ドイツ@Sars-CoV-2 コロナウィルスアップデート(38) 2020/5/5(和訳)
話 ベルリンシャリテ ウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン
聞き手 コリーナ・ヘニッヒ
2020/5/5
—————————————————
「世界は新型コロナ撲滅に集結し、そして、打ち勝つでしょう」昨日のヨーロッパワクチンと治療薬の国際ドナー会合の後での、欧州委員長の力強い言葉です。 75億ユーロが集まりましたが、まだまだ近道はないとみられます。 今日も、ウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン氏にお話を伺います。聞き手は、コリーナ・ヘニッヒです。
本題に入る前に、今、ドイツでは連邦制について批判が相次いでいます。対策や緩和が、少し言い方を悪くすると、継ぎ接ぎの絨毯のようだ、と。 掘り下げはしませんが、ウィルス学的にみて、対策を中央政府から打ち出すことと、それぞれの自治体に委ねるのこと、どちらが適していると思われますか。
中央からの一貫した対策管理が、国民の為にも理想的です。州境を超えるたびに、対策の規定が変わってしまっては困るでしょう。しかし、州というものは、地理的な違いを反映している括りでもあります。 そして、地域ごとにかなりの差もあるわけです。 例えば、メッケンブルク=フォアポンメルン州では、殆ど感染者がいませんから、州の判断が必要になるでしょう。 そのような感染が少ない地域では、感染者が多い州とは違った規制にする必要性がある事は無視できません。
地域、というキーワードから、直接こちらの話題に移ろうと思いますが、4週間以上前の緩和に関する討論の際に、大きな注目を浴びた論文、ノルトライン=ウェストファレン州のハインスベルク、ガンゲルトの調査があります。 今、データがあがってきました。 400世帯のなか900人以上の志願者を対象に、抗体検査が行われました。 結果は、抗体保持者率が15%。 この数値は、保健省が公表した数値の5倍以上の率が、新型コロナに感染していた、という事になるのです。 これは、脱落率、つまり、把握していない感染者の存在を意味します。 ガンゲルトはホットスポットでしたが、ここでの大きな疑問は、この数値を全国に反映する事はできるのか、ということです。
ここでの感染致死率を使っての計算も試みられましたが、そこで出る数字は、180万人です。 この数字だけをみるのではなく、以前にも予測されている致死率でみてみると、0、5〜1%の間です。ここから、人数を導く事ができるでしょう。
私独自の計算法だと、実際の感染者の4分の1〜8分の1の数が統計に反映されている、と思っています。 多くの感染者を見逃しているでしょう。しかし、それも、ドイツでは他の国に比べるとその割合はそこまで多くはありません。 他の国では、公表されている感染者数だけで割り出す際に出る誤差のファクターがかなり大きいのです。仕方がない事でではありますが。
ドイツは、症状重視での検査ですが、なかには症状がない人もいます。多分、20%程はいるでしょう。 論文によっては、無症状者を40、45%としているものもあります。これも、まだ決定的な結果は出ておらず、様々な出し方があります。
このような研究で注意しなければいけないのは、風邪や呼吸器系感染症の症状を対象集団のなかで探した場合、他の似たような症状が出る感染症である場合も多く、無症状者の数も低く見積もられている可能性があることです。ロベルト・コッホ研究所の発表数、、、私は、180万ではなく、140万人だと思いますが、勿論、これは、修正してもしなくてもざっくりと割り出された数字です。 このような計算を直接しない方が良いのではないか、とも思います。このような大まかな計算では考慮されない点があると思うからです。 しかし、このウィルスの感染致命割合は具体的で、似たような密度と医療システムのところでは広範囲で適用できます。 結果的には、致命率は、おそらく、ファクターで4〜8低く見積もられているでしょう。 ガンゲルト論文でも同様です。加えて、死亡数は常に後からついてくる、という点です。 感染してから死亡するまでには、1ヶ月を要するからです。今の時点では、ガンゲルトの結果をもってしても、まだ、実際の致命率は出せないのではないか。まだ暫定的なものだと思うのです。しかし、そうであっても、実際の感染者総数が、確定数よりも思った以上に多い事は明らかです。しかしそれも、天文学的な数字ではありません。ファクター4〜8くらいの誤差では、国民の大部分が既に感染して免疫ができている、という数には到底なりません。
