ドイツ@Sars-CoV-2 コロナウィルスアップデート(54)  2020/9/1(和訳)

ベルリンシャリテ ウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン
聞き手 コリーナ・ヘニッヒ

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世界的なパンデミックのなかで、ドイツは他国との比較では今だに良い状況を保てています。オックスフォード大学の研究をベースにした分析では、もし、アメリカがドイツのような対策をとっていたならば、パンデミック初期の4週間の間での死亡率の70%を防ぐことができたであろう、という結果がでています。この数は、80000人に及びます。数でいうと、ドイツ国内での新感染者数が増加中です。
リスナーのみなさんに最新情報を提供するべく、コロナアップデートが戻ってきました。夏休みの間にどの研究が進んだのか、そして、どのような計略が今後秋そして冬に向けて、新たなロックダウンなしで乗り越えるために必要なのか、ということを、ベルリンのウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン氏に伺いたく思います。聞き手はコリーナ・ヘニッヒです。

ドロステン先生、リスナーはこの2ヶ月の間辛抱強く新しいポッドキャストを待っていました。待ちきれずに何度も問い合わせをしてきたリスナーもいましたが、、まず、SNSなどで少し混乱と誤解があったようなので、ここで一言説明させていただきたいのですが、このポッドキャストは夏休みだったものの、私も先生も2ヶ月間休みをとっていたわけではなく、SARS-Cov-2の研究を続けられていました。夏の間の研究の重点はどのような内容だったのでしょうか。

この夏は、研究三昧の夏でした。休暇は2週間のみで、はじめのほうに1週間と終わりに1週間、その間におじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きましたが。 それでも、3週間まとまった休暇はとることができませんでした。研究も、基礎研究に集中しようと思ってたのですが、なかなかそれは難してくて、、、それでも、2つの重要な論文を送り出しました。送り出した、というのは、学術ジャーナルに提出するために完成させたのと、そのなかの1つは修正段階に入っています。内容的には、ウィルスの変異と、病毒性の変化、、ウィルスが人体にどのような病気を引き起こすのか、ということですが、ウィルスが長期間に渡って人体に及ぼす影響、なとです。これについては数値でデータをとる方法がありますが、誤解を避けるために、ここでは割愛します。 もう一つの論文は、MERSウィルスについてのもので、SARS-Cov-2についてのものではありません。MERSは、強い病原性を持つコロナウィルスで、これはラクダから感染し、アラブ諸国や東アフリカなどで流行しているものです。そのほかには、研究論文のほかにも、多くの実践に関する相談がありましたので、サポートするかたちでアドバイスを続けていました。例えば、どのように検査方法をラピッドテストにシフトチェンジしていくことができるのか。ラピッドテストについては、5月だったでしょうか、4月だったかもしれませんが、このポッドキャストでもお話しました。

抗原検査ですね。

そうです。今、様々なところで、ラピッドテストが必要だと言われていますが、実際には、テレビやメディアで報道されているほど容易なことではないのです。ここには、大きな規約的なプロセスがあって、法令順守されていなければいけないからです。この件に関して少し関与しました。それから、PCR検査による大量検査について。ここには沢山の助言の必要性があります。これは、必ずしも直接政治の最高機関というわけではなく、規約実行機関、つまり、連邦機関や地方自治体などですが、そこで多くの疑問点が発生しているからです。ラボもこのための準備をしなければいけないわけですから。この夏は、このような実践的な問題の解決をバックグラウンドで行ってきました。今後秋に重要になるポイントを先取りするためです。

検査については、またこの後で触れたく思いますが、この夏の間に、より確かとなった治験結果がいくつかあります。臨床研究やラボでの検証、エビデンスから得られたものですが、どこか想定外だった分野はありましたか?

これは、ここ数日私が持った個人的な印象ではあるのですが、夏の間に、これといった科学的なサプライズはなかったように思うのです。いままでこのポッドキャストでも取り上げた研究論文が大きな学術ジャーナルに公に掲載されましたし、新しい論文もでてきましたが、これらは、いままで発表されていたプレプリントの内容の裏付けとなるような内容です。ここには、全く新しい発見、つまり、制御的、あるいはエピデミック的に何か今すぐ対応を変えなければいけないようなものはこの夏の2ヶ月間の間にはありませんでした。Game-Changing、と言えるようなもの、という意味ですが。

とはいっても、いくつかの新しい知識が固まってきました。そのなかで大きな2つをまとめようと思いますが、研究結果的には、このウィルスが空気中で感染する、という事はかなり確かなことです。エアロゾル感染ですね。そして、マスクについては引き続きリスクは残るものの、効果はパンデミック初期に考えられていたものよりは大きい、ということがわかっています。これについても、ポッドキャストで取り上げましたが。しかも、限界はあるものの、防止効果もある、ということですよね。

そうです。そのように言うことができると思います。このマスク問題は複雑な問題です。いままでも数多くの回でこれについては話し合ってきましたが、どうして、この心地よくないものを着けなければいけないのか? という意見はあるわけです。これに関しては、今、科学的な根拠は出さないでおきますが、一つだけ言っておきます。これは、まだあまり聞かない事ですが、多分かなり具体的だと思うのです。まず、はっきりしていることは、唾などによる飛沫感染ですね、この飛沫は1、5mの距離内で比較的早く床に落ちますが、これがマスクによってブロックされます。これははっきりしています。問題点は、エアロゾルはどうなのか。小さな飛沫、エアロゾルのなかに含まれる粒子はものすごく小さいために、密着していないマスクがそれをブロックすることは不可能です。つまり、マスクから吐く息がでてしまうのです。ここもはっきりとさせておかなければいけません。
このマスクの弱点は明らかです。ここに議論の余地はありません。ここからも、他人を守る、自分を守る、というどちらの予防にも限界があることがおわかりでしょう。しかし、ここで一つ、もっと普及してほしい考え方があるのですが、発生したエアロゾルは均等には拡がっていきません。エアロゾルは1〜2時間密室内で発生していたとすると、室内にエアロゾルが充満します。煙草の煙を想像していただけれると良いかと思いますが、室内で吸われた煙草の煙は、まずは私の周りだけにありますね。私が座っているところ、私の頭の周りに、です。部屋中にはまだ拡がっていません。

それでも、目の前に座っているひとの顔に煙を吹きかけることはできますよね。

それをわざわざする必要はありませんが、、後でその説明もしたいと思います。密室内でずっと煙草を吸っていれば、空気が煙でいっぱいになるのは当然ですね。ここでマスクは役にたちません。煙を吸ってしまうことは確かです。しかし、違うシチュエーション、例えば、スーパーなどですね、そのような場所、長時間同じ空間に滞在しない状況で、感染者と遭遇した、としたら。エアロゾル感染の恐れはあるのだろうか。感染者の周りには部分的に高濃度のエアロゾルがありますが、ここで感染するのかどうか。 感染者がマスクをし、私もマスクをしている状態では、エアロゾルはマスクの端から出ていきますが、私のところまでは直接には届きません。つまり、煙草の煙のように、顔に向けて煙を吹きかけるような事はできないのです。煙を直接吸わないようにしなければいけない、という対策は大変重要です。なぜなら、これは高濃度であり、高濃度ということはウィルスの量が多い、ということであり、これは高い感染性を意味するものだからです。
もう一つの例えをだします。パンデミックの前には、人と会うことが普通に行われていたわけですが、そこで、そうですね、ミーティング、とか、セミナーの休憩時とか、そういうところでおしゃべりをすることがあった事を思い出していただきたいのです。マスクは勿論していません。そこで、話している相手の口臭に気が付いてことがあるのではないでしょうか。この口臭は、エアロゾルです。正確には、ガスも含まれますし、蒸気だけではなく小さな飛沫粒子も入ってはいますが、今、この簡易的な議論をするには十分です。同じシチュエーション、ケーキビュッフェのところに立っている相手と同じ距離で話をしている、として。相手がマスクをしていた、としたらどうでしょうか。相手の口臭に気付くでしょうか。

ニンニク臭いか、とか

そうです。それには気がつかないでしょう。この、「気がつかない」ということを、すぐには感染のリスクはない、ということに変換することができます。このことを、(コミュニティ)マスクの効果性について不安を抱いている人に、この日常の例えで考えてみて欲しいのです。

つまり、完璧な予防効果はないにせよ、(リスクを)減らすことはできる、ということですね。他の視点でもみていきたいと思うのですが、、、リスナーから数多く寄せられた質問で、感染症が完治した患者は、新型コロナの免疫はあるのか、というものです。感染後に形成される抗体は比較的早くまたなくなってしまう、ということが研究でわかっています。しかし、これが必ずしも悪いニュースとは限らないことは、以前のポッドキャストで学びました。免疫には、細胞のレベルのものもあるからです。どのくらい 強いものなのでしょうか。何が今のところわかっていますか。

