ドイツ@Sars-CoV-2 コロナウィルスアップデート(56)  2020/9/15(和訳)

ベルリンシャリテ ウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン 
 聞き手 コリーナ・ヘニッヒ 

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秋に向けての警告は何度もされてきました。しかし、数でみてみると、ドイツ国内では、夏休み後もかなり安定した傾向にある、とロベルト・コッホ研究所からも報告されています。現在、9月はじめの1日の感染者数は1000、それ以下です。このように、パンデミックが多くの人たちにとって、見えない存在になりつつあるのではないでしょうか。  エアフルト大学の長期間に渡るプロジェクトの一環で、この感染症について何を知っているか、そしてそれをどう評価するか、ということが調査されています。多くの人たちの間では、感染対策が感染防止になっている、という認識はあるものの、その需要意識は下降気味である、という結果がでています。今日は、現在の感染防止対策に関する批評についても話し合っていこうと思います。これはリスナーからの数多くいただいたリクエストでもありますが、感染は過大診断はされいるか。検査数をどう評価するべきなのか。そして、アフリカの状況にも目を向けていきたく思います。アフリカの人口は世界の16%を占めますが、感染者の割合は5%です。それはなぜなのでしょうか。そのほかにもたくさんの疑問がありますが、それらをウィルス学的に、ベルリンのウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン氏に分析していただきたく思います。聞き手はコリーナ・ヘニッヒです。

イタリアからの衝撃的な映像や、ドイツ国内の介護施設で多くの高齢者が重症になっていた春頃から比べると、パンデミックが少し非現実的なものとなりつつあるように思います。はっきりとみえないのです。この、定量的には理解することが困難であること、そしてもしかしたら本当はたいした問題ではないのではないか、と思ってしまうことに対しての理解はおありでしょうか。

うーん、これが未然防止のパラドックスであって、今、少なくとも、自国内ではかたちになってみえてこない。それに対する、理解、ですか? どうでしょう。常にその事について考え、世界の状況にも目を向けている者としては、私にとっては、はっきりと目にみえていることですから。日常において他の事で頭がいっぱいの人たちにとっては、そこの認識が違うのかもしれません。ただ、私が時々理解に苦しむのは、そこまで大声で主張する必要はあるのか、ということです。今、公で主張されている意見のなかにはびっくりするようなものが数多くありますので。しかも、そのなかには社会的に重要なポジションにいる人たちも数多くいる。そんなことをしているよりも、市民の理解を得ることに努めるとか、政治的に働きかけるとか、そういうことに力を注ぐべきでしょう。冬になって、ドイツでも今とは違うシチュエーションになった場合に、今の発言を 引き合いにだされてもよいのかどうか。ということです。

それは、研究分野における同僚の先生方の発言、についてもおっしゃっていますよね。ドイツ国内の感染状況をみていくと、夏休みが終わってからもう数週間経った現在、数だけでもみていくと少ないわけです。大雑把な言い方ですが。旅行効果は落ち着いてきています。これをベースに様々な声があると思うのですが、そのなかでも、一息つこう、という意見がでています。例えば、ヘンドリック・ステーク氏が、インタビューで楽天的な視点から、AHAルールを守れば比較的安全にこれからの数ヶ月過ごすことができるだろう、と言い、州ごとに感染状況を示す信号をつくる発案をしています。それを参考に、自らの行動や対策を調整していく。少し、レストランなどの衛生状態のアンケート調査に似ているでしょうか。これは意味がある考察だと思われますか?

まず、、ある一定の個人について議論することは根本的に好きではありません。私もそうやって標的にされてますからよくわかります。それよりも、聞きたいことがあるのであれば、私に直接聞いてほしいですね。 どこかで短縮されたり、引用されたりしたものではなくて、私が実際にどのような発言をしたのか、というところをみてほしいのです。全く本来の内容とはかけ離れてしまうことが多々ありますから。ヘンドリック(ステーク)が週末に出したインタビューもそうだったのではないか、と私は思います。かなり内容が端折られていますし、タイトルやサブタイトルからの引用も多いです。「ステーク、政治交代を要求」とかそういうものですね。インタビューの冒頭でこのような声明をしていたことは確かなようですが、この印象だけが強く残ってしまっています。その他の部分で言っていることは、論理的で多くの点で賛同できる内容だと思いますが、例えば、核となる内容で、短縮された為に完全に誤解を招いてしまった部分は、感染者数だけにこだわるべきではない、というところでしょう。そんなことは実際にされてません。専門から離れれば離れるだけ、このような部分的なところを取り出してこだわる傾向があるでしょうが、本当に専門的に理解している人たちが数だけをみて判断する、ということはありえないのです。その他のパラメーターも勿論参考にします。インタビューのなかで、病院の病床状況にめを向けるべきだ、というところも結局短縮されてしまったのでしょうけれど、これは少し危険です。病院の状況というのは、常に後からついてくる結果だからです。一度に大勢の入院患者が発生しないようにすることは大変重要なことで、一度それが起こってしまったら元には戻せないのです。以前のポッドキャストでも話してきましたが、今現在のドイツ国内の状況の把握は大変難しい、ということ。何が起こっているか、ということを数で分析することは困難なのです。

先ほどの背景にあるのは、数だけをみるのではなくて、もう少し詳細、というか、分類分けされた数で全体の把握をする。つまり、もう既にオーストリアでも実行されている信号のように、それぞれの地域の状況がわかるように、警告の赤、そして色が変わったら、また少し緩和する、などいう案です。これは疫学的、ウィルス学的な視点からみてどうなのでしょうか。