集団免疫、という事ですね
この、集団免疫というのが曲者なのです。あまりにもまだよくわかっていません。感染が終息するためには、 全体の70%が免疫を持たなければいけない。これは、ぱっと見て正しいです。しかし、よくみてみると、正しくないのです。というのも、感染が爆発的に拡大してしまったとしたら、感染は70%の集団免疫では止まらない。この時点が、感染者が減少していく折り返し地点になるだけで、感染は続きます。そして、90%以上になった時にやっと停止する。 集団免疫のレベル、というのは、その地点で突然感染にブレーキがかかる、というものではなくて、単なる頂点です。 とはいっても、あまりこれは現実的ではなくて、全員が同じように感染し、同じような感染条件がある場合、の話です。 この話は何度かしましたが、感染者の可用性がある感染ネットワークがあることが前提です。その条件がそろっていない、つまり制御されている状態では、70%まで必要ありません。実際には頂点に達する割合がそれよりも少ない。 これが、1つの要因。 もう一つの要因は、、、これについてもお話しした事がありますが、まだわかっていない背景的な免疫があるかもしれない、という事です。例えば、普通の風邪コロナウィルスによって出来たT細胞レベルの免疫、などがあるかもしれない。まだ、この大きさがわからないのです。 ですから、誰も予測をする事は出来ません。 これから、はっきりみえてくるでしょう。 感染の波にブレーキをかけた。そして、またそれを緩めていく。もう波は来ない。ということは、、、
そうだったら、良いニュースですね。
そうなったとしたら、、、完全に思ってもいなかった結果ですね。個人的には、どう計算してもそうはならないのが現実だと思っています。しかし、理論上の可能性についてはお話しておきたかったのです。 単純に、そんな事はない、とは言えません。 まだ、わかっていない事が多いのですから。
感染の可用性についての確認ですが、先程、全ての人の可用性が、対策によって、高齢者が在宅待機していたり、学校が休校していたり、という要因で、ない、ということですね。
そうです。そのような事です。通常の状態でも、全て人と常に接触している状態ではありませんが、ここ数週間、接触が制限されて人々の行動様式も変化しました。今、緩和がされても、今後も注意深く行動する人は多いでしょう。とても良い傾向です。これが、ウィルスにとっての感染が拡がるネットワークを狭める事につながるのですから。これは、接触制限から私達が得た効果でしょう。
死亡率についてですが、、、これは、ラボ内での、純粋にウィルスの特性としての死亡率です。 しかし、医療に負担がかかると、数値が全く変わってきます。集中治療でどのくらいのケアが出来るか、治療が受けれるか、など、が大きく関係してきますよね。 イタリアなどをみてもそうですが。
そうです。そこが重要です。それを避ける為に接触制限をしたのです。ここで重要なのは、速度、なのです。全てが同時におこってしまうと、必要な治療がうけられなくなる人が出てきます。これが、感染致命割合を上げます。これは、武漢やイタリアでおこった事です。何がなんでも、そのような事は避けなければいけません。
ここで、もう一つ言っておかなければいけないのは、、、集中治療が受けれたとしても、必ずしも生き残れる、とは限らない、という事です。その国によって、生存率は違いますが、人工呼吸されたとしても、ある一定の年齢層では、約半分が死亡します。そして、人工呼吸の後遺症、例えば、鬱、早期痴呆症、など多くの後遺症がその後の生活の障害となることも多いのです。これらの事も、考慮されなければいけないでしょう。 集中治療病床の数の確保は、全ての解決策ではありません。 flattening the curve、カーブを緩やかにする、ということは、いかに集中治療をしなくても済むか、ということでもあるからです。特に、ハイリスク患者は、、、出来るだけ守りたい。ワクチンが出来るまでは。
テーマ、子供は、前回、前々回に集中的にお話し頂きましたが、また興味深い論文がいくつか発表されています。そのなかで、北フランスのプレプリントがありますが、ここでは、フランスのオワーズ地方の学校での感染ケースについて報告されています。まだ、学校が普通に開いていた時のものですが、先生、生徒、生徒の家族、など、総660人の抗体が調べられました。学校内の感染状況です。これは、いままでなかった調査ですよね?