これに関しても、このポッドキャストで取り上げた論文が正式に発表され、そして、新しい研究もでてきています。様々な視点がありますのでまとめると、まず、細胞性免疫。これは、かなり頑強である、と思われます。これは、SARS-1ウィルスに感染した患者で、かなりの広範囲で検証することができています。SARS-1の流行は17、18年前でしたから、Tメモリー細胞の反応で細胞性の免疫があることがわかります。これは、エフェクター細胞や、CD8-細胞のような、自らウィルスに向かっていく細胞障害性T細胞ではなく、抗体をつくるB細胞でもなく、これは、免疫記憶の切換点、このように簡単に言うことができると思いますが、これが長い時間が経った後でも完全に残っている、ということなのです。そして勿論、抗体が検出される期間よりもずっと長く持続します。 抗体の検出率は検査方法によっては少なくなっていく、ということも言っておかなければいけませんが、完全に消える、ということはありません。なくなるのは、中和抗体の活動性であって、検査をするとかなりの確率でそうなっていきます。これは、単に、IgAとIgM抗体が消え、IgG抗体は残る、ということと関係し、感染症としては極めて普通の経過です。完全に想定内の事ですが、診断検査の段階では注意深くみていかなければいけません。感染患者を観察した場合、少なくはなっているものの完全にゼロにはなりません。患者のなかには、例外的にラボでの検査でゼロの結果がでる人もいるでしょう。 でも、それが何を意味するのか。 免疫システムの記憶はあるわけですから、検査によって血液中から抗体が検出されない、もしくは、検査で検出することができなかったとしても、再度ウィルスとの接触があった場合には免疫記憶が蘇り抗体はつくられます。基本的にウィルスが体内で増幅するよりもはやく、です。ウィルスは瞬時に阻止されます。これが免疫システムです。 ラボの検査は目安ではありますが、免疫に関する全体的な定義ではないのです。ですので、少なくとも、この期間中、パンデミック期間中での免疫形成があることは確信しています。ここでは、誰かが一度の感染で一生続く免疫を手に入れる、とかそういう事を言っているわけではありません。重要なのは、今、感染した患者が、パンデミック収束時まで、そうですね、2021年末まででしょうか、それまで免疫があるか、ということですから。勿論、パンデミックが2021年末まで絶対に続く、とも限りません。希望としては、このパンデミックの特徴である高齢者の高い致死率を早い段階でワクチンで抑え込むことができれば、その時点でこのパンデミックの危険性もなくなると考えています。しかし、どちらにせよ2021年末まで、それまでに全ての完治した患者が免疫を持つことには疑いの余地はないでしょう。免疫がある、ということは必ずしもラボの検査で陽性反応がでる、ということではありません。例えば、患者が1年後にまたウィルスとの接触があったとして、表面的な感染はするかもしれません。どういうことかというと、この患者はウィルスと接触したことによって、少し喉が痛くなるかもしれない。もしくは、無症状、ということもありますし、PCR検査で陽性反応がでるかもしれません。短いウィルス増殖もあるかもしれませんが、重い肺炎にはならないでしょう。たとえ検査で陽性反応がでたとしても、濃度は高くなく、ここから感染の伝播が起こる可能性は極めて低いです。

香港からの報告で、春先に感染し、典型的な症状とPCR検査での陽性反応があった男性が旅行の後に無症状だったのにも関わらずPCR検査で再度陽性反応がでた、というものがあります。これが、先ほどご説明いただいたようなケースだ、とみて良いのでしょうか。

そうですね。これはそのようなケースである可能性がありますね。しかし、このようなケースが大多数をしめるのではなく、稀な事でしょう。今の段階でどのくらいの患者の割合を示すのか、ということを言うのは難しいですが、1%以上、もしくは5%位いたとしても驚くことはないでしょう。とは言っても、疫学的にみてもパンデミックの感染伝播や危険性などにはほとんど影響を及ぼす事ではありません。そして、これもメディア現象です。大学の研究グループが、おぉ!大変稀なケースをみつけたぞ。これをまとめて発表しよう。そして同時に記者会見もしよう、と。そこにメディアが飛びついて、短くまとめる。「二度目の感染!免疫ができる、ということは嘘だった!」と報道されて、ここから、「だとしたら、効果があるワクチンの生産は困難なのではないだろうか、、」というところに続くわけですが、そんなことはありません。これは、何とか注目されようとしているだけであって、この記者会見が行われた時に、この意図は、他の研究者たちも会見を開いて自分たちも同じようなケースを知っている、という表明をしたところでも一目瞭然です。

例えば、オランダですね。

そうです。ジャーナルの記事すら書かれていなかったのに、です。しかし、ここで言っておきますが、私たちもそのようなケースはみています。関心を煽る目的の他の何者ではありません。これは、医学的な現実でも通常ケースでもありません。

それでも、ウィルスの系列はどのような意味を持つのでしょうか。

このSarsウィルスの多様性ですが、武漢から全世界へと拡がり分かれていったウィルスの雲は、実は全体的に大変似通っているのです。ここでは、他の風邪ウィルスのように、異なるウィルスの系統がある、とは言えません。例えば、インフルエンザとは全く比較になりません。新型コロナはそういう点ではまだ新しく、まだ大きく分離していってはいないからです。シークエンジングで勿論一つ一つのクレード、、この大きな雲のなかの小さな雲をそう呼ぶのですが、それを識別することが出来ます。しかし、それが、もうすでに病原性においての違いがあるのか、感染性に変化があるのか、ということはわからないのです。変異の一つである、D614G-Mutanteに関しては初めのほうのポッドキャストでとりあげました。これは、表面糖タンパク質の交換でした。この検証は行われていますが、代用システム上で、実際のウィルスではなく、モデルウィルス、例えば、HIVウィルスを用いてここに変異したSARS-2ウィルスの糖タンパク質を加えてやってみたところ、この変異した糖タンパク質のほうが効果的であった、ということです。変異したほうが、この擬似システムでは、表面タンパク質に多くつくられた、ということなのですが、本当のSARS-2ウィルスの場合もそうなのか、ということはわかっていません。もし、そうなのであれば、細胞培養で感染している細胞の数が少し多くなるかもしれませんが、今のところ、モデルシステムでも疫学的なデータも、この変異が病原性を強化している、という現実的な証拠にはなっていません。いくつか、この変異により感染力が増した、という僅かな形跡はありますが、これも大きなクエスチョンマークを添えなければいけないものです。しかし、それもとても小さなレベルでの話ですから、大騒ぎをするほどのものではありません。そして、病毒性に関しては、この変異によっての変化は全く証明されていません。

それでも、(このテーマは)ポッドキャストで追っていきたく思います。では、次に現状について、そして数について視線を移したいと思います。今、ジャーナリストがしたがる典型的な質問は、「今、私たちはどのあたりにいるのでしょうか?もう、第二波なのでしょうか?検査数と感染者数との関連性はどうでしょうか?」だと思いますが、リスナーからもそのような質問が届いています。現在の発生数、高い新感染者数は、検査数を増やしたことが原因なのでしょうか。

これを説明するのは比較的複雑です。検査というものは常にどこを検査するか、という事であって、つまり、3月の時点で、第一波でですね、そこでは、典型的な症状が出ていた患者を検査したわけです。そこでは勿論高い確率でウィルスを発見しますよね。そうですね、100人検査したら、7、8人、もしくは10人くらい陽性かもしれません。そして、今、このシチュエーション、基本的に国内の発生数が少ない状況で検査をした場合、症状で検査をするのではなく、誰でも検査を受けたい人が検査を受けれるようになっていますから、同じ数の検査をしたとしても陽性者数はぐっと低いはずなのです。ここで、2つの要素が説明のなかで混じっていた事に気づいたでしょうか。1つは時間的な説明で、もう一つは測定グループの説明です。

ローカルな説明、ということですね。

もしくは、社会的、そして医学的、とも言えるでしょう。まず、第一波にまだいるのか、もういないのか。ここでは、実際の発生数が重要になってきます。そして、2つ目には、症状が出ている患者を対象にするのか、無差別なのか。この2つが混合してしまっています。これが、今の時点で簡単にはまとめれない理由でもあります。検査数をみてみると、大変、大変多いです。もうこの数は医療ラボのキャパのギリギリのところであって、陽性率も極めて低い。確かに、5月から6月の間、この時期は本当に発生数が低く、ロックダウンという急ブレーキをかけ、また緩和した後に思った程感染者数が増加しなかった期間でもありますが、この時にもかなりの数の検査をしていました。この、検査数が多いから、7月末、8月の感染者数も多いんだ、ということはないのです。そうなのであれば、検査数の増加と共に検出頻度が低くならなければいけませんが、そうはなっていません。つまり、今現在の数はその前との比較でみてみても現実的です。感染者数が5月、6月のほうが7月8月よりも圧倒的に少なかった、ということは間違いないでしょう。それでも、国内の本当の感染状況を甘くみている、という点では、当時も今も変わらないと思います。その理由の一つとしては、全員を検査することは不可能だ、ということ。もう一つの理由としては、こちらのほうが重要な点ですが、今、前とは違う種類の患者が感染している、ということ。感染者の年齢層が変化しています。ブレーキをかけた後、第一波直後ですが、そこでは、高齢者と中年層に比較的多く感染者がみられました。そして、今、突然、若者がパーティをしたり旅行に行ったりしています。このようなこと全て関係するのです。今の感染ケースは軽症であることがほとんどです。若者の感染は軽いですから。それと同時に、もし違法なテクノパーティに行った場合は症状を隠蔽する確率は高くなり、そういう若者は診断も受けないだろう、ということ。もし、私が20歳で、違法のパーティに行き、その5日後に喉が痛くなったとしたら。まあ、病院には行かないでしょうね。責任を感じるのであれば、3〜4日家に隠れて、何とかなることを祈るでしょう。そのようなケースがかなりあると思うのです。わからないだけで。反対に、このようなケースは5月の段階では極めて少なかったであろうと思われます。このような事は、ここで意図的に言いますが,、日常のなかで意識されていないと思うのです。理解の為にまた例をだしますが、この状況について考えた時に、問題には深さがあり、二層、三層にも浸透している。この国民と呼ばれる、複雑な集合体のなかでの影響を全て把握するのは無理だ、ということを受け入れなければいけないのです。他にも、旅行帰国者、という 厄介なテーマをあげましょうか。これも把握するのは容易ではありません。旅行帰国者といっても様々な人がいます。発生数が低い国から帰って来た人もいれば、高い発生数の国から戻った人もいるでしょう。そして、旅行先での行動様式も様々です。そもそも、全てが旅行者、というわけではなく、帰省や家族を訪問した人も多く含まれます。そのなかには、文化的な背景が異なる人々、家族だけではなくそれ以外の社会の輪に接触を持った人たちもいるのです。国それぞれの発生数は違いますし、感染流行に対する理解にもかなりの差があります。全く過小評価されている国だってあります。そのような要素が全て関わってきます。この問題は、技術的な精度やラボの検査のキャパのみを持ってして解決できるものではなく、この人間、という因子がどこにでも入り込み大変困難なのです。