今の時点での感染者数は少ないです。これは、ロックダウンの成果でもあり、夏休みの間、そして夏休み後を制御された状態で乗り切ることができた結果でもあります。良い状態です。この調子で持続していけると思います。春に、似たようなことが政策的助言の際に考案されました。例えとしてここであげられるかと思うのですが、あの時、3月中旬に行われた内閣会議の際に、私が所属していた専門家会議からではなくて、違うところから、学校の閉鎖、という案がだされました。私たち、専門家の推奨は、地域別にみるべきだ、というものでしたが、ちょうど、3月12日の時点で、ハインスベルクの学校が閉鎖され、これが正しい決断だ、という流れになったのです。今の時点の感染状況から、これが適切なのではないか。それがどれだけの効果を表すのか、ということがはっきりしなかったとしても、用心のためにも閉鎖しよう。そして、この会議が終わった直後に、ドイツ国内全体の学校閉鎖が決まったのですが、州政府も次々と同時に同じ決断を下して行きました。 このように、ドイツ国内全体の学校閉鎖が実行されましたが、後で言われたような、専門家による決断ではではありませんでした。それは違います。今も、同じようなことが考えられるのではないかと思います。ただ、あの時には感染が地域的なローカルなものだ、ということは大変信憑性があるものでしたし、ウィルスが持ち込まれ各地域で感染が起こり始めたばかりの時でした。今は少し違います。今は陽性者数も少ないです。しかし、若者が多く感染している、という状況でもあります。若い層の感染というものはあまり目に見えません。しかし、すぐに病院に行かないかもしれませんから、突然の集団感染に繋がる可能性も多いのです。この点に関しては、注意深く観察していく必要性があります。そして、それをしています。検査もたくさん行っていますが、だんだんと地域だけで特定してやっていくことが困難になってきています。今現在の、感染者数が少ない、という全体の印象は間違ってはいないでしょう。しかし、このままそれが続くという保証はありません。南ドイツの地方をみてみてもわかりますし、隣国をみてもそれは明確です。

ドイツ国内でも、学校での集団感染がありました。学校、というキーワードですが、先ほども学校閉鎖、ということがあげられました。もっと対策を厳しくしたほうが良い、と言う声もでています。  研究の方面からもそのような声が出ていましたし、保護者からも、授業中のマスク着用を学校に要請する、というような。例えばハンブルクでですが。この背景にあるのは、対策を厳しくすれば、もっと感染数を抑えることができて、冬への条件の改善を図れる、という考えだと思いますが、これはどうお考えでしょうか。

そうですね、授業中にもマスクをすることが、はたして、発生数をそこまで抑え込むのに効果がある対策の強化なのか、という点に関しては疑問を抱きます。たしかに、授業中にマスクを着用することによって、クラス内での集団感染を少なくする、という効果はあるでしょう。しかし、これは、そのクラスでの、という限定された話です。ここに気をつけなければいけません。 もっと根本的なところでは、冬を乗り切るために、社会全体でもっと対策を強化すべきである、という声がありますね。純粋に、物理的、疫学的にみるならば、正しい説でしょう。しかし、社会的には受け入れられることはありません。ドイツの現状況は良いのですから、そのなかでやっていくべきなのです。 重要なのは、この状況に甘んじないこと。そして、非生産的なメッセージを世の中に広めない事。必要なのは人々に注意を呼びかけることであって、分裂するようなメッセージではありません。  「あのときの対策は全く必要なかった。あのとき今の知識があったら、あんな決断はしなかった」 もちろんしなかったでしょう。例えば、経済部門をみても。このようなことは、一言にはまとめられませんし、ここから与えられる印象は未来へも投影されて、「春の対策は大げさすぎた。あのようなことはする必要がない。その証拠に、ずっと感染ケースがないじゃないか」 これは、日常においての考察でしょうが、残念ながら、全容を理解するには2回、3回考えをさらに巡らせなければいけないのです。特に、公の立場にいる場合は、意見を発表する際には、2回、3回、よく考えてからするべきです。書式の場合は、記録に残って後で引用されることになるわけですから、尚更、です。

いくつかの論点をみていきたく思うのですが、まず、対策は必要であったか、という点です。ここでは、エビデンスに対する疑問が出されています。つまり、対策の効果です。これを評価することは可能なのでしょうか?モデリングはありますが、勿論、比較する対象がないですよね。パンデミックの対策を全くしない、という比較対象はありませんので。ですから、どんなに良いモデリングをしたとしても、実際にはどうなのか、ということはわからない、という事です。そして、個別の評価や切り離しての評価もできません。

これまでにも一回分のポッドキャストを使ってそのテーマの話をしました。そこで取り上げた見解は今でも変わりません。今、ドイツで議論されていることというのは、もっと違うレベル、もっと低いレベルでの話です。最近、エビデンスに基づく医学のネットワークという団体が発表した内容も、もうそんなことはとっくに議論し尽くした、と思っていた内容です。ロックダウンが行われる前にもう既にRT値が1以下になっていた、とかそのようなことです。

再生産数、ですね。

そう、再生産数です。このことに関しては、とっくに議論されているでしょう。移動性のデータが出ていて、そこで、3月前半、大きなイベントが禁止される前にすでに、国民の移動性が減少していた。そして、イベント禁止令が、RTが下がる前に来た、ということ。第一、RTが一番重要なわけではありません。数学的には正しくありませんが、理解しやすいように簡単に計算すると、RTというものは、何が起こっているのか、ということを把握するはじめの数値です。つまり、傾向ですね。しかし、何かを減少させたい場合には、まず傾向の方向転換がなければいけません。この点です。この議論は、全く科学というものを無視しています。そのようなものが、エビデンスに基づく医学、などというタイトルで発表される、ということに驚きを隠せません。

この論文のなかでの 何度も繰り返されている論点のひとつに、infection fatality
rate が低い、つまり、死亡数の割合ですが、これを罹患者数ではなく、トータルでの感染者数で計算されています。実際に、この夏、感染者数は少し増加しましたが、死亡ケースは数的にはそれに伴っての増加はしていません。数でもわかりますし、病院内でも劇的な変化はありません。この数の関連性が全てを証明していて、リスクがあるのは、高齢者だけであって、若い世代のリスクは取るに足らない。こうのように主張されているのですが。