そうです。とても興味深い研究です。状況はこうです。この地方では、比較的早い段階で感染がおこっていました。これは、後でわかった事ですが。すぐには気がつかなかったので、 5週間の間、感染がじわじわと学校内で拡がっていったのです。 はじめの感染ケースから、学校が閉鎖されるまでに、5週間が経っています。 学校が閉鎖されなかったのは、学校の休みがあったからで、これは、とても興味深い自然なシチュエーションなので、今ではもう既に不可能ですが、興味深い参考値が出ています。ここで調査されたのは、どの位の生徒が感染したのか。どの位の先生が感染したのか。どの位の家族が感染したのか。 第二次発病率です。ガンゲルトでも、中国でも、ミュンヘンケースでも、この数値は出されていますが。
ここでは、兄弟や親への感染が、10、2と11、4% 。この数値は想定内ですね。予想されるのもこの位です。家族内の数値が想定内であれば、学校内ではどうか。 学校内では、38、3%の生徒が感染し、先生が43、4%、食堂職員、用務員、学校カウンセラーに至っては、60%が感染しています。この学校内での数値をみれば、学校を開ける訳にはいきません。 感染は平均をとって40%以上です。 もう少し、よくみてみましょう。 本当に学校内でこのように激しい感染がおこっているのか。 一つ、重要な点は、学校はギムナジウムのような高等学校で、小・中学生ではなく、年齢層は15〜18歳ということです。
子供、というよりは青少年ですね。
そうです。生徒の年齢は、もう原付に乗れて、もう少しで自動車免許もとれる年齢なので、子供ではありません。 しかし、それでも、学校全体の40%が感染したのです。これはかなりの率です。このような高等学校には1500人くらいの生徒がいます。そこで数週間のうちに、家族を含めて、街の中で800人の感染者が出たとしたら。感染威力は想像がつきます。 しかし、学校内での40%の感染について意義がある部分があって、、、この学校には、1300人の生徒がいて、、正確には、1262人ですね、メモしてきました、そのなかで、調査に参加しているのは326人だけなのです。37%の生徒で調査が行われた訳です。この1262人の検査をしたのではなく、326人です。
それプラス家族ですね。
生徒とその家族です。家族は少しそれより多く、345人。ここで、これは、使える規模のデータなのか。 1200の現実的な数値を326で出せるのか。 影響する因子はあるか。影響因子のひとつには、参加者が志願者である、ということ。志願者が及ぼす影響は様々ですが、症状があって、本当に新型コロナ感染だったかどうか、という事が知りたい場合に抗体検査受けたい、と思うでしょう。これによって、調査グループの感染者率が全体よりも高くなっている可能性があります。 これが、ひとつ。もうひとつは、この反対で、この学校内では既に検査が行われていたのですね。この地域では、広範囲で検査が行われたので、多くの感染者はPCR検査で結果を知っていた。 感染した事を知っている人は、抗体検査には興味がないかもしれません。確認のために検査に参加する、ということをしないでしょう。そう考える人が多ければ、結果は調査に参加した人なかの感染者率が全体よりも低くなってしまう。 著者自身も、どちらの影響が色濃く出ているのかどうか、という事は不明である、と述べています。 しかし、事実として、この二つのデータ偏りがある可能性があることは否めません。もしかしたら、双方が中和されるかもしれませんが、、、よくわかりません。
しかし、どちらにせよ、学校内で生徒同士が感染しあった数は膨大です。勿論、これは、今、計画されている学校の再開の現実とは比べる事はできません。 現実は、マスクを着用し、クラス内での距離確保し、学年も交互に登校する、など、校内の生徒数を減らす対策がとられますし、休憩も、一度に大勢の生徒の接触が校庭などでないように、配慮されるはずです。 このような対策から、状況は全く別物です。
その時の日常は、今の日常ではない、ということですね。ここで、少し違う部分にフォーカスしたいと思うのですが、もう、記事にもなって話題のぼっていますが、このオワーズの論文には、喫煙者の罹患率が、非喫煙者よりもかなり低かった、というものです。これは、パリのパスツール研究所からも先日発表された事ですが、少し驚きです。喫煙者は肺にダメージを与えていますよね。これについてどうお考えでしょうか。