それがなんらかの方向性を示すものだとしても、、数を比較するだけではわからない、ということですね。ロベルト・コッホの陽性者統計では、この隠蔽現象があるにも関わらず30歳が増えていますよね。

ロベルト・コッホのデータ処理は大変正確です。他の国と比べてもここまで正確に細かく分析している機関はないでしょう。ドイツにとってこれ以上のものはありません。ここから方向性を定めることができます。勿論、登録システムには改善の余地はあります。登録に医師や、ラボの医師、臨床医、保健医など、疑問を持ち、一緒に考える人々を疫学的に協力してもらう。 例えば、「ちょっと待って、家族のなかで(感染者は)一人だけということはないでしょう。世帯調査をしたほうが良いのでは?」そうやって、隠そうとしても発覚するはありますから、この数には信憑性があると思います。間違いではないでしょうし、特に数の変化、前は少なく、今は増加している、という傾向は間違っていません。今の時点では、増えたり、減ったり、と、かなりの変動があることも確かですし、ほかの産物もあります。
例えば、突然、旅行帰国者を検査することに決まったわけですが、それも影響があるでしょうし、実際に州によっては新しい診断の40%が旅行帰国者であるとされています。重要なのは、統計への影響だけではなく、私たちがこの数をどう理解するべきか、ということです。なぜなら、旅行先から帰ってきてPCR検査で陽性になった場合、旅行先にクラスターがあってそこで感染し現地で病気だった場合も多い。そういう場合は、PCRで陽性であっても感染性はすでにない。

ウィルスを持ち込んでいない、ということですね。

そうです。陽性は陽性ですから、ここに医学診断への疑念はありません。しかし、これは感染源としては違う解釈をしなくてはいけなくて、例えば、保健所に「具合が悪いので検査をしてください。実は5日前にBBQパーティに行ったんですが、夜、少し冷え込みまして。寒いのでみんな中に入ってそれから3時間位踊っていました。その場にいた50人とはそれから会っていませんが、そのなかの数人が電話で私と同じような症状がある、と言っていたので、、、」と訴えてきた場合。この評価は全く違うのです。つまり、ここに一件、あそこに一件。両方PCRは陽性ですが、疫学的な重要性とリスクの意味合いは全く異なります。クラスターが旅行先の外国にあるのか、国内のBBQパーティにあるのか。

クラスターについては、44回で取り上げましたが、不均等に拡がる感染伝播です。先ほどの、BBQのようなケースは、今行われている、新しい感染状況をコントロールし、クラスターを追う、つまり、誰が誰と接触したか、ということを追跡する、ということだと思うのですが、この方法でどのくらいやっていけるものなのでしょうか。今後もそのようにコントロールしていけるのでしょうか。それとも、いずれは広範囲に拡がってしまうのでしょうか。

いつ、それが起こるか、ということを予測するのは困難です。「現状はどうなのか?第二波がもう来たのか?もう始まったのか?」というような疑問の声はあちこちから聞こえてきますが、「第二波なんてありませんよ」というのも「第二波は確実に来ます」というのも、「もうこれは、永続波です」というのも、これらは言い方の違いであって、背景あるものは全く違うものです。以前のポッドキャストでも少し指摘した現象を出したいと思うのですが、まず、接触ネットワークは完全には追跡できないものです。集団感染と集団免疫についてはお話しました。そして、それは70%ではなければいけない、ということではなく、必ずしも、R値も1以下でなければいけない、ということもないのです。ここで、他に影響を及ぼすものが、この接触ネットワークの追跡。もう一つ、理論的なテーマが、パーコレーションです。

数学のモデルですが、もともとは物理から来ていますよね。

そうです。物理です。感染生態学でもかなり前から使われていますし、感染疫学でも、です。疫学、という分野は生態学の医学的な特殊分野である、と言えるかもしれません。疫学の基礎は生態学、、数学だ、という人もいると思いますが、私は生態学だと思っています。どちらにせよ、感染生態学という分野は認知されている分野ではありますが、まだドイツ語圏ではそこまでメジャーではありません。ここで、専門的な話と、昨晩とりだしてきた論文の紹介をする前に、第二波の状況を想像できるよう、3つの例を出したいと思います。

その前に、パーコレーションの定義をしておいたほうがよいかもしれません。簡単に言うと、漏れ出る、ということですよね。

そういうことです。漏れ出す、というのは良い言葉です。まず、コーヒーのフィルターを思い出してください。最新のエスプレッソマシーンとかそういうものではなくて、旧型の普通のコーヒーのペーパーフィルターです。ポットの上に置くタイプの。そこに、お湯を少しだけ入れます。昔ながらのハンドドリップの淹れ方です。まず、少量のお湯を入れて蒸らすわけですが、下からは何も出てきません。またもう少しお湯を入れても、、、まだ何も出てきません。

まずはフィルター全体に水が行き渡るからですね。

そうです。コーヒーの粉がまず湿りますが、全体的にはまだ濡れていません。ここで、想像してほしいのは、この時に、一気にお湯を注いだとしたら、勿論コーヒーは下から出てきますが、これをゆっくりと、一滴ずつ注いだとしたら。かなり長い間、何も起こらないでしょう。コーヒー粉はどんどん湿っていっているのでしょうが、中の状況はよくみえません。確かなことは、お湯を上から注いでいるのにも関わらず、下からなにも出てこない。この状態が数分続くでしょう。そして突然、上から1滴落ちたと同時に、下からも一滴溢れ落ちるようになります。注ぐのをやめたら、また何も落ちてこなくなります。これが、パーコレーションの1つ目の例です。実際に何が起こったか、というと、コーヒー粉の間にある空間が水で埋まった、ということです。そして、ある時点でこの穴からなるネットワークが繋がったのです。そして、そこからは水はそのまま下に落ちていきます。接続がつくられましたから。これは真っ直ぐではなく曲がりくねってコーヒー粉のなかを通って下まできます。うーん、あまり想像しやすい例ではないようですね。違う2つめの例にうつります。
コネクト・フォー(四目並べ)というゲームをご存知でしょう。黄色と赤のチップがあって、それをプラスチックの枠に入れていくのですが、黄色と赤の割合は半々です。赤のチップをずっと続けて入れることは不可能ですが、この枠のなかでチップからチップへ飛べるようにします。チップ同士のコネクトラインはまっすぐである必要はなくて、何らかの繋がり、隣の枠と繋ぐことで出来るラインで十分です。大体50%のところで、統計的には必ず枠のなかのどこかに偶然出来たコネクト部分がでてきます。このように赤いチップのクラスターと黄色いチップのクラスターが分散していて、赤い塊と塊の間にはどこかで接続部がある。これが、80対20だったとして、つまり、80%赤、20%黄色だとしても、接続部はどこかで出来ます。もう少し、具体的に特化していくならば、コネクト・フォーのような枠ではなくて、箱だとしましょう。箱の上と下の角には電流が流れていて計測することが出来るシステムです。そこに球を入れていきます。半分は木製の球でもう半分は金属の球です。どのくらいの割合の場合に、箱のなかに隙間なくいれられた球の間に金属の球同士の接触が生じて電流が流れることが可能になるでしょうか。

箱のなかに道ができる、ということですね。

箱のなかの道、電流回路です。これもまた数学的に計算することも可能で、この物理的、数学的な秩序によって、どの割合から電流が流れるようになるか、ということは興味深いですが、実際には、割合を変えていくと、、流れない、流れない、流れない、、、そして、突然、電流が流れるようになる。この実験も、統計的な偶然によって、金属の球の数が少ない場合でも電流がながれたりします。
さて、この金属の球を正確な診断結果だとしましょう。その他は木の球です。金属の球の数は圧倒的に少ない場合、なんども実験をしているうちに、たまに電流が流れる時がでてきます。それが割合が50%になった際には、ほとんど常に電流が流れます。50%以上になった場合には、どのように球を混ぜようとも電流は流れるようになるのです。ここで、感染生態学の論文、ネイチャー誌に2008年に掲載されたものをみていきましょう。これは動物の集団を研究したものですが、、、