これは、社会的な問題です。高齢者と若者を完全に離して考えることはできません。この意見論文のなかでは、例えば、4週間前までの感染致命率を取り出していますが、これも矛盾しています。というのは、このような期間で、感染致命率など出せないからです。そのようなデータは出ません。論文内では、多くのエビデンスが無視されています。2つ、本当に素晴らしい研究があって、ポピュレーション免疫学調査と公共機関の報告数をベースにした、スペインとイギリスの研究なのですが、この2つの国では、厳しい感染の第一波がありました。ここでの感染致命率は、全国レベルでの調査を基盤にしていて、突発的なファクターに影響される報告データに基づくものではありません。イギリスでの感染致命割合は、0、9%、スペインは0、83%です。ここには議論の余地はありません。これは、国民の年齢分布、移動性、つまり、疾病負荷ですね、このウィルスが持つ特性のようなものです。ドイツは、スペインやイギリスと同じ社会構造を持っています。今、この4週間の間にドイツで死亡した人が少なかった、などとそんなことを議論することはナンセンスなのです。実際にはそうでしょうし、それ自体は喜ばしいことですが。私たちは、この感染流行をコントロールすることに成功した、ということでもあるのです。そしてこれは、科学と医学と政治の連帯プレーで勝ち取ったものだ、と言えるのではないでしょうか。それを、全ては幻覚であった、などと片付けるわけにはいきません。そして、隣国をみようとしない。これは無謀です。

もう一つの批判ポイントは、前回のシーセック先生との回でもとりあげました。丁度、症状、無症状、発症前がテーマだったので。そこで、もう少し透明性を統計に取り入れ、つまり、症状での区別、重症患者数と、感染者数、などという話になったのですが、これは可能でしょうか。

基本的には、RKIはもうすでにそうしています。グループ別、年齢別などに分けていますから、RKIのやり方は悪くありません。他の国の統計では(そのように分類するためには)データを探すのに時間がかかるでしょう。たしかに、もう少し詳しく数をだせたら、勿論素晴らしいとは思います。しかし、そのように数を出したら、人々は迷走をやめ、破壊的な意見を言う事がなくなるのか、ということです。 最終的には、それぞれが最善をつくし窮地から脱出する。他の国ではなかなか上手くいっていないことを、ドイツの政治はやってのけています。完璧ではないでしょうが、結果はかなり良いでしょう。経済的な貸借対照表をみてみても、そこまで悪くはないのです。ドイツの経済のダメージの大部分の輸出面においては、これはどうすることもできません。輸出経済の経済ダメージは、他の国がうまくいっていないからところに原因もありますから、これをコントロールすることはできません。ドイツ国内で調整できる分野においては、順調にいっているでしょう。この、破壊的なメッセージ、対策は全く必要なかった、などということを広めることは、この晩夏の穏やかな天気の際に、雨が降らないことに文句を言うようなものです。秋の心配をしたって仕方がないだろう? こんな天気だというのに霧や雨の話題を持ち込むのか?外をみろよ。ここ数週間、とても良い天気だ、と。

エビデンスを基にした医学ネットワークの論文の話の続きですが、そこから引用するならば、ここではっきりと「無選別の過剰診断」とあります。症状が出ている患者に絞っていないからですが、基本的にハイリスクグループを検査することに意味はありますか。感染者と濃厚接触したり、症状がで始めたときなど。

この、「ハイリスクグループ」というのは、たしかにこの論文内で使われている定義ですが、完全に間違った使われ方をしています。ここで、この論文の批判をしたくはありませんが、かなり多く間違った点があるのと、特に、科学的な引用と、元となる学術論文において、間違いです。例えば、ある論文を持ち出して、ロックダウン対策においてのquality adjusted life(質調整生存年)の数値を出し、どのくらいの金額になるかが載っていますが、引用している論文では、その点が重要なのではなく、「もし、ロックダウンを6月以降まで延長した際に発生する金額」というところでの数値なのです。つまり、この、エビデンスに基づく医学において、論文が引用されている、つまりエビデンスですね、結局、これがエビデンスに基づく医学と言うと思うのですが、それを読んでいない。そして、どうして、著者の名前がなく発表されているのか、というところにも大きな疑問を感じます。通常であれば、研究期間などの意見論文には必ず著者のリストがあります。内容についての責任も伴いますから。その点でもおかしな話です。 そして、この検査についての数多くの要求ですが、このような意見論文がなくても、検査についての議論は行われています。ドイツでは十分な予算があり、夏までの間、莫大な量の検査をすることができました。帰国者対象の検査の効果の疫学的、経済的な限界については、この場でも説明したことがありますが、これはラボのキャパが限界に達しました。政治的にはもうかなり前に方向性の調整をしています。基本的にもう解決済みの話です。ですから、そろそろ「このテーマは終わった。意見交換もした。騒ぎ立てた人もいたけれど、最終的には良い討論だったし、政治的な決断も行われた訳だから、この、批判したり、責め立てるような考え方は終わりにしよう」としないといけません。 PCRの分野での前向きな考えは、医学的な診断、患者的には症状重視の検査です。勿論、抗原(ラピッド)テストも先に進まなければいけません。これについても説明しました。検証作業は順調にいっていますから、これから調整段階に入っていきます。ここでは、法的な部分と、実践面での良いバランスをみつけていくのが課題です。例えば、老人ホームなどでは、信じられないほどの進歩となるでしょう。 これによって、いままで面会ができなかったところでも、もしかしたら解決案がでるかもしれない。ほんの一例ですが、そのような可能性もでてきます。しかし、品質の悪いテストキットを使うわけにはいきません。これは責任問題でもありますし、老人ホームの例をとっても、よくわかると思うのですが、問題があるテストキットを使って、感染を見逃して、集団感染などが起こってしまったとしたら。数週間後には一気に死者が増えるでしょう。ですので、この、信頼性と迅速な進展との間の妥協点をみつけることは大変重要なのです。勿論、政治はとても生産的に動いていますし、産業面でも同じです。

偽陰性、これが介護施設で問題になっています。しかし、偽陽性は 検査を認証する際には重要なことでもあります。どのようにこの問題について理解を求めていかなければいけないのでしょうか。これは統計的な問題で、ポッドキャストでも話し合ってきました。発生数が低い、つまり、検査された国民の間でのウィルスが少なければ、偽陽性率は高くなります。検査方針も、感染状況によって調整していかなければいけないのでしょうか。

勿論です。ここでは検査論について話し合う必要はありません。それについては他のところで盛んに議論されています。医学的な知識は全くない人たちの間で、ですが。「特異性のなんらかの数値を検査数に上乗せしたらいい」などと言うわけです。「ドイツ国内の検査結果は全て偽陽性だ」とも言われていますね。馬鹿げています。そんなに簡単なことであれば、医学を専攻する必要もないでしょうし、ラボだって誰にでも開業できます。

