるべく持続可能にしていくためには、経済安全保障の観点を含めたサプライチェーンの在り方を再検討するべき時に来ていると言えるのではないだろうか。

経済安全保障の観点は個別企業のリスクマネジメントにも通じる


政府においても経済安全保障の強化に取り組み始めている。2022年には「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」(経済安全保障推進法)を成立させている。
経済安全保障推進法は、「重要物資の安定的な供給の確保」、「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」、「先端的な重要技術の開発支援」、「特許出願の非公開」に関する制度を創設するものである。サプライチェーンの観点からは、特に「重要物資の安定的な供給の確保」、「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」などが関わってくるであろう。経済安全保障の観点は国全体の視点から国民の生活を守るためのものであるが、サプライチェーン維持や技術・データ流出防止など個別企業のリスクマネジメントにも通じるものである。
内閣府「経済安全保障推進法の概要」には、基幹インフラの審査対象として、電気、ガス、石油、水道、鉄道、貨物自動車運送、外航貨物、航空、空港、電気通信、放送、郵便、金融、クレジットカードを挙げている。これらのインフラに障害があれば、人々の暮らしに大きなマイナスの影響が生じる。それだけにこれらのインフラに関連する企業の社会的使命は重大であり、国益に沿った企業経営が求められよう。そのこと自体が当該企業の持続可能性向上にも資するであろう。

安全保障の観点からの国の開閉

(1)日本は国内完結しやすい

日本は海に囲まれた立地のため、大陸諸国や半島諸国と比べると、列島内完結しやすい。海は防壁になるが、通路でもあるため、太古においても島国が大陸国や半島国と交流がなかったわけではない。しかし、陸続きの地域に比べれば、人の往来は制限されたものとならざるを得なかったであろう。
さらに日本列島は降水量が多く、海に囲まれ、自然豊かで、四季折々の植物が繁茂しやすい。陸生動物由来の素材や食物を大量に入手することは容易くはないが、植物由来や魚介類由来の素材や食物は入手し易い。そのためか日本は列島内完結型の経済、列島外との交流を必要としないサプライチェーンが成立していた時代が何度もある。
大雑把に区分すると、縄文時代、遣唐使廃止以降の平安時代、鎌倉時代、江戸時代などは列島内完結型の時代であったと言えよう。弥生時代、飛鳥時代~平安時代初期、南北朝時代~安土桃山時代、明治以降は積極的な列島外展開時代と言って良いと考える。
ただし、縄文時代は日常的な域外交流は盛んではなかったと考えられるが、環太平洋的な文化の共通性が観測され、移住などの形での交流は存在していたと推測される。古墳時代については、今後の研究成果を待ちたい。
対照的に、近隣の朝鮮半島やチャイナ大陸(※1)では、お互いに好むと好まざるとは関係なく、平和な交易から征服・征討などの軍事行動まで幅はあるが、満州地域やモンゴル高原など周辺地域と頻繁に交流が行われていた。中央アジア、大中東地域(※2)、欧州大陸、北アフリカなども同様である。サブ・サハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ大陸)、アマゾン密林以南の南アメリカも同様であったと思われるが、筆者はこの地域の歴史には疎い。

(※1)本稿では地理用語として「チャイナ」という表記を用いる。説明は文末に掲載。
(※2)本稿では地理用語として「大中東」という表記を用いる。説明は文末に掲載。

(2)我が国の対外関係変化は安全保障の問題が横たわっている

上述したように、日本では、列島内完結時代と列島外展開時代がある。それぞれの時代において、具体的な要因は様々であるが、安全保障の問題が横たわっているという見方ができる。
費用対効果を考慮すると優秀な人材を派遣する意義が薄れたことが遣唐使廃止の理由の一つであるが、当時のチャイナ大陸が戦乱の時代に突入しつつあることも判断材料となっている。遣唐使廃止決定は894年、唐滅亡は907年であり、チャイナ地域は五大十国の時代に入った。日本が巻き込まれる可能性を最小限にすることが意識された。
戦国時代から安土桃山時代を経た江戸時代初期、日本は世界最強の軍事国家であったという見方がある。当時、世界を席巻していたポルトガル、スペインの列強は江戸幕府が出した通知、比喩的に言えば紙切れ一枚で日本から撤退せざるを得なかった。南米、アフリカ、東南アジアなどで散々武力に頼った進出を展開してきた両国であるが、日本の軍事力を侮れなかったと言われる。
満州での後金(後の清)建国が1616年であり、当時のチャイナ中原を支配していた明は弱体化しつつあった。欧州ではその後の欧州を変えたとも言われる三十年戦争が1618年に勃発している。つまりユーラシア大陸は激動期に入っていた。
一方、日本では1615年には大坂夏の陣において豊臣家が滅亡し、元和偃武(げんなえんぶ)と言われる平和な時代に突入した。偃武は武器をおさめるという意味である。日本が鎖国体制に入っていくのは1616年の徳川家康死去後の話であるが、ユーラシア大陸の激動に巻き込まれないことに加え、キリスト教カトリック勢力の一部が日本人を含めた奴隷貿易を行っておりそれを抑止することも意図された。
ついでながら、NHK「NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本」(2020年6月28日、7月5日放送)によると、戦国武士の一部は欧州で傭兵として活躍したそうである。