トビネズミ、でしたよね。

正確にはスナネズミです。動物学者のリスナーには、Rhombomys opimus、オオスナネズミ、と言っておきます。これは、スナネズミ属の亜科のげっ歯類です。 Rhombomys属のなかに、Rhombomys opimusがいるわけです。このネズミの研究がカザフスタンで行われました。研究内容は、感染モデル、エルシニア・ペスティス、ペストの病原体による実際の感染状況です。この菌はラットだけではなくこのネズミも持っています。ここで観察されたのは、パーコレーション現象がどのように実際に起こるのか。感染疫学ではR値を使います。Rが1以上になったら、感染が拡がる、ということはおわかりですね。しかし、実際のポピュレーションモデルでの基本仮定ではこれは当てはまらない場合が多く、違う基本仮定を使い、それが、パンミクシーです。これは、無作為に混じり合う、というもので、理論的には、1個体がそれぞれ別の個体と同じだけ観察期間内で接触する、ということですが、この基礎条件は正しくはありません。これは一般化され簡易されたモデルの際のR値です。最近のモデリングにはその点は考慮されていますが、巷でこのような話題がでる際には極端に簡易化されてしまいますので、頻繁にこの閾値効果については全く理解されていない場合も多いのです。ここまで、、、ついてきてもらえているでしょうか。

はい。まだ大丈夫です。

では、続けますが、ここに、大きな家族構成のなかで集団生活する動物がいます。この家族は土のなかに穴を掘って巣をつくりますが、そこには地下の通路があり、その長さは10〜30mくらいです。それ以上は広げません。それ以上拡大するには怠け者なのでしょうし、実際に生活する上ではそれ以上は必要ありません。彼らは大家族で生活しますが、生活環境は樹木が少ないステップ地帯です。穴同士には、常に隙間があって、先ほどのコネクト・フォーのゲームのような感じです。特に人工衛星の高さからみてみると。人工衛星写真をみてもらうと明確ですが、穴が網のようになっていて、驚くほどコネクト・フォーににているのです。この穴、10〜30mの洞穴にオオスナネズミの家族が住んでいる、というわけです。そして、ペストを持っているネズミと、持っていないネズミがいます。感染はノミを通して拡がりますから、ここにもベクトルはありますが、これを単純に観察してみることにしましょう。まず、ペスト菌を保菌している家族を中心に、約3〜4キロメートルくらいの範囲で観察します。ここで、このネズミ家族の周りから段々離れていった場合、エルシニア・ペスティスは検出されるのでしょうか。観察範囲は広範囲です。この家族だけはなく、他も並行して行いますが、何しろ広大な環境です。どのくらいの数の範囲が観察されたかは不明ですが、並行して観察することは可能です。行われたのはこのような観察でした。ここで出てきたのが興味深い基本仮説で、この基本仮説は、もし、この感染病が再生産の法則で拡がっていくならば、密度が高くなるにつれて感染も増加するはずである、というものです。ネズミの数が多くなれば多くなるほど、人間の場合は、室内の人数が多くなれば多くなるだけ、ウィルスが拡がっていく。この例では細菌ですけれど。エルシニア・ペスティスは細菌なので。

つまり、接触ネットワークの人数が多くなれば多くなるほど、接続ができる

そうです。感染する可能性があるメンバーが多ければ多いほど、です。R-0モデリングは大体が受容性をベースにしています。この受容性が高いメンバーの1空間における数が多ければそれだけ病原体が拡がる、ということです。これは、一次関数的な、少なくとも均一な関係であることでしょう。これは周囲ではそうですが、離れたところで違います。つまり、中心には感染した家族がいます。そこで、違う観察シチュエーション、人口密度が高い、もしくは埋まっている穴の数が多い場合、ネズミの数が多ければ多いほど、感染が多いはずなのです。しかも、どこででも。感染が均等に伝播するはずだからです。

全範囲で、ですね。

そうです。観察範囲の全範囲です。しかし、実際には、その周囲だけでした。例えば、1キロメートル以内の家族をみてみると、個体数が多ければ多いほど感染密度が高かった。しかし、もっと離れた場所、3〜4キロメートルでは興味深いことがわかったのです。このような研究実験では、比較する際に個体密度を高めていくのが通常ですので、これは実験というよりも観察生態学、と呼んだほうが良いのかもしれませんが、それでも大変良く構成された、ほとんど人口的な実験とも呼べるほどの内容だと思います。個体数をあげて、感染集団から距離を離すとそこに閾値効果が現れます。ここでは、探しても探しても、、感染をみつけることはできませんが、突然、感染がはじまった。

どうしてでしょうか。

もう一度説明すると、、、スタート地点があって、そこの周辺にいる個体を観察するわけですね。そこは比較的均一です。個体数を上げると、感染数もそれに伴って上がります。そこからまた遠ざかったところで、同じように観察すると、個体数を増やしても、ほとんど感染がみられなくなる。どんどん個体数を上げていくと、突然感染がみつかる。さらに個体数を増やすと、感染は確実にみつかるようになるのです。突然の効果、閾値効果です。
一番最初の考察に戻りますが、コーヒー粉がある時点で湿り、コーヒーが落ちてくる。この閾値効果、コーヒーフィルターのなかでそこを超えたのと同じように、自然界でも、感染生態学でも、オオスナネズミでも起きたのです。

つまり、個体同士の接触があった、ということですか。

そうです。この背景にあるのは、この感染症はクラスターで伝播しますね。この家族同士は空間的なクラスターでそれぞれの接触は制限されています。たまに、ノミがあっちに飛んだり、1匹が隣接する家族のところにいったりはするでしょうが、基本的にはネズミたちは家族内で固まっています。クラスターです。空間的なクラスターでお互いの接触は限られています。このクラスターとクラスターの間で感染が起こるためにはこれでは足りません。しかし、クラスター内のネズミの数を増やしたら。感染速度がはやまります。この際に、クラスターとクラスターへ飛ぶ回数が2回ではなく、30回必要だった、としたら。その背景にはそれだけ多くの感染の大きさがなければいけません。つまり、それだけ多くのネズミがいなければいけなく、もしくはそれだけ大量のノミがいなければいけない。意図的に感染集団を漠然と説明しましたが、ヒットするためには集団の大きさは大きくなければいけないのです。コーヒーフィルターの例のように、滲み出る為には水の量は比較的多くある必要があります。そして、例をSARS-2に戻した場合、何が国民間で起こっているのかがわかるでしょう。感染はクラスター内で激しく伝播する。これは過分散現象です。単独の感染伝播もありますが、この単独のルート自体もクラスターと繋がっているのです。これは、オオスナネズミが穴から穴へと移動しているようなものです。

単独の伝播は途切れることがありますが、クラスターの場合は困難ですよね。同時に起こるので。

そうですね。そこはスナネズミも同じです。常にネズミが感染した家族のところから違うとこへと走っています。しかし、感染は毎回は起こりません。もしかしたら、その時にノミが毛のなかにいなかったのかもしれませんが、それと同じ様なことがウィルス感染でもあるのです。特に、過分散がある場合には。国内のクラスターは地域的なクラスターです。というより、時間的、地域的クラスターと言った方が良いでしょうか。というのは、バースデーパーティなどは、その時に限定したクラスターで発生しています。参加者同士は別の機会にもあっているかもしれませんし、学生のシェアハウスとその友人たちかもしれません。このような社会的な繋がり、クラスターでは頻繁に感染伝播がおこります。しかし、ここから偶然違うクラスターとの接触ができた場合、例えば、違う学生のシェアハウスだったり、セミナーだったり、スポーツとか趣味の分野だったり、それこそ、週末にあった600キロ離れた両親のパースデーパーティだったり。そのようなところで感染伝播が起こるのです。

ノミがこちらの巣からむこうの巣へ飛ぶ、という感じですね。

飛ぶ期間は、症状が出る2〜3日前、そして症状が出始めてから4〜5日の間という短い期間内です。この短期間の中でのみ感染症を伝播するわけですから、この期間内に偶然が起こらなければならない。しかし、全体的にみてみると、国内でのそのようなクラスター、そのような集まりは、お互いが良く繋がっていたり、そこまで繋がっていなかったりする。ある地域で感染が爆発したとして、接触の追跡を試みるとしますが、それは時間と共に自然に消滅していきます。一気に感染が起こったとしても、クラスター同士の接触ルートが少ない場合はそれ以上拡がりません。これを、生態学と集団社会学では、メタ個体群、といいます。
つまり、クラスターが下位個体群、もしくは、集団が感染可能な個体群では、クラスター同士のコンタクトによって、地域全体、地理的広範囲ですね、全体的に伝播ネットワークが、メタ個体群としてウィルスに準備され、クラスター同士の細い接触部が突然すべてコネクトするからです。なぜなら、十分多くの感染集団が存在すると、箱に電流が流れるようになるのと同じしくみです。先ほどの金属と木製の球を思い出すならば。