真偽のほどは、、どうでしょうね。統計から割り出されたこの対照はインパクトはありますが、まず、喫煙者が感染後に軽症で終わる、とかそういう事を言っているのではない、という事です。他の臨床試験で、喫煙者の重症化のリスクが高い検証もされていますから。
感染してしまったら、という事ですね。
感染したら、という事です。この研究結果では、喫煙者は感染するリスクと頻度が低い。私は、どこかでミスがあったのではないか、思いますので、ここで数値を出す事は控えますが、どのミスかという事は説明出来ませんし、したくありません。 それは、著者自身がするべきことでしょう。この論文が査読過程をクリアするかどうかすら、も怪しいですね。査読者も指摘するでしょう。ちょっと、待て。どこかがおかしい。もう少し違う方法で計算したほうがいい。と。私も、なにか、別な理由があるように思います。
もう一度、罹患率に戻りますが、ネット上では、かなり違う数値が出回っています。 オーストラリアのニューサウスウェールズ州の15の学校での調査では、驚くような低い罹患率がでています。これをどうみますか? まとめていただけますか。
ここでわかることは、今、どれだけ科学に政治的な圧力がかかっているか、どの位、子供のシチュエーションに関する(使える)データが要求されているのか、ということ。そして、どれだけ、学者が思慮深く行動していないか、ということです。このオーストラリアの数値は、まとめられた時には全体で9人の生徒と9人の先生しか感染者はいなく、このケースからはほとんど感染が広まっていません。それについて学会見解論文が書かれていますが、これは、学術研究の概要を示す予稿でも、客観的な分析をする事ができる原稿でもないのです。これは、言ってみれば、公用文のようなものです。これは、同時に、カナダ政府に学校の再開決断の際の政治的に利用され、昨日のニューヨークタイムズ紙に掲載されて、物議を醸し出しています。
このオーストラリアの報告を読むと、これが、まだ途中で引き続き調査されているものであることがわかりますが、患者も、生徒も、まだ最後まで検査はされてはいません。サンプルも、検査途中ですし、2人の生徒が感染した、というのも、途中経過の段階の話で、予定されている半分の検査も終了してはいません。 本来ならば、最後まで待つべきなのです。 もう少しで、学術的な原稿も出来てくるでしょうし、評価が出来るのはそこからです。
政治が決断を強いられている時、生命科学的な情報が必要になることは、理解できます。私も一般人としての立場からみると、そう思います。決断はされなければいけない訳ですから。もうひとつは、経済学的な情報です。この2つのバランスを取りながら政治は決断しなければいけない。これが、政治の困難で多大な責任でもあります。そのなかで、多くの政治家は、学者に直接プレッシャーをかけていきます。私の責任にしたくない。科学的な原稿にある数値に責任を持っていきたい。ここには、はっきりと書いてあるだろう?と。 ここで、危険な取引がはじまります。 研究所長に、君が責任者だったら、なんとかならないか。データを出したまえ。そこで、所長は、スタッフに聞くのです。何かないか。調査の表はまだ半分しか埋まっていないけれど、、、大臣が今発表したい、と言っているから、この半分のデータでとりあえずまとめよう。 そして、まとめられますが、この報告も、学者ではなく、広報部によって書かれたりするのです。 そこには専門家はいませんし、ジャーナリストですらない事もある。 そこで書かれるものの多くは、脚色され、公用文的にまとめられ、、、そのような誤解を招く情報が世界に広がっていきます。 このようなことが、ここでも起こった、と私は考えます。他の国でも、似たようなケースを何度もみていますから。
学校と幼稚園の問題は、様々な視点からみることができる、という事は確かですよね。そのなかのひとつについては、ここ数週間、この場でもお話しいただいて、喉のウィルスの濃度に関してのシャリテでの調査はまだ規模が小さく、もっと別の調査も必要だ、という事でしたが、その別の調査があがってきました。 ジュネーブでの研究ですが、この結果はシャリテの結果を裏付けするものでしたか?