しかし、偽陽性、というのはありますよね。感染数は少なくても。

たしかに、そのようなベース効果はあります。しかし、ラボで陽性反応が出た場合、他にもみるべきところがあります。はっきりと陽性反応がでている場合は、定量的なもので、これについて追求する必要はありません。ギリギリの線で陽性反応がでているの場合は、必ず確認します。検体をもう一度検査したり、です。しかし、発生数が低いシチュエーションであっても、大量の偽陽性が統計にカウントされて、その背景には全く感染がない、ということは起こらないのです。そんなことにはなりません。ラボでの検査はそのようなものではありません。

ウィルス濃度が重要、ということですね。

そうです。それも条件の一つです。しかし、再検査などを始め、様々なことをします。先ほどの質問ですが、、勿論、今現在の疫学的なシチュエーション、どのくらい感染があるか、ということで、評価も違ってきます。例えば、冬の大きな感染の波の真っ最中では、抗原(ラピッド)テストはあれば助かるわけですよね。そして、初めから、ある一定の偽陽性反応がでたとしても、そこまで重要ではありません。同時に、たくさんの見逃している感染ケースもあるわけで、感度、という面でもこのテストはパーフェクトではありません。しかし、大変大きなメリットがある。それが、速さとその場でできる、という点です。そしてここが決めてなのです。つまり、感度重視のPCR診断で必然的にかかってしまうロジスティックの時間に比べて、ラピッドテストによって速い診断速度を得ること。いくらPCRの感度が良いといっても、ラボの負担が多くて結果が出るまでに3〜4日かかってしまうのであれば、意味がないのです。この方法で、もしかしたら来るかもしれない、来ないことを祈りますが、、、その可能性もある、冬の感染の波を乗り切ることができる。PCRの大量検査で全てを賄うのは無理がありますから、ラピッドテストが必要になってきます。そして、説明されなければいけないことは、テスト論、感度、特異度、陽性的中率、などというところではなくて、社会的にも、そして少なくとも政治的に議論されなければいけない点は、規定問題です。いままでの規約では、これを、冬までに「ホームテストキット」として検証することができません。検証研究過程が複雑すぎます。立証された書類が必要なのです。わざとこう言いますが、、、それは馬鹿でもわかる内容でなければいけない。これは、テストの品質のパラメーターとかではなくて、製造元が、平均的な市民でも間違うことなく簡単に使えるようなテストキットである、ということの証明です。この点では、取り扱いに関する調査が行われなければいけませんが、そのようなことを(冬までに)している時間はありません。ですから、妥協案が必要で、例えば「これは、技術的には認定されたテストキットであり、医療従事者の使用を認める」など。ここから考えなければいけないことは、医療従事者の定義です。どのような条件なのか。例えば、文化的なイベントで考えてみましょう。大きな劇場での公演が長い間計画されていた、として、入り口のチケット売り場で、このようなラピッドテストをすることは可能であるだろうか。実際に、このようなことはもう巷では議論され始めています。ここで、不用意な発言をしますが、、、弁護士はまた、「あぁ、またドロステンがポッドキャストで変なこと言っている、、」と言うかもしれません。まあ、それを覚悟で言うと、例えば、劇場が、医療技術師を公演の間だけ検査のために雇うということは可能だろうか。もしくは、主催者がラボ医を雇う。それとも、チケットの売り子が2日間セミナーに行く、というので十分なのか。このような点について、これから、これは、本当に至急議論していかなければいけないことなのです。公の場で、というのではなく、政治レベル、行政機関で検討されなければいけないでしょう。保健省だけではなく、です。

この問題が解決したら、様々な方面で視野が広がりますよね。例えば、重要な文化面で全てのものを諦めなくても良くなります。

勿論、先ほどの例は単なる私が出した例ですが。たくさんの他の分野でも役にたつでしょう。

今日は、他にもテーマを用意しています。これは、少し、検査数と感染者の関係性にも関わりがあると思うのですが、今、パンデミックの最中です。ということは、グローバルに、全体的にみていかなければいけません。そのために、リスナーからも、アフリカのシチュエーションを取り上げて欲しい、というリクエストがありました。それを今日したく思うのですが、まず、アフリカ、と一括りにするのは大雑把すぎるでしょう。ヨーロッパでは、アフリカ、とまとめられる傾向がありますが、アフリカには50以上の異なる国があり、全く違う事実と異なるシチュエーションを抱えています。しかし、一つ、そのなかでも目立つ点についてこの後で話し合っていこうと思いますが、それは、多くのアフリカ諸国で危惧されていた劇的な進行が来なかった、という点です。

そうですね、今のところ来ていません。少なくとも、春の段階で、モデリングなどから心配されていた点では。あの頃はまだ年齢層で大きく致死率のばらつきがある、ということはわかっていませんでしたので。 高齢者の死亡率が高い、というところから、人口などから割り出してみたところアフリカでも、北イタリアのような状況になるのではないか。まだ記憶に新しいと思いますが、あの時は、イタリアでは死体を普通には運べなくて軍隊が出動しました。これを、アフリカの大都市にも当てはめてみて、大変大きな心配をしたのです。しかし、今の所、そのような映像は流れてきません。もしかしたら報道されていない、ということもあるかもしれませんが。私にも、このアフリカの状況は説明がつきません。しかし、これは軽くみることができない問題です。2週間前くらいだったでしょうか、BBCで、プレプリント段階だったケニアに関する論文が拡散されました。これは、モデリング研究で、初期の段階でのPCR検査での陽性率が徐々に下がっていた頃、7月のものです 。そこに、血清学的な検査と移動性のデータが追加されました。最終的には、ここからできたモデリングでは、移動性が増加してきたのにも関わらず、ナイロビとモンバサ、ケニアの2つの大きな都市、厳しいロックダウン政策の後に、感染者数の爆発はなかった。血清調査では、もうすでに集団免疫が習得されていた、という結果がでた、と。この内容は衝撃でした。これが本当なのか、ということはわかりません。まだ査読もされていませんし。しかし、もう少し掘り下げる必要はあるかもしれません。