それは、第二波とみなす上での閾値なのでしょうか。

ここでは、閾値については話しません。他の科学者と同様にこれは数では把握できませんので。モデリングが出来る学者もいますが、私はできません。ウィルス学者ですし、理論疫学者ではありません。しかし、理論疫学者はモデリングは出来ますが、基礎となるパラメーターを持ち合わせていなく、基礎知識もはないでしょう。ドイツ国内の平均的なクラスターの規模、というものはわからないのです。これは本当に集団にもよりますし、ドイツの状況がインドとは違うのは明らかです。

イタリア、とも、ということですよね。

国民の移動性や、平均的な旅行範囲、世帯の大きさ、社会的な大きさ、これらが全て影響力のある因子なのです。ですので、ここでは閾値、というよりも、学者として、閾値効果の原理を説明するしかない。たしかに、この閾値効果はあるからです。目をそらすことはできません。この閾値効果の存在が、今、波が上がったり下がったり、と不安定である事の原因でもあるしょう。もしくは、ヘンドリック・ストレーク氏が言う様に、若干多くなったり少なくなったりしても波は永続波、である。それが、いつか制御不可能になるかもしれない。いつかはわかりませんが、その可能性はあります。そのようなことにならないことを私も願っていますが、その可能性はありますし、今の状態は良いから、このまま続けて問題ない、とはいきません。私たちが知らないところで、感染が起きていて、人々がそれを隠したり隠蔽したりして把握が困難になって、実際の数もわからずにクラスターが増えて検査も出来ず、突然パーコレーション効果、つまり閾値効果が起こって、基本的な状況が変化する。突然、毎日感染者が増加し、何がどう変わったのかもわからないまま増え続ける。なんとかしなければ、、、このようなことが、今、フランスで起こっている感じています。フランスでは、ドイツと同じ様に多くの対策をとり、うまくいっていたのです。そして、突然、また感染が増加し始めました。興味深い考察は、この違いはどこにあるのか。私が考えるには、フランスの第一波の感染密度が高かったのではないか、ということ。フランスのロックダウンはドイツよりもかなり厳しいものでしたが、背景で数多くの残留感染が残っていたのではないか。これは憶測で、測れるものではありませんが、今、起こっている状況の説明にはなります。フランスが何か間違いを犯した、とは思いません。このようなパーコレーション効果というものがあり、フランスでそれがおこってしまった。そして、ドイツではまだ起こっていない。まだ。

尚更、秋に向けて何をしなければいけないか、ということが重要になりますね。どのように、これらの閾値、閾値効果を阻止することができるのか。先生は、検査するだけでは意味がない、検査ではウィルスは消えない、とおっしゃっていますが、バイエルンでも大失態がありました。クラスターに集中しなければいけないと思うのですが、具体的にどのようにすれば良いのでしょうか。

私がZeit誌に執筆した内容ですね。

Zeit誌での寄稿、「秋への計略」ですね。

そのように呼ばれていますね。タイトルは、「秋へのプラン」で、因みに私がつけた題は、「秋への推奨」でしたが、採用されませんでした。

推奨、として読みます。

これを書いた理由は、ポッドキャストが夏休みに入って1ヶ月くらい経ったころに、これは本来ならば議論されなければいけないこと、議論の必要性がある新しい内容だ、と感じたからです。強い提案、これらを至急実行しなければいけない、というような事を書きたかったのではなくて、新しく得られた科学的な視点から幾つかの考察をまとめたいと思いました。この半年、ポッドキャストでも取り上げたものをまとめ、そのなかで適しているものなど、実行に移していけるものを選びました。基本的には、理論的に学術的に考えることが多い 一大学の教授からの、思考の上での実験的な、各個人の行動様式の推奨です。この科学的な思考から出てきた行動様式のアイデアは、現実と照らし合わす必要性があります。これは、世間では今現在全くみえていないところで、、最近テレビでよく出ている人たちも、そのことについては話しません、なぜなら、背景で起こっていることとと全く関わっていないからです。しかし、多くの議会や内閣、保健機関などがこの案から何かを取り入れる出来ないかどうかを検討し始めています。この案の基となっていることは、こうです。まず。今、行われていることは全く間違ってはいません。どこかに批判されるべき箇所があるわけではありません。間違ったところにフォーカスしている、とか、迷走しつつある、とか。そのような表現をする人の発言を聞いたことがありますが、そんなことを言いたいのではないのです。
今現在、行われている対策は今現在の状況において正しいことであること。そして、この隠れたところでの感染活動、これをコントロールすること。全ての労力を、全感染ケース、クラスター同士の細い接続ラインを追跡し、それを断ち切ることに注ぐ。これが重要です。ここから懸念がでてきますが、懸念されるところは、もし、パーコレーションの限界を超えてしまったら。なんらかの原因で制御不可能になってしまったとしたら。感染が爆発した地域の保健所が、「もう接触追跡は無理です。追えません。」となったとしたら。これは、第一波の時にも現れていたことですが、そこで、どうするか。もし、この状況、緊急状況のなかで、このまま何も変えずに行くならば、、、手段はロックダウンしかないでしょう。再び、ハンマーをもって制しなければいけなくなり、接触制限、旅行制限、などが必要になります。車での旅行や列車での旅行などでの移動によるクラスター同士の細い接触面、それらを考慮し、少なくとも地方、州内、もしくは広範囲の地域で回避する。

追跡の際に起こる時間のロスによってさらなる感染伝播が起こってしまうからですね。

そうです。もうこうなってしまったら追跡できなくなるからです。同時に、毎日感染者数が増加しています。1ヶ月の遅れで入院患者数も増える、ということは誰もがわかっていることです。今は発生数は少ないですが、若い世代の重症化しない患者が多いですからね、しかし、ここから数週間後には高齢者にも広がります。時間の問題です。また集中治療が必要になる。これらのことを事前に回避しなければいけないのです。状況の初めの段階で。集中治療室の状況をみてから判断していたりなどしていたら手遅れになります。これは全く間違った対処法です。そのようなことがイギリスで、ニューヨークで、イタリアで起こりました。集中治療のキャパがいっぱいになるのを待っていたら、、もう遅いのです。

今はまだそうではありませんね。

そうです。避けては通れません。今の時点では程遠いですが、考えなければいけないことは、どうすれば、ロックダウンなしで、、それがたとえ限られた地域内でのロックダウンであっても、ロックダウンをすることなく、危機を回避することができるか。幾つかの案を計略としてまとめ、他にも可能な方法を書き出しました。ロックダウンなしで抜け出す方法、可能性があることを。ここにはロジックがあります。
この感染症は大部分がクラスターによって拡散していくことは承知の事実ですが、日本での行動モデル、後ろ向き調査によるクラスター対策、という、ものがあります。日本では、押谷仁という、視野が広い疫学者が、、彼が単独で大きな政治的影響力を持っていたことにより、ロックダウンなしでシチュエーションを乗り切ることを可能にした。中国からウィルスが持ち込まれた第一波をロックダウンなしで医療の崩壊を回避したのです。これは初めほう、第一波の話ですから、5月、6月になって日本でも感染者数が増加した時点でこの対策は中止されて緩和されました。そこからは後ろ向き調査によるクラスター対策ではなく、接触制限もとられましたが、結局ロックダウンはされていません。 この、後ろ向きクラスター対策では、感染ケースが発覚した場合、患者は、2〜3、4日前くらいから症状がでていて、今日検査結果が出て陽性が確認されていますね。これからこの患者をどうすればよいのか。往来の考え方では、やることは、患者が周りに感染を伝播しないようにすることと、感染させてしまっているケースを見逃さないこと、です。前向きで考えれば、「あなたは、高い確率で感染性を持っています。他の人と接触しないでください」簡単です。ここから感染は拡がらないはずです。しかし、実際にはこの患者に「あなたはもうすでに4日前から感染性を持っていました。誰とその期間中に接触しましたか?名前を全て書いてください」と聞き出して、そこから、接触者たちに保健所が電話をかけて、感染の疑いがあることを報告するのです。もしかしたら、もうそのなかに症状が出ている人がいるかもしれません。その人たちも知らないだけで、感染性を持っている。症状があっても、症状に気がつかないで、たぶん、少し喉が痛いな、と思っていたりするでしょう、しかし、あまり気には留めません。ここで「自己隔離してください。14日間の隔離が決められていますから、症状が出てきたら検査を受けてください。それ以外は自宅にいて他の人との接触を避けるように。感染が拡がるのを阻止しなければいけません」 これが、往来のやり方です。  日本では、これ以外にもっと重点を置かれたことがありました。ドイツでも勿論ガイドラインのなかには入っていて実行されていたことではあるのですが、これは優先順位の問題で、保健所の対応がどこまで可能か、ということにも関係してきます。今一度、日本で何が行われたか、という説明をしたいと思うのですが、ドイツの保健機関でも可能であったものの優先順位的にはそこまでは高くはなく、日本での優先順位が一番高かったことは、、、「ここ数日間、誰に会いましたか?」という質問の他に、「どこで感染したと思われますか?どこに行っていましたか?クラスターのシチュエーションにいた可能性はありますか?」という質問をすることです。そこで患者は、「クラスターのシチュエーション、というのは一体何でしょうか」と聞くわけですね。ここで、典型的なクラスターのシチュエーション例のリストをみせられます。このリストのなかにはカラオケバー、などというものも含まれるので、内容には文化的特性もあります。カラオケバーはドイツにはほとんどありませんから。ドイツだと、そうですね、「カーニバルに参加しましたか?」とか、春の段階ではそのような質問が適していたでしょう。それとか、「大きなパーティーには行きましたか?家族の集まりとか?親戚に会いに行きましたか?感染した可能性がある期間中、1週間前くらいですが、その期間中に趣味の教室やそのようなところに行きましたか?」