歴史におけるサプライチェーン再編事例


廃止も含めた交易の変化は、当然ながらサプライチェーン再編を伴う。サプライチェーンという言葉は昔からあったわけではないが、現実にはそうした事例が歴史からも見いだせる。対応方法としては、代替品を開発する、原材料を変更する、調達先や調達方法を変える、需給量を減らす、などがあるであろう。ここでは内外の事例を少々紹介する。

(1)火薬原料の国内製作

武器の面から戦国時代を終わらせた大きな要素である鉄砲は、火薬が無ければ用をなさない。当時の鉄砲は黒色火薬を用いており、黒色火薬は木炭、硫黄、硝石の混合物からなる。森林国であり火山国である日本は木炭と硫黄は国内で容易に入手できるが、硝石は天然には産出しなかったため、南蛮貿易による輸入が主体であった。
天然の硝石はチャイナ大陸内陸部、南欧、中近東、インドなどの乾燥地帯で採取できる。黒色火薬は唐の時代には発明されていたと見られる。しかし、天然硝石の産出地域であるチャイナ大陸の歴代政権は、倭寇の脅威などもあり、日本への硝石の輸出を禁じていた。そのため、日本で黒色火薬が本格的に活用されるようになったのは、16世紀半ばの南蛮貿易以降の話である。
前述のように江戸時代には鎖国体制に入り、海外からの硝石の輸入は期待できなくなった。しかしながら、硝石を生産する方法が開発されており、古土法、培養法、硝石丘法などにより、ある程度の硝石を確保することは可能となった(これらの製法に関心ある方はネット検索を)。元和偃武により、日本国内での黒色火薬需要が大幅に減少したこともあり、硝石については列島内完結が可能となった。代替品開発、需給量減少によって対応した事例と言えよう。
なお、江戸時代は花火などの平和利用が多かった。

(2)胡椒のサプライチェーン再編が大航海

西欧にとっての大航海時代は、そもそもサプライチェーン再編の必要性が契機の一つと見ることもできる。冷蔵庫が無い時代、肉類の保存に胡椒は重宝されていた。現代では胡椒は調味料の一つと位置づけられるが、当時は肉類の臭みを和らげる用途が重要であった。
胡椒の原産地はインドであり、東南アジアなどでも栽培されていた。胡椒は欧州では栽培できなかったので、インドや東南アジア産の胡椒を交易で入手していた。その際、キリスト教国である東ローマ帝国が胡椒交易の重要なルートとなっていたが、イスラム教国であるオスマントルコ帝国に滅ぼされてしまった。東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープル(今はトルコの主要都市の一つイスタンブール)陥落は1453年である。

図1:大航海時代に関する地名等

出所:各種書籍を基に筆者作成(図の注を文末に記載)。

欧州諸国では胡椒交易の新たなルート探しを積極化した。地球が丸いのであれば西に向かえばインドに着けるはずという見通しでコロンブスはアメリカ大陸に到達した(1492年)。ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ大陸南端の喜望峰を回ってインドに到達した(1498年)。マゼランは世界一周の航海を立案・実行した(1519年出航、マゼラン自身は航海途上で死亡)。
こうした航路開拓の結果、西欧諸国は胡椒の産地と直接交易することが可能となった。調達先や調達方法を変える事例と言えよう。
ついでながら、胡椒という実用的なテーマとは別に、黄金の国ジパング伝説も大航海を促した要因の一つと考えられる。