その前に、ひとつ、まだ答えが出ないであろう、という問題に触れますが、抗体問題にうつる前に、どのくらいの信ぴょう性が感染者数にあるのか。なぜなら、アフリカ諸国での検査数はかなり少ないからです。例えば、イギリスの検査数は、100万人の人口につき20万件です。タンザニアでは、100万人につき検査数は63。アフリカでの陽性が確認された感染者数は、総人口12億人のなかで130万人。アフリカ全土で、です。このように、検査数が少ない場合の感染者数、テストキットが足りなく、内戦状況もあり、検査ができない状況である、ということがわかった上での意味合いはどうなのでしょうか。

アフリカ全土の把握は不可能です。私が思うに、そのなかで数箇所の例に絞ったほうが良いでしょう。残念ながら、それには学術論文を参考にするしかありません。アフリカ諸国の登録システムはかなり異なります。全体的にみると、統一性もありません。インフラをとっても、かなりの差がありますし、ガーナの首都アクラから北のタマレに走っていっても、まるでタイムスリップしているようです。そのような状況では、アフリカ全体で信頼がおける感染者数の把握を期待できないでしょう。ガーナは、アフリカ、サブサハラアフリカのなかでも発展した国ですが、勿論全く違うシチュエーションがあるのです、ですから、このプレプリントの論文、ケニアの論文を参考にするしかない。ケニアは、アフリカのなかでも、医療インフラがきちんとつくられている国です。ケニアでは、流行が始まってから、、、それは3月からでしたが、そこから8月10日までで、32万件のPCR検査がされています。これはかなりの数です。多分、サブサハラアフリカ諸国のなかで一番多いと思いますが、ドイツと比べると、これはドイツが3月末に1週間でした検査規模です。8月10日までにされた検査のうち、2万4000件の陽性がありました。7〜8%くらいです。高い率です。これは、感染濃度が高いところでは、検査数が少なくなればなるほど、陽性患者の確率が上がるからです。ここでの疑問は、どのぐらい限定された検査がされていたのか。そのようなことを研究から読み取るのは大変難しいのです。他の数値の信ぴょう性。例えば、死亡者数も検査数と関係がありますし、ケニアのような国で、誰かが高熱がでる病気にかかって、呼吸困難の症状がでていた後で死亡したとしても、Covid-19感染症である、とは限らないからです。きちんとラボで検査されなければいけません。確認された死亡者数は391名ですが、多くの国では、これと超過死亡率との関係がだせません。パンデミックのピーク時では、例えばヨーロッパ諸国での超過死亡率はほとんどが新型コロナが原因です。しかし、アフリカ諸国では、比較的その点が不明で、診断がほとんど行われない、というのも原因でしょう。

先ほど、ケニアとナイロビの数は出ましたが、PCR検査で7〜8%ということですが、感染濃度が高いところでの確率です。しかし、集団免疫、というキーワードでみたときに、全くかけ離れた数字ですよね。ということは、把握されていない感染者数、取りこぼしが多い、軽症、または無症状の感染が拡がっていた可能性はあります。これは、抗体検査でしか確認できないのでしょうけれど。

そうなのです。それでその検査もされたのですが、ここから、段々理解するのが困難になってくるのです。論文には、3000の輸血者が検査された、とありますが、そこでの血清陽性率は9%でした。

9%、抗体が検証された、ということですね。

その通りです。これは輸血者での検査としては高い数値です。輸血は健康な人がするものなので。そして、同じ集団で5月に調査された結果がでています。そこでは、5%の血清陽性率でした。私は常にラボ視点からみるようにしていますが、、 これは補足なのですが、 どんどん重要になってきていること。それは、ドイツの弱い分野、感染疫学の分野なのです。微生物学とウィルス学はドイツが強い分野で、ラボが中心です。他の国では、このパワーバランスは違います。私が感じるのは、疫学的な研究の際に、もう少しラボのデータを厳しい見た方が良いのではないか。データを直接、モデリングに使うのは問題である場合も多いですし、そして、この研究でもその問題点があると推定 します。

それは、リアルな日常の不安定因子が配慮されていないからでしょうか。

リアルなラボの、です。例えば、どのように輸血者を使って血清調査が行われたか、という説明があります。つまり、プレスタディ、発表の前のものです。これが5月に行われて、5%の抗体がみつかりました。しかし、この調査で使われたのは、 ELISAテスト一機のみです。しかも、普通のELISAではなくて、 インハウステスト。何かというと、学術的な研究チームのプロトコールが、そのままアフリカのラボの見本として使われた。そして、輸血者から5%、という数値が出てきた。血清調査に通じている人がみたら、ここで2つのことに気がつきます。1つ目。血清研究では比較的にこのような検査結果をプロトコール(治験実施計画書)として 採用することが困難である、ということ。そのような理由から、通常は、品質のスタンダードを満たした製品を購入し、調査結果にばらつきがないようにするのです。これが一つ目。もう一つは、このような製品を血清検査に使ったとしても、検証範囲を超える大きい集団を検査していると思いもしない事が起こることもある、ということ。簡単に言うと、このような血清検査には、チューニングと細部の調整が必要なのです。研究では、まず病気である可能性が低い健康な人で検査し、そこで基本的な数値の範囲を確認します。それから、評価域。どこから陽性と判断するのか、ということで、これは基本値よりもかなり上の数値になります。この検査を全く異なる民族でしようとした場合、、アフリカの場合の問題点は、ここには違う感染症、ヨーロッパにはない感染症が常にある、ということ。ヨーロッパで検証された血清テストがそのままアフリカに行った場合。アフリカでの検証をしないで使われた場合ですが、閾値の検証、どこからを陽性とするのか、という検証がされていない場合、たくさんの陽性反応がでてしまう。正しくない陽性反応が出てくる場合が多いのです。  例を出すならば、フェリックス・ドレクスラーが私の研究所でSARS-2ウィルスの商用の血清テストをしてそれをアフリカで使いましたが、そこでは、20%の偽陽性結果がでています。ちなみに、この研究は査読も終わり公式に発表されています。これは小さな研究ですが、技術的な見本となる研究です。ここで私が言いたいことは、アフリカの ELISAの結果が20%偽陽性だ、ということではありません。この研究が言いたいことでも、私が言いたいことでもありません。私は、血清陽性率研究においては、様々な障害があり、注意深くする必要性がある、ということを理解してもらうための例としてだしたのです。このようなデータを疫学モデリングに取り入れ、最終的にこのような言明、「我々の国はもう集団免疫に達した」と発表してしまうことの政治的な意味合いもしっかりと自覚されなければいけません。今、EUをはじめ、多くの国が、貧しい国々にもワクチンが行き渡るように力を合わせています。自国の分だけを独占するような契約を製薬会社とするようなことにならないように、もし、ワクチンの分担分を確保しようとするならば、貧しい国々の分も負担する、というような構造にしようと全力を尽くしています。そのような動きになっている時に、「え、どうしてその必要があるの?アフリカはもう解決してるんでしょう?集団免疫ができて、問題なく終わった、と。ほとんど死んでないし」ということになれば、政治的にも有益なことではありません。この解釈は容易ではありません。まず、これは本当なのか、ということ。この研究では、モンバサとナイロビで約40%、もう一度、資料をみてみますが、、、ええっと、40、9%と33、8%、ナイロビ、モンバサで、血清陽性率、もしくは、感染との接触があった、とあります。しかし、このベースが比較的荒くて間違ったデータも含まれている可能性が多いものであること。そして、そこからの解釈とモデリングがされている、ということ。もし、仮にそうだとして。人口が多いナイロビで、移動制限をはじめとする対策が続けられて、本当に40%が免疫を持っているのであれば。その場合には、これは、集団免疫を習得したレベルである、と。つまり、70%は必要ない、とすることができるでしょう。論文内でもこのような主張がされていますが、注意が必要です。研究自体は悪くはないと思うのですが、ここから切り取られるメッセージが危険だと思うのです。著者の主張にもあるように、ここがもうすでに集団免疫の閾値であり、人々の接触が多くなければ、以前のポッドキャストでも取り上げましたように、感染ネットワークが用意されない状況になる。国民全員には感染のチャンスが与えられず、集団免疫の閾値は勿論70%以下になりはするものの、これは、1年の通算で、と考えることもできるでしょう。一年を通じては70%必要ですが、今、ここで、感染をストップさせるためには40%でも十分なのかもしれません。