スポーツジムなどもそのようなシチュエーションですよね。

そうですね、人が集まるシチュエーションです。この尋問の為には事前にリストが用意する必要があって、というのも、各自の想像や抽象化にあわせるのは難しく、保健所の職員が、「そうですね、、、20人以上が集まって、密室に近い環境のなかで、少なくとも15分間滞在した。そのようなことはありましたか?接触した人のなかで症状が出ている人がもしいたら、もっと良いのですが、、」と質問したとしたら、患者のほとんどは困ってしてしまうでしょう。「うーん、よくわかりません。1週間前に誰と接触したか、なんて普通覚えているものですかね、、たぶん、、ボーリングには行ったと思います。そのくらいしか思いつきません」と。 しかし、もうすでにリストがあってそれをみせられた、としたら。そして、そこから選ぶことができたら、「あぁ、ここにボーリング、とありますね。私は会員ではありませんが、同好会には入っています。それも同じことですよね?」このように例をあげた情報提供をすることによって、聞き込みをスムーズに行うことができるのです。同時に、国民一人一人の協力、ここも重要なポイントです。保健機関や行政機関など公の機関だけではやりきれない事なのです。この秋を乗り越えようと思うのであれば。そして、もし、パーコレーションの限界を超え、再び緊急状況に突入するようことになるならば。国民の大きな協力体制というものが必然となります。全員がやる必要はありません。なかにはしっかりと理解ができない人もいるでしょうし、基本的に何にでも反対する人もいるでしょう。そのような人たちは忘れましょう。全員でなくても良いのですが、大多数が参加しなければいけません。半数が協力するならば大きな効果がでるでしょう。「勿論、協力します。接触日記をつけます」と。これは、Zeit誌の記事に書いた形式のもので、どこかのメディアで報道されたようなものではありません。すぐに「ドロステンは先走っている。こんな接触日記などやる人がいるわけがない」と言われましたらね。私の記事の内容は誤解の余地はないと思うので、誤解するひとはわざとするのでしょう。日記とはクラスター日記のことだからです。

ということは、コロナアプリに期待したような、接触日記をつける、ということでしょうか。

小さな範囲での接触日記、接触した人を全員書き出す、というのは不可能なことは誰にでもわかりますね。そのためにはアプリがあります。アプリを使っている人はそれで十分です。使っていない人もいるでしょうが、それに関しては、「民主主義とはそういうものだ。全員が参加することはない」と軽く肩をすくめながら言うしかありません。しかし、本当に全員ができること。これが、クラスター接触日記なのです。夜に一度、「今日はクラスターのシチュエーションはあったかな?」と、自分のためにするのです。夜、書き留めます。3日から4日の割合でクラスターのシチュエーションにいるかもしれません。自分の家族はそのなかにはいりません。職場で毎日会う同僚たちも入れません。研究所ではコロナ対策をしていますし、常にマスクも着用しています。研究所は病院と同じように防護服などの対策がとられていますので、そうではなくて、日常のシチュエーションです。例えば、私は大学の教授です。そして鑑定などにも呼ばれますが、最近ではまた対面で行われたりします。15〜20人が一室に集まったり、です。コロナルールというものがありますから、距離などはとります。それでも、その接触を書いておきます。もし、1週間後に症状がでたら、これがクラスターだった可能性もありますから。そこで保健所に「クラスター接触はありましたか?」と聞かれたら、この日記をみて「ちょっと待ってください、リストには、、、1週間前には、、鑑定に呼ばれました」と答えることができるわけです。他の職業や社会的な活動が違う人はまた別のシチュエーションがあるでしょう。例えば、「私のクラスターリストには、この間の木曜日にホッケーチームの試合、とあります。屋外でしたが、雨が降ってきたので更衣室で少しおしゃべりしました。」

カレンダーと上手くコンビネーションできそうですよね。

何が言いたいのか、というと、これは誰にも理解できる事だと思います。親戚の集まりとか、そういうものも含まれますし、単純に、いつ、クラスター接触があったのか。公に発表された典型的なクラスターのシチュエーション例のリストがあれば、もっと簡単になるでしょう。これにはまだ他の効果もあって、「あ、行こうとしていたところが、クラスターリストに載ってるな。じゃあ、この数週間はやめておこうか。一応社会の一員だし、貢献したい。ホッケーの試合は禁止はされていないけれど、いまのところはやめておこう。」

そうですよね。基本的に禁止されてはいないことでも、今は、「虎」とのダンスをしなければいけないわけで、ウィルスと共存しつつ、感染伝播を抑えていく、という面でも、そのようなシチュエーションになった場合にはきちんと記録しておく。

そうです。保健所への情報を用意して、クラスター源を追跡できるようにする。これが肝心です。クラスターのなかには、国民の協力なしでは追跡が不可能なものもたくさんあります。今感染した患者に、「ここ数日、多くの人と接触しましたか?」と聞いて、その接触者に電話をかける。今、目の前に座っているひとがその人たちに感染させたかもしれない。これは、登録クラスターです。これは、学術的には、クラスター源とは分けて考えなければいけないものです。これは、この患者が感染した可能性がある場所です。大きな問題はそこで感染グループがもうすでに前から存在して、今、目の前に座っている患者はそのなかの一人にすぎなく、このまだみつけられていないクラスターのなかで10、20、30、50人ものメンバーのうちで半分以上が感染しているかもしれない。それが、まだ把握されていないということなのです。
これは、その次に書いたことなのですが、これから診断の面でも新しいやり方をみつけていくことができるのではないか、ということ。今まで話してきた内容にマッチするのでわかりやすく説明できると思うのですが、このクラスター源は把握されていない感染者で溢れているかもしれません。この人たち全てに電話し、検査することを促して、病院やテストセンターに行かせ、ラボが結果を送ってくるのを待つ。ラボのキャパはもうかなり一杯ですし、今の状況だと4〜5日くらいも結果が出るまでかかってしまうかもしれない。それまでに、またさらなる感染が起こってしまうのです。ここでは、クラスター発生源が発覚した場合には、すくに自宅隔離。全員が自宅待機とする。これは、もうすでに保健所が可能な限り実行していることですが、例えば、いくつかのケースが発覚したり、症状が出ている人がいる場合は、保健所はすぐに「この講習会の参加者、この親戚の集まりに参加した人は、全員自宅待機、もしくは自宅隔離です」とすることができます。正確には隔離ですが、定義は頻繁に混同されているようです。 ここには、発覚したケースとまだ見つかっていないケースが含まれますので、私はクラスターのクールダウン期間、と呼んでいます。全員を自宅に待機させることによってクラスターを落ち着かせるのです。

でも、14日間でしょうか?現在はそうですよね。

それに関してはこれから説明します。保健医の問題は、、、これは、実際に起こっていることなのですが、私は国の諮問ラボとして、全国の保健機関から相談をうけ、問題点の指摘や、規約に対する苦情をはじめ、現場と本音の話し合いを行っていますが、彼らは現在のシチュエーションについてこう言っています、「感染者を隔離しなければいけないことはわかっています。しかし、それをしたら、議員から上司に電話が入って問題になるんです。それか、雇用主が政治家に連絡して、、その政治家から電話口で徹底的に叱られます、、、」ですので、常に妥協シチュエーションというものがあって、保健医はこれがクラスター源である、という確実な疑いがあったとしても、エビデンスをとるためにまずは検査をしなくてはならない。2ケースではなく、3ケース、4ケース。ここで確実な結果が出てから隔離、となりますが、もうその時点で伝播は拡がっている、というわけです。
クラスター源というものには特徴があって、シンクロ性が強い、ということと、爆発性。そこでは、大人数が同時に感染し、感染性を持っています。これを捕まえなければいけないのです。1週間後では遅いです。1週間後には感染性はもうないので。しかし、その時には接触の接続がもう違うクラスターに移行している。そのクラスターはまた未発見、というわけです。そこまで追跡することは不可能です。そこまでパワーはありません。それに必要なマンパワーも電話のキャパもないのです。
ここで私の提案ですが、これは、感染反応論に基づく新しいデータから割り出したもので、簡単に言うと、PCRで検査された患者は、結果が出た時にはほとんど感染性がない、ということわかっています。どうしてでしょうか。それは、今でも、症状を重視した診断をしているからで、、、これは、ドイツのシチュエーション的には正しい診断方法だと思います。アメリカでは違いますが、ドイツに限って言えば、正しい対処方法です、現在の発生数をみても。今、検査をしたとしたら、結果が出るまで今現在では3日〜4日かかってしまう。これが現実です。ラボの所要時間が24時間だったとしても実際にはそうはいきません。配送のミス、ファックスが紛失したり、電話番号が間違っていたり、、、「ここには何もきてませんよ。病気、だというようなことは聞いてません。家に帰って休んだらよくなるでしょう。」と言って患者を帰した医師もいる。本当にあった話です。誰かを責めるわけではありませんし、ミスは誰もが犯しますが、こんなことが重なると結果が届くまでに3日、4日経ってしまう。症状がでてから数えて、です。感染性が高い期間は、症状がでる2日前から、そして症状が出てから5日目に終わります。ということは、結果がでる日はほとんど、感染させるリスクがある最終日かその1日前、ということになりますね。その時点でウィルス濃度もかなり低くなっています。そのような事実があるなかで、「14日自宅にいてください」というのは困難でしょう。感染リスクがほとんどないわけですから。それよりも重要なのは、後ろ向き調査をすること。 これは興味深い妥協案です。雇用主、議員、よくわかりませんが、地方議員とか、そういう人たちにとって、クラスター源を隔離することは大きな打撃であることはわかりました。保健所と交渉の際に、このように提案することができたなら。「(議員)先生、5日ではどうでしょうか。14日のかわりに、5日です。短い隔離です。この5日の中には週末も入っていますから、実際には3日だけのロスになります」