これは、イザベラ・エッカレのものですが、彼女は、私のボン時代に同じ研究所にいた研究者です。私はその後でベルリンに行ったのですが、彼女はジュネーブに呼ばれて、今教授としての引き続きウィルス学の研究をしています。 その彼女研究ですが、似たような視点からの調査です。 子供の喉にはどのくらいウィルスがあるのか。大人と同じ量なのか。そうだとしたら深刻だ。という。
彼女の調査方法は、私達とは違って、私達は、莫大な量のサンプルからウィルスの量を分析しましたが、ここでは、ジュネーブの病院と診療所の子供23人、生後7ヶ月から16歳まで、、、全ての年齢層ですね、を調べました。ウィルス濃度だけではなく、もう一歩進んで、そのウィルスの感染性も、細胞培養で確認しています。このなかに感染性があるウィルスはあるのだろうか、ということですね。感染性の確認方法として、培養は適しています。半分、つまり23人中12人から、ウィルスを分離する事が出来ました。 子供達の平均値は高くて、mlあたりで1.7倍の10の8乗コピー、ゼロが8個つきます。この結果は、私達の結果と一致します。ここでは、3人、生後3ヶ月以内ですが、そこでのウィルス濃度も、10の8乗ミリリットルで、このことからも、子供は大人よりも感染性があるウィルスを持たない、という事は考えられません。 私達が導き出した結論と同じです。
ここで、もう一度言いますが、、、これは、全体の一面でしかありません。子供は、大人と同じように喉に感染性があるウィルスを持っているでしょう。わざと、大雑把にまとめていますが、これは、若干の数値の差は統計的にみても重要ではないからです。 特にとても小さい子供のウィルス濃度は数値的には多少大人よりも少なくなる傾向はありますが、決定的なものではないのです。 ガンゲルトでも、この傾向はみられますが、ここでは圧倒的に調査対象の子供数が少ない。全体でみた割合が低すぎます。子供についての結果を出すにはこの数では無理です。この示唆を過大評価する過ちは犯してはいけません。子供と大人のウィルス濃度に差がある、というエビデンスはないからです。どうして、こうも用心深くなるのか、というと、私は学者だからであり、学者として誤解招くことはしたくないからです。今、この難しい状況であれば尚更、注意深くならなければいけません。
学者の、子供のウィルス濃度が少ない、ということは断定できない、という発言から、子供のウィルス濃度は大人と同じ、になり、最終的には、子供は大人と同じように感染させる、となる。こうなる過程ははやいです。そして、新聞見出しになるともっと短く凝縮されます。全てがすぐにそうなってしまうのです。私が(内容の)正確さに固執する理由はここです。 主観的にみると、たしかに子供達のウィルス濃度が少し少ない傾向にありますが、ここから結論が導き出されて、「ドロステン 、子供のウィルスは少ない」と報道され、次には「科学的根拠により、学校は再開しても問題ない」となる。これは、間違いであると同時に混乱を招きます。沢山の命に関わる事なのです。学校を、全く対策をとらずに再開したとしたら、、、その際に起こりうる感染の連鎖を計算してみてください。科学が証明したから、してもいい、 ではなくて、新聞が独自の解釈をして短縮しただけです。その新聞を、、政治が参考にする。
政治は科学に、何々の証拠を出せるか?と問い、科学は、それは出来ないが、そうではない、という証拠もない。と答える。これが、使われる、と。
そうです。現状の理解はそうでしょう。 このポッドキャストで話したのは、方程式の反対側としての、子供の感染確率が少ない、というサイエンスに掲載された論文からでした。
先週、取り上げました。
これは、方程式の反対側なのです。これは、家族内で観察されている事にも一致します。しかし、保育施設を無制限に再開したとしたら、この中国の論文内での因子は通用しません。何故なら、この論文内では、子供達の間の接触は多いから、(大人よりも)感染する確率が高いはずである。しかし、そうではなく、(大人と)同じ確率であった。すなわち、子供の感染する確率は低い。そういう反対解釈なのです。実際には、子供も同じ確率で感染しているので。 この反対解釈を、保育施設を無制限に再開する根拠として誤用してはいけません。なぜなら、保育施設は、高濃厚接触がある環境だからです。 保育施設が、社会的に、そして経済的に不可欠な施設であることには間違いありません。しかし、これは、一般人としての私の意見であって、学者としては、大変な事になる可能性が高いから注意しなければいけない、という考えなければいけません。しかし、科学的な評価と、社会的な考察をまとめると、必然的な需要が多い家庭や状況なども配慮し、保育施設の再開はしなければいけないでしょう。 