私は私の枠の範囲でしか行動しないからですね。

そうです。そして、その周りの範囲も考慮されています。つまり、これは、そう信じたい、と思っていることなのですが、少しづつ、PCRの陽性率が下がっている。しかしこれが、集団免疫のせいである、と言い切ることはできません。この研究結果はエビデンスとしては使えませんので、研究が発表され、BBCによって拡散され、「アフリカでは(コロナは)終わった!」と決めるのは大変危険です。

この他にも、抗体研究はあります。ナイジェリアのものですが、そこでも同じような数値がでてきています。ここでは輸血者ではなくて、保健機関の職員とその他で調査しています。

研究はいくつかありますが、そのなかにプレプリントで出てきたものがあって、私がいつも言っているように、査読されていないものは要注意!です。ウィルス学者として言いますが、まだまだ注意が必要なのです。このナイジェリアの研究は、ニジェールで調査されましたが、25、4%のEGG血清陽性率、調査期間は5月から6月末までです。  ここですでに気になる点は、まず、調査対象者が少ない、ということ。185名だけです。ナイジェリアのような人口が多い国の状況を185名で調査することは可能なのか、というところです。選択バイアス、つまり、対象選択をした際に起こる偏りですが、それがここではかなり大きい。調査をした場所が集団感染がおこっていた場所だった可能性もありますし、「学術研究の調査をしますから、参加したい人は来てください」と募った場合、最近病気になって、(新型コロナ)感染していたのかどうか知りたい、という人たちが多数志願してくるかもしれないのです。

それについてもコメントされています。症状がある被験者については「風邪のような症状が過去にあった」と。

そうです。これは現実のバイアスです。さらに、この185名のなかで、都市の住民と郊外の住民で分類されていますが、この差がでていません。これはとても奇妙なことで、感染流行のなかでの短期間、つまり3月から始まって、5月ですね、その間に田舎でもすでに都市内と同じ有病率がある、というのはどういうことなのでしょうか。アフリカ諸国での、都市と田舎との差はとんでもない差です。私自身の経験から言っても、空港から車で郊外に向かって走りだしたら、タイムスリップしたような感覚になります。この印象は、初めてアフリカに行った人にとっては数ヶ月間残るほど衝撃的なものです。このようなものはヨーロッパにはありません。そのようなところで、都市、郊外、関係なく感染が拡がった、というのであれば、これはしっかりと確かめるべきでしょう。論文をよくみてみるとわかりますが、ここでは、血清検査にラテラルフロー法が使われています。これについては以前お話ししましたが、基本的に妊娠検査キットのようなものです。それの抗体用です。このキットの感度の限界についてはわかっていますし、アフリカ仕様に検証されていない、ということも先ほど説明しました。さらに、このような研究に必要であること、比較対象を設けること、この場合は、パンデミックの前、ウィルスがなかった、という状況の段階で同じ人数を検査し、陰性反応の確認をしなければいけません。これがされていません。例えば、フェリックス・ドレクスラーの研究では、調査されています。そこでは、パンデミックの前の検査で高い陽性率がでていて、これはありえません。その時点ではまだウィルスがなかったわけですから。
別の論文を少しだけ取り上げますが、これはマラウイのもので、検査の質からみるとかなり良く調査されています。ここでは、医療従事者が検査され、12、3%の抗体陽性率がでています。これはナイジェリアの調査では、、、先ほど言ったかどうか忘れましたが、25%でした。多いですね。マラウイでは12、3%。しかし、ここも言っておかなければいけませんが、病院内で、ということです。医療従事者は患者との接触が多く、調査されたのは80万人都市です。ここでもう一つ重要な点は、ここが植民地の歴史がある、ということと、観光地であること、つまり、外国から観光客が大勢訪れる場所で、ウィルスも違う方面から入ってくる、というところです。そして、基本的なところで理解しなければいけないのは、サブサハラアフリカの、都市と村との違いです。過疎化が進み、若い世代が都市に集中していますから、都市の平均年齢はかなり低い。これも、このアフリカでは致死率が低い、という印象をつくる原因でもあると思うのです。今は特に、都市でのニュースしか入りませんし、研究調査も都市でしか行われていません。感染の把握も都市でしかされていませんが、都市での年齢分布は、その他の地域とは全く異なります。都市内の年齢層は大変若い。このような、都市と田舎とでは全く年齢層の割合が違う、という現象はドイツではありません。この現象から、都市では感染がかなり軽症であること。その他の地域でどのようになっているのか、というのは不明です。アフリカを旅行した人はご存知だと思いますが、村には高齢者もいます。かなり高齢で健康状態も良くない人も多い。このようなサブサハラアフリカの村からの感染者数は多分把握されていないでしょうし、これからも把握されることは多分ないでしょう。後で、憶測の超過死亡率が出るかもしれませんが。