(3)チーズ製造酵素の開発

チーズを作る際、レンネット(凝乳酵素)という酵素が用いられる。従来のレンネットは子牛の四番目の胃から抽出されていた(牛に限らず反芻動物であれば抽出できるので羊や山羊も抽出対象)。牛や羊の育成に適している地域は限られているし、このような生産方法では現代のような大量生産大量消費は困難である。
しかし、20世紀半ばに日本の化学者により微生物由来のレンネットが開発され、チーズの大量生産の道が開けた。代替品の開発、原材料変更の事例と言えよう。

中間製品の輸出入依存度は高くなっている


日米中韓の中間製品の対全世界の輸出入額を見てみると、年によって増減はあるもののいずれの国も1990年代後半~2000年代前半よりも2000年代後半以降の水準が上がっていることが分かる。
総輸出額に占める中間製品輸出額の比率を見ると、米国は2000年代半ばが図示した期間ではピークであるが、日中韓は2010年台前半頃に近年のピークとなっている(韓国は図示した期間では通貨危機前の1996年がピーク)。直近の2018年では、いずれの国も60%台の比率となっている。

図2:中間製品輸出額及び総輸出に占める比率(対全世界)

出所:OECD「Trade in Value-Added (TiVA) データベース」(2023年4月28日ダウンロード)より筆者作成(図の注を文末に記載)。

総輸入額に占める中間製品輸入額の比率を見ると、総じて高い順に韓国、中国、日本、米国の順となっている。この比率が高いほど、自国製品生産における他国からの中間製品への依存度が相対的に高いと言える。日本は図示した期間では2008年頃まで上昇基調にあった。日本企業の海外進出(海外拠点で生産した中間製品の輸入)や他国企業からの中間製品購入が増えていることが窺われる。

図3:中間製品輸入額及び総輸入に占める比率(対全世界)

出所:OECD「Trade in Value-Added (TiVA) データベース」(2023年4月28日ダウンロード)より筆者作成(図の注を文末に記載)。

完全な断絶は現実的ではないが、冗長化、分散化は必要


サプライチェーン再編事例をほんの少々、歴史的事例から紹介したが、他にも多くの事例が挙げられよう。しかしながら、前節の日米中韓の中間製品輸出入動向からも分かるように、現代の世界レベルに広がったサプライチェーンの再編では、ある地域の完全な断絶などは現実的ではないように思われる。
とは言え、自然災害も紛争も絶えないのは事実であり、生産にかかわる重要な物資の入手が困難になることは常に起こり得る。そうした事態に備え、代替品、原材料、調達先や調達方法、需給量などについて、変更の可能性を常に検討しておくのが望ましい。効率性のみを考えるのであれば集中化、一本化などが望ましいのであろうが、激動が続く現代においては冗長化(複数の手段等を用意しておくこと)や分散化等によって持続可能性向上を図ることが重要である。
経済社会や技術構造が過去から大きく変化している現代、本稿で記載した歴史的事例がそのまま役に立つことはないであろうが、今後の指針を探る際に考え方は参考になると思っている。本稿がその一助になると幸いである。


※1:本稿では歴史的経緯を地理的観点を交えて展開している。「中国」という表記は「中華人民共和国」の略語ととらえる人が現代日本では多いと推測される。中華人民共和国は、旧満州(現東北三省)、モンゴル、ウイグル、チベットなどを領土に含むが、これらの地域は殷、周などいわゆる「中原」に成立した政権から見れば、別文化圏であった。「中原」に成立した古来の政権の属する文化圏の範囲を地理用語として示す言葉としては、「シナ」という日本語がある。シナは英語のChinaの語源でもあり、地理用語としては東シナ海(「シナ」の東の海)、南シナ海(「シナ」の南の海)などの形で普通に使われており、地図や教科書にも載っている。しかしながら、「シナ」は蔑称だとして批判する人々もいるので、本稿で指し示したい範囲を表す地理用語として「チャイナ」を採用した。

※2:「中東」は外務省のウエブサイトでは、東はアフガニスタン、西はイスラエル、北はトルコ、そしてアラビア半島諸国を示す範囲である。本稿ではいわゆる「中東」に加え、エジプトやパキスタン、インド北部、バングラデシュなどのイスラム教の影響力が強い地域も含む概念として「大中東」という用語を用いている。なお、地理的範囲は、中核部は別にして、周辺部は往々にして一定ではない。


図1の注
図中の矢印や産地は大まかなイメージ。ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰以降及びマゼランの航路は省略。

図2、図3の注
基データは国際産業連関表をベースに作成されているため、直近は2018年である。


20230502 執筆 主席アナリスト 中里幸聖


前回レポート:
財政均衡至上主義では財政バランスは回復しない」(2023年4月21日)


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