ということは、個人的、経済的な負担が少なくなる、ということですね。14日から5日にする、ということでも感染拡大を阻止する効果があるのでしょうか?それとも、残留リスクと共に生きていかなければいけませんか

この5日、という提案は、疫学的にかなりギリギリのところでの妥協案です。この、(症状がでてから)5日にはもう感染性はない、というのは賛否両論な仮説ですが、私的にもこれは現実的に考えてどうしたらロックダウンから免れることができるのか、ということの提案なのです。学校のクラス、会社などを何週間も隔離しても意味がありません。もっと短期間であるべきです。もうひとつ、現在のシチュエーションを緩和するための案を出します。それは(隔離)解除のための検査。私の提案は、この5日間を検査の無駄にしないために、5日が経った後で検査する。最終日に、クラスター全員が感染していたという疑いは正しかったのか。全員だったのか、それとも数人だったのか、ということだけではなく、診断でもっと他のことも調査したいのです。この5日後にまだ感染性はあるかどうか。この、感染(ウィルスの有無)を確認する検査対感染性を確認する検査、ですが、ここが私的にはとても重要です。

でも、どうやって検査するのでしょうか。私の情報が正しければ、今現在の研究ではどのくらいのウィルス量が感染の為に必要なのか、ということははっきりしていないのですよね?ウィルス濃度はどのくらいである必要があるのでしょうか?

その通りです。この数を出すには、勇気と実用主義と直感と臨床ウィルス学の高い知識が必要ですが、、、しないわけにはいきません。ここで、数を明確にし、ウィルス濃度がここの数値から感染性がある、というものを出さなければいけません。私は、1スワブにつき100万コピー、もしくは、ミリリットル。これが目安です。リスナーのなかの専門家の方々為に言うと、数日前に、ニューヨークタイムズの記事に、ここではウォルス濃度の100万コピーではなく、Ct値で30、これが提案されていました。パッと見た感じは良いのですが、実は、PCRの反応溶液によってもCt値にはばらつきがありますし、検査機によっても違うのです。Ct値が30といっても、私のラボで検出されるウィルス濃度と、別のラボでは結果が異なります。

Ct値についてご説明いただけますか?ニューヨークタイムズの読者ではない人のために。

そうでした。専門家ではない人のために、ですね。これは、treshold cycleといって、閾値サイクル、増幅サイクル、PCRの増幅ですね、それが、あるシグナルから識別できるようになるのです。これが、反応が開始される際の目安となる量です。

遺伝子の増幅、ということでしょうか。

その通りです。PCR検査については春に徹底的にここで話しましたが、これでウィルス濃度を定量化するのです。これは、ウィルス濃度の目安になりますが、少し大雑把ですし、特に、高いクオリティが要求される医療ラボではこれでは足りません。間違ってはいない、と思いますよ。特にアメリカがまずはCt値を決めよう、ということにしたことについては。間違ってはいないのですが、医療ラボの立場からすると、もう少し厳密にいきたいのです。確固たる基準を確定したい。それを今しようとしているのです。私たちは、基準プレパラートを用意して、各自ラボがそれを使って各検査機で確認できるようにします。それによって、(その機械では)どのCt値が100万コピーに値するのか、ということがわかるからです。場合によっては、Ctは28、他の機械では30、という数値が出てくるかもしれませんし、ラボが変われば27かもしれません。今はインタビューという場ですので、推奨値や規定については話さないことにしたいと思います。この数は理解をするために出したものです。これから、専門家が集まっての会議、様々な研究所、勿論、ロベルト・コッホ研究所もですが、そのような場で、100万コピーではなくて違う値に決まる可能性もありますね、専門家の間で合意しなければいけませんから。とりあえず、理解のために数値をだしました。私は100万コピーだと思っています。
この規格をやれば、ウィルス量によって感染性が高いか低いかという範囲を見極めることができるようになります。これを検査結果に追加で記入する。私は、Ct値の28、などと記入することには賛成しません。これではわからないでしょうし、ラボ間で移転可能ではありません。そうではなくて、まず、陽性、であること、そして、結果の評価、これは医師の診断も含まれますが、ここでもう一文、「検出されたウィルス量はサロゲートエンドポイント基準により感染リスクは高くは認められない」と明記。この文章は、法的にも正しくある必要があります。ラボの責任範囲がどこまでで、どこから保健機関に移行するのか。というのも、このような検査結果は、ラボと保健機関間で行われますので、「システムがすべて変わります」などと公で発表する前にきちんと基礎的な点を決めなければいけません。これから多くの専門家がまずは話合うことになりますが、求めている方向は皆同じだと私は思うのです。阻止しようとする人などいなくて、ただ、 精密さを求めるがために少し時間を有する、ということですが、時間はあるでしょう。そして、もう一つ。この100万コピーを通じて、密かに他の提案も考えています。それは、今、ラボで抗原テストの検証をおこなっているのですが、そろそろ、データが揃って、抗原テストの結果で信頼できる結果が出る感度の限界がわかってきました。これが何を意味するかと言うと、まずは、これから私たちはこの感染性情報をシステムに取り入れる、ということに慣れていくのですが、それが通常業務になって、クールダウン期間後に検査をし、そこで、感染性はこのくらい高いので、隔離を終了します、と。これらを全て日常の業務に定着したとして、その後で大きな新しい助けとなるもの。それが抗原テストです。

ラピッドタイプですね。

その場で結果が出るタイプです。妊娠検査薬のようなテストです。まだこれは許可がおりていません。許可がおりているものも中にはありますが、市場に出回るだけの数が生産できません。もう既に売り切れてしまっているものもありますが、数か月後にはまた出てくるのではないかとは思います。そこでなんとしてでもドイツ国内での生産を全力で可能にし、供給状態がパンクしないようにしなければいけないのです。医師や保健機関の職員なら誰でも、それを持って患者のところに出向き、「今日は5日目ですので、ラピッド検査をしましょう。陰性だったら明日から仕事に行っても大丈夫です」 これができるようになれば、今までの診断問題、長い検査機関、ラボのキャパの負担、そしてかかる費用もそうですが、そのような問題が一気に解決するのです。私の先ほどの提案、100万コピーも関係があるのは、私自身もラボでこのようなラピッドテストの検証作業をしているのでわかるのですが、そのなかで様々な製造元のテストの感度限界をみていくうちに、この辺りが数値であろう、という勘がつかめてきた、というわけなのです。 これから、PCRを使いながら試して行き、次のステップに移ることが出来る幸いな状況にきたならば、「これから抗原テストも導入しますが、この感度リミットは等価です」と言う事ができるでしょう。抗原テストでは、「検査が陽性だったら、患者は感染性を持っている。陰性だったら、感染性はない」となりますが、これは、感染していない、ということを意味するのはないことはおわかりですね。感度の関係で、感染しているかどうかはPCRで検査しなければいけません。そのためには抗原テストは適していません。(抗原テストだけでは)テスト時にウィルス量が少なかった人を正確に検査することができなく、見落とされる感染者がでてくるでしょう。しかし、保健医的に重要なのは、「あれだけの症状がでていて陽性反応も確認されましたが、今の時点では高い確率で感染性はないと判断されます。よって、仕事に復帰してもよいですよ」と患者に報告することができることです。

ということは、クラスター内の他の接触者はPCR検査で検査をしなければいけない、ということでしょうか。接触者は5日間の隔離の後で抗原テストをうけますが、感度が十分でないために見落としがある可能性はありませんか?