村には、衛生面での問題もありますよね。例えば、綺麗な水もなかったりしますし。

たくさん、たくさんあります。そのなかの一つに、免疫を刺激するもの,、寄生虫感染症などがかなり広く流行していて、この症状がどのような影響をあたえるか、ということを私たちは知りません。免疫病原性です。この免疫への影響がこの肺の感染症において与えるのか。ヨーロッパ人と比べてどうなのか、ということは実際わからないのです。

寄生虫が宿主にとどまるために免疫反応を調整して、その結果激しい炎症が起こる、というものですね。

そうです。細胞免疫システムの侵入者に対しての防御が甘くなっている。簡単にいうとそうなるでしょう。免疫学者は苦笑いするでしょうけれど。まあ、学者によっては、激怒するかもしれませんね。でも、ほとんどの学者は私が何を言いたいのか、ということをわかってくれると思います。免疫病原性は、最近やっと、何が肺で起こっているのか、ということがわかりはじめてきました。もちろん、全国民の間で拡がっている感染症の場合、子供の頃からほとんど全員が感染するわけで、研究調査をする場合には全く新しい調整が必要になってきます。ヨーロッパをそのままアフリカで適用するわけにはいかないのです。

ということは、特殊な条件、一見とても危険なように思える条件が、全く別の免疫的な負担がかかっている地方では、免疫システム的には逆にメリットにもなりうる、ということでしょうか。新型コロナに関して言うと。

その通りです。

残った疑問は、昨日の時点で、新型コロナでの死亡者数は、アフリカ全土で、約3万2000人です。ここから集団免疫の解釈ができるかどうか、ということは置いておいても、ウィルス学的には大きな疑問です。明らかに重症患者が少ない。その原因の一つに年齢層があると思いますし、都市部の年齢分布ですね、先ほどもご説明いただいたように。そして、肥満率が低い、などもあるかと思いますが、他にもどのようなファクターが考えられますか?

正直に言って、一番の要因は、、、、今のところ、管理システムでしょう。今、大きく拡散されている内容については、大きな疑問を持っています。どうして信じることができないのか、ということを説明すると、、南アフリカには、良い医療システムがあり、検査数も比較的多いです。勿論、ヨーロッパとは比較になりませんが、きちんとされています。私は何か知りたいときには、基本的に直接コンタクトをとることから始めます。とても良く知っている知人に南アフリカのウィルス学者がいるので、第一弾のデータがあがってきた際に、彼からデータをもらいました。このようなデータは公表はされているものの、ドイツからググってすぐにでてくるようなものではないので。この公共保健機関からは、データは南アフリカでは公開されて議論もされているものです。例えば、とてもよく調査されている都市は、大都市、ケープタウンですが、そこでの数はかなり把握されています。ケープタウンの中心部は、かなりヨーロッパ的です。そして、カエリチャという大きなタウンシップがあり、そこには大変貧しい人たちが住んでいるのです。ここでは、 HIVの陽性率も高く、これもアフリカが抱える問題のひとつです。ここで興味深い観察がされたのですが、ここできちんとした調査をしたならば、私は、本当に血清陽性率が40%あるだろう、と思っています。調査のベースとなっているのは妊婦の検診ですが、妊婦は成人の全体像を掴むには良い対象といえるでしょう。妊婦の年齢層、妊娠する世代ですが、これはヨーロッパよりも若く、主流が20代です。ここには、公共保健機関がサポートする多くのHIVクリニックがあって、高い陽性率ということもあり、多くの患者が定期的に来院します。この来院患者の血液検査の際に、SARS-2抗体の検査もしたところ、40%の血清陽性率がでた。これは、貧困層での調査です。公立病院で検査されています。ここは貧しい人たちが行く病院です。富裕層は、私立の病院、プライベートの治療をうけます。この40%の血清陽性率と同時に、突発的な集団感染も少なくなっていることが観察されました。そして、死亡ケースも少なく、登録された感染者数も少ない。この夏の間、ここでは冬ですが、、、南半球なので冬、亜熱帯の気候なので、寒い冬ではないものの、冬、です。イタリアくらいでしょうか。イタリアでも、ウィルスが貧しい地域で一気に拡がりました。医療的な問題からでもあります。 ケープタウンでは、人口、370万人中、3900超過死亡、40%の血清陽性率。大雑把な計算でいくと、40%の血清陽性だと、148万人が感染した、ということになりますが、死者は3900人です。%で計算すると、0、28%の感染罹患率となり、これは、ヨーロッパの環境でみても、現実的な数です。私たちの予測計算もそのくらいです。さきほど、スペインとイギリスの第一波では0、8と0、9%と言いました。ここでは0、28%です。まあ、このくらいは大目に見てください。  ここで、40%の血清陽性率で計算しましたが、これは貧困層での数値なので、ケープタウン全体には当てはまらないかもしれません。実際の血清陽性率はもっと低いでしょう。アフリカの学者自身も、アフリカの血清陽性率はもっと低いであろう、と言っています。もしかしたら、この半分かもしれない、と。それであれば、大体0、6%枠になって、ヨーロッパの予測値の中間くらいにはなりますが、今のところ、どうしてアフリカの人々の間での死亡率が低いのかという理由が見当たらないのです。しかも、貧困層に感染が固まっていたにもかかわらず、です。ですから、直接見ずに、アフリカでは問題がない、とは信じることが困難です。

もう一つ、南アフリカについて伺っても良いでしょうか。先ほどのデータから、南アフリカのことについてはよくわかっているために、他の諸国との比較で少し状態が悪く感じてしまうのでしょうか。数の把握もできていて、確かな情報もある、という点から。