とは言っても、同時に再開するのではなくて、少し分散する、などの対策は必要であるだろうと考えます。 この政治的な意見と科学的に考えられることは、どこの部分から再開していけば良いのか、ということですが、その分野では、科学的な推奨は出来るでしょう。データをみると、幼児が少しだけ感染する確率が低い傾向が読み取れます。ウィルス濃度からみても、統計的には決定的な違いはないにせよ、幼児に少しだけ少ない傾向があることは、経験上からの感覚的に感じることです。ここからの論理的な考察から、保育施設と小学校の(低学年)再開をまず始めの目標できるかと思います。 勿論、全てではなく、保育施設も、一部の特殊な家庭の幼児、小学校もクラスが少人数である事が条件ですし、屋外の利用なども考えられるでしょう。 高等部に関しては、アビトゥア(高校卒業)などの試験で焦る気持ちもわかりますが、基本的に、休憩中に校庭にたむろしている状態は、イッシュグル(注 オーストリアのホットスポットとなったスキー場)のパブと同じですから、避けなければいけません。ここでは、きちんとした規則をつくることが重要です。 学年の半分とか、クラスの半分、とか。 このような事は既に、政治では実装され、取り組まれています。注意深く、引き続き対策を講じなければいけないでしょう。ここで、思慮深く考えたのちに、詳細を決める際にまた科学の出番がきます。例えば、保育施設で、一部の家庭の託児が承認されたとした時に、幼児が無症状で家庭にウィルス持ち込む可能性がある。おじいちゃんおばあちゃんとはどう接したら良いのか。ここで、検査の検討もできますね。ドイツはとても検査体制が整っていますが、問題は、検査数ではなくて、必要性のあるところに検査の重点を持っていく、という事なのです。 コロナタクシーについては、お話しした事がありますが、これは、高齢者が自宅でも検査が受けられるように設けられたシステムですが、このような事を、ここでもできるのではないか。 保育施設に緊急託児をしている家族が、2週間ごとにPCR検査をする権利があってもいいでしょう。おじいちゃんおばあちゃんに会えるようになります。 そのような検討です。 そのほかの検討は、小中学校と高等学校です。家族内にハイリスク患者がいる場合、登校を義務付けるのは難しいでしょう。例えば、父親が心臓疾患だとして、子供が義務教育で学校に行き、無症状でウィルスを持ち込んでしまう。このような事も起こりえますから、義務化には出来ないでしょう。 診断書を出し、このような生徒のために引き続き映像授業などを並行して提供することも検討するべきです。
政治的な骨組みをつくる、ということと、注意深く、誰がどのような対象になるか、という点で科学的な推奨する、ということでしょうか。
少なくとも、科学的なサポートは必要です。現時点では、進む方向が間違っていると思うのです。メディアでは、科学的な立場を対立をさせ、私個人だけではなく、、、政治家も私の名前をトークショーなどで出すようになっています。そのような事は、政治的な悪用であり、混乱を招くとんでもない事です。本質からある人物に転換し、議論の論点から外れています。段々、危機感を覚えてきています。迷走してはいけません。常に問い続ける必要があるのです。 科学がどこに役に立つのか、ということを。
個人崇拝と、科学から切り離された人物の持ち上げは問題ですが、最後に軽い話題で締めようと思います。たまに、楽しい事もあって、、ボード・バルケが、曲をつくりました。先生の歌、というよりも、このポッドキャストについてですが、このようなものは、同僚などとお聞きになる事はありますか?
勿論、聞きました。ボード・バルケとは、実は共通の友人がいて、彼女がすぐに送ってくれて、、、爆笑しましたよ。歌詞も良いですね。とて面白く仕上がっている思います。個人的には、ピアノブルースというのは好みではないのですが、、、
先生は、ギターを弾かれますよね
そうです。ギターです。でも、ボード・バルケは最高です。TVノアールという番組でしたよね、流石だと思いました。歌も素晴らしいですし、とても嬉しく思います。みんなで大声で笑わせてもらいました。
今日もどうもありがとうございました。 またよろしくお願いいたします。
ベルリンシャリテ
ウィルス研究所 教授 クリスチアン・ドロステン
https://virologie-ccm.charite.de/en/metas/person_detail/person/address_detail/drosten/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?