勿論です。感染の初期、、そうですね、1日目とか、まだ症状がでていない時には抗原テストは反応しません。PCRでは反応はありますが。これは常に付け足して言っておかなければいけないことなのですが、この提案の数々は、緊急案であって完璧ではない、ということ。ここでは、もしかしたら来るかもしれないシチュエーション、全ての人をPCRで検査することが困難になった場合の話です。なぜなら、他にもみえている問題はあって、これについても話し合わなければいけないと思うのですが、これは世間もまだわかってないと思いますが、秋からの診断状況です。このようなことを書いたならば、場合によっては批判されるポイントなどを事前に考えておかなければいけませんし、将来に向けての内容でなければいけません。これは、願わくば全体の対策のなかで必要とならないのが一番です。第二波が来ることなく。そうなれば良いと願っています。導入するにしても緊急時、例えば、「もうかなり追い詰められている。全ての接触者をPCRで検査することは不可能で闇雲に隔離するしかない。隔離期間後に検査を検査をしなければいけないが、他のところも検査はもう追いつかない。この方法を使えば、比較的発生数を抑え、ロックダウンなしで乗り切ることができるかもしれない」となった場合。そのための案です。私の想像上のシチュエーション、私が執筆したなかでのシナリオは、思考的な実験です。追い詰められた時。打つ手がもう、地域的、或いは全国規模のロックダウンしか残っていない時。そこに国民の理解を求めることは至難の業だと思うのです。説得できないでしょう。そのようなシチュエーションからの考案です。
もう一度言いますが、ラピッドテストについては、メディアでまた安易に取り上げられています。テレビなどで、全く専門でもない人たちが、どこかで聞きかじった情報、専門家間の議論を聞いたのでしょうか、などをもとに、自らは診断に関わっていない人たちが、「抗原テストは速攻で導入すべき。一体ドイツは何をやっているのか。もうすでにあるわけだから、許可すればいいだけの話だろう?PCR検査自体が笑い話であって、陽性反応がでたって感染性なんかないはずだ。」そんな簡単な話ではないのです。現実は、まだまだ長い道のりです。というのは、法律、というものがあるからです。勿論、必然だからあるのです。最近、別の角度からも批判がでていて、PCR検査はエセであって、ウィルスなど実際には存在しない、と。検出されるのは、すべてRNAの断片である。真実は、ドロステンがお金を儲けるために考えだしたもので、パンデミックなんてないし、少なくともドイツにはない。そんな話を耳にします。ここで反論しますが、診断ラボの規約というものは、認定されています。定期的に行われる品質コントロールシステムがあり、これによって陰謀説者達の言い分がすべて却下されることになるのですが、すべてシステムのなかで検査されているのです。不確かな事など全くないのです。他の風邪ウィルスで偽陽性反応が出る事などありえません。それが確認されずに登録されて統計にカウントされる、などありえません。そんなことなどありえないのです。これは、妄想です。なぜなら、私たちは全て法令順守 に作業をし、医療ラボは遵法に検査をしています。そして、この法的な規定は抗原テストにも当てはまります。それに従わなければならないのです。私たちにできる事は、法的な手続きが潤滑に進むように全力をつくすことです。一つ目にクリアしなければいけないことは、CE認定、ヨーロッパの認定基準に基づき、テストの製造過程と分析クオリティが基準に達し、体外診断用医薬品としての使用が許可されること。まずこれをクリアしなければいけません。合法な方法で近道ができるのであれば、例えば、保健医のみが検査ができる、とする、とか、ですね、そのようなことも、今、法的に検証されています。勿論、ホイテジャーナル(注 ニュース番組)や、マイブリット・イルナーの番組でではありません。これらのことは専門家の間で決められます。

今後、時間的にみて、どの辺りで検証作業が終わって、どの基準数値が使われるか、などが決まるのでしょうか。

注意深く見積もってみると、、全てが問題なく進んだとしたら、、12月くらいでしょうか。勿論、全力投球して、です。政治も絡んできますし、直接製造元のラボにも関係しますが、素晴らしい人たちが関わっています。しかし、これは公にされるべきことではないのです。プロセスのなかには、法的な事と折り合いもありますし、今、巷で流れている語弊がある情報から行われる議論からは、悪影響と崩壊しかありません。もう既に、長年使われてきた検査方法、医療が簡単に破壊的な悪意によって攻撃されています。全て自己啓示欲からです。

ということは、法的な安全性も重要だ、ということですね。ワクチン開発でも同じですね。

ワクチンの場合も全く同じです。

保健機関にとって重要な事は、それに関わること全てにとって重要です。

もう一度言っておきますが、大学教授が、Zeit誌に執筆する、ということは、長年の業務経験と先見とを持ってしても、それは常に学術的な提案である、ということです。保健機関やロベルト・コッホ研究所が、「ドロステン教授」または「クリスティアン」同僚とは、Du(注 ドイツ語での親称)のほうが多いので、、「君はまた大事な事を見逃したと思うよ」と言ってきたとしたら、「あぁ、その通りですね。うっかりしていました。」と、気を悪くすることなんてありません。「何が何でもこうしなければいけない。私が正しい」などと、絶対に言いませんし、テレビ出演をして自分の正当化をすることもありえません。全く間違ったやりかたです。そんなことはするべきではありませんし、学者であれば尚更です。現実、というものが常にりますから、Zeit誌に書いたことが100%実行される、などということを期待もしていないのです。もしかしたら、何一つ実行されないかもしれない。全く明後日な提案かもしれないからです。しかし、私は多分どのようなことをどの様にしたらよいか、という洞察力は少しは持ち合わせている、と思っています。特に、数ヶ月前に提案していたことが、今、国際的にも同じ様に案としてでてきていますので。

話し合う必要性がありますね。ウィルスのリスクと共存しつつ生活をする上で、感染を押さえ込み、ブレーキをかけるねく、秋の緊急時の計略提案、アイデアですね。ドロステン先生、最後に、個人的な推奨をするのは難しいことはわかっていますし、個人で決めることであることもわかってはいますが、どのリスクを回避することが可能なのか。ポッドキャストの初めの方で、家族で祖父母に会いに行っていた、と仰っていましたが、友人などに聞かれたらなんとお答えになりますか?春のように、距離を保って、屋外でも室内でも、ハイリスクと高齢者とは接触しないように、でしょうか。

今のところ、発生数は低いです。しかし、どこにウィルスが潜んでいるのか、ということはわからない、という自覚はしっかりと持たなければいけません。もしかしたら、ロベルト・コッホ研究所が発表している数の2倍、というのは少なすぎるのかもしれないのです。20倍でも少ないかもしれません。しかし、今の時点では、様々な社会的な要素、つまり、パティーピープル、20代でほとんど自覚症状がない人たち、彼らもレイブパーティには行かない方が良いわけです。そして、多くの旅行者。そして、文化的背景が異なる人々。彼らは医者にも行かないことが多いでしょう。これらの全ての現象が今存在します。ですから、どこにウィルスがいるかはわからない。しかし、ウィルスの拡散を阻止するために、どのようなシチュエーションを避けなければいけないか、ということはわかります。どのようにするか。おじいちゃん、おばあちゃんに会っても良いのか。どのように行動すれば良いのか。  たとえば、子供達がおばあちゃんに会う際にリスクを少なくしたいのであれば、このような事も考えられるでしょう。1週間後、この1週間後、というのは今後の話です。この1週間後が秋休みだ、とします。秋休みの1週間目、です。子供達は学校や保育施設に行かなくても良いですね。休暇の計画をそれあわせて、1週間目は在宅にしてほとんど人にも会わない。丸々1週間でなくても良いでしょう。週末を入れても良いでしょうね、平日と週末をあわせたり。そういうことも考えられます。それか、週末と週末の間に家族の自主隔離期間を設ける。この週で感染はないので、もし感染していたとしたらその前の週、ということになりますから、比較的安全な状態で親戚に会いにいけるでしょう。家族のなかで感染しているのにも関わらず、全員全く症状がでない、ということは極めて稀だと言えますので。

潜伏期間が長めであっても、でしょうか。

潜伏期間は長いこともありますし、残留リスクは常にあります。それはそうです。しかし、ここで考えたいことは、どうすれば、目分量と常識的思考で、残留リスクを最小限にすることができるか、ということです。実際に、家族全員が自宅隔離で生活して、その間にわずかな症状すらでなかった、としたら。これはかなりの確率で感染していない、ということだと思うからです。その状態では会いにいけるでしょう。家族、という閉鎖されたグループで、おじいちゃんおばあちゃんに会いに行き数日そこに滞在しても、ここでも閉鎖されたグループなどで問題ありません。もし、診断という選択肢がない場合は、このようにするでしょう。それから、今現在は発生数が低いシチュエーションです。リスクは大きくなく、確率も高くありません。しかし、地域的な差はあります。例えば、メクレンブルク=フォアポンメルン州の住民は、バイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州とは全く違うリスクがあるはずですし、ノルトライン=ウェストファレン州もそうです。そこは意識するべきです。何が言いたいか、というと、今現在の地域別の感染状況を把握するべきです。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしているならば、まだまだリスクは高いんだよ、といっておかなければいけませんし、こちらが折角会いに行く前に自主隔離しても、おじいちゃん、おばあちゃんが積極的に同好会の集まりに出向いていたとしたら、、、全く意味がないわけですよ。何故なら、そのようなところでは高齢者の社会事情への理解が欠如していたりするからです。これは残念ながら、増加している現象ですが、特に高齢者、定年退職者など、時間を持て余している世代が、有り余る時間を使ってユーチューブをみたりしています。彼らもiPadなどを操ることができますから。そこでは破壊的で崩壊的な陰謀説が発信されている。これは命に関わる問題です。私は、もう少し高齢者に対して広範囲におけるチェックやケアが必要であると感じています。「今の状況をどのようにみていますか?リスクを感じますか?大丈夫ですか? 」と。そのほうが、常に(高齢者)ウィルスを持ち込むかもしれない、という恐れとともに生活するよりも重要なことだと思うのです。

今日もありがとうございました。またよろしくお願いいたします。


ベルリンシャリテ
ウィルス研究所 教授 クリスチアン・ドロステン

https://virologie-ccm.charite.de/en/metas/person_detail/person/address_detail/drosten/

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