まず、私が思うには、願うには、南アフリカが厳しい第一波のあとに、本当に集団免疫に近いものを習得し、特に貧困層での集団保護効果ができ、引き続き予防対策、距離制限などの効果が発揮できるような環境になっていければ、ということです。マスクの着用も、決定的な効果はなかったとしても、集団免疫が加わることでさらなる効果が期待されるでしょう。そうだったら良いな、と思います。 しかし、これは、これからの国際的な協力体制の際に、アフリカの貧困地区のサポートを疎かにしてもよい、ということとは違います。ここを勘違いしないでください。その反対です。 いまこそ、何が起きているのか、ということを注意深くみていかなければいけないのです。あまりにもわかっていることが少ないですし、この研究論文を鵜呑みにして過大評価したならば、最悪のサプライズが来る可能性もあるでしょう。  もう一度、ジョンズ・ホプキンスの南アフリカの数をみてみると、65万弱の登録された感染数に対して、登録された死者は15447名、2、4%の致命率です。この致命率は、登録された数だけで計算した場合の他の多くの国での数値ぐらいですが、これは感染致命率ではありません。統計の生の数字は常に高めの傾向があります。ヨーロッパと同じような予測です。ですから、私の印象、遠くからみた印象ですが、アフリカのシチュエーションは全く異なるものである、とするのは浅はかではないだろうか、と思うのです。アフリカの大都市での低い年齢分布のせいで死亡者が少ない。それもあり得るでしょう。しかし、国民の負担は死亡ケースだけではありません。

とはいっても、アフリカに関しては、たくさんの疑問が残ります。最後に、リスナーからの質問を取り上げたく思います。循環器内科医の方からの質問ですが、免疫に何が起こったのか、もしくは起こるのか。免疫システムが、例えば、少ないウィルス濃度との接触したとき、つまり、頻繁に感染者との接触はあるが、ウィルスの放出が少ないもしくはウィルス濃度が低い、といった場合に、ウィルスに対する耐性ができはじめる、という可能性があるのだろうか。そうなった場合に感染性が高い感染者と接触しても軽症ですむなど、、このようなことは考えられますか?

うーん、考えられないことではないでしょう。ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン誌にも先日載っていた記事ですが、これは(論文ではなく)意見です。それが、また例に漏れず、メディアではまるで新しい科学的な知見であるかのように大きく報道されましたが、そうではありません。ここでの仮説は、全員がマスクを着用した際には、ウィスルの放出は少なくなる。この少ないウィルス量が、天然痘のワクチンの対策を連想させる、つまり人痘接種法ですね、これは、罹患者の痂皮を乾燥させた場合、皮膚のなかのウィルスは少なくはなりますが、完全には消滅しません。この皮膚を健全者に接種させるのですが、ウィルス自体は弱くしていないウィルスそのものです。しかし、ウィルスの量が微量であるために、感染しても軽症であるか、死に至ることはない。人痘接種法では罹患してしまうことももちろんあったのですが、軽症でそのあとに免疫ができた。これが、この仮説のもとになっているのですが、このマスクによるウィルス濃度の減少、全員がマスクを着用していて、平均的に放出されるウィルスの量は少なければ、そこから完全な感染ではなく、表面的で無症状的な感染が起こるのではないか。そこから、全く自覚症状がなく、突然免疫ができる、なぜなら、少しずつウィルスを接種したからだ。 このような可能性を理由付けるものはあって、例えば、以前のポッドキャストで、スイスの血清陽性率についての研究論文を取り上げましたが、病院の職員に、血中には抗体がなかったものの、軽いIgA抗体が粘膜で検出された、というものでした。部分的な保護効果がある、ということも考えられなくはありません。専門家も時々、部分免疫、という定義を使うことがありますが、本当は正確には正しくはありません。これは、どちらかというと、マラリア免疫に使われるものです。ここでは部分的な免疫があることがわかっていますが、これは、呼吸器感染症とは全く関係がありません。天然痘の人痘接種法に戻りますが、天然痘も全く異なる感染メカニズムです。ウィルスを呼吸とともに取り入れますが、ここから血中に入ります。 全否定するつもりは全くありません。そのような可能性はあると思いますし、もしそうだったら素晴らしいことです。

しかし、まだ仮定法で、ということですね。

そういうことです。学術的な推論、としてです。勿論興味深いですが、これを政策に置き換えた際の責任を誰がとるのか、と言ったときに、誰も取らないでしょう。ここが問題なのです。これから秋、冬になる、今。このポッドキャストはもうかなり前から、学術的にウィルス学に興味があるリスナーのための内容ではなくなっています。だったら良かったのですが。しかし、この場でやろうとしていることは、私たちが取り上げて話し合わなければ、たくさんの「どういう意味なんだ?」という疑問が解決されず、ポッドキャストの冒頭にもあったように、すぐ、「全てが無駄だった。」「わかろうとしたらわかったことだったのに」「みんなマスクをすぐつけていたら」などという方向に誘導されてしまう。数え切れないほどの苦情はあるでしょう。そのなかの100分の1、いや、1000分の1ほどの説明しかこの場ですることはできませんが、 後だしの批判、根本的に全くお門違いな批判をして何になると言うのでしょう。これから、冬になって状況が変わって、そのときに後悔するようなことは言わないほうが良いのです。隣国をみれば一目瞭然ではないでしょうか。それでも、彼らは言うでしょう「誰も死にやしないじゃないか」と。たしかに、今、人は死んでいませんが、ウィルスはまず、また高齢者の集団の間で拡散されなければいけません。それまでに4週間かかります。病院に連れて行かれて、そこで重症にならなければいけません。ここにもまた数週間かかります。そこから違う影響がでてきて、全てがまた繰り返される。結果的には現象の新しい解釈には繋がらないのです。ウィルスが変化した、という兆しもありません。夏にはあまり感染ケースが増えないだろう、とは予測できていました。他のコロナウィルスは夏には流行しませんし、インフルエンザも流行りませんから。しかし、このまま冬になるまで目を背けていくことはできないのです。

この免疫学の知見を政治的な決断の手段にするのではなく、参考になる仮説として、ひとりひとりの病気の進行での希望となることを望みます。今日もありがとうございました。

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