ドイツ@Sars-CoV-2 コロナウィルスアップデート(46) 2020/6/4(和訳)

ベルリンシャリテ ウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン 
聞き手 コリーナ・ヘニッヒ 

 2020/6/4

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研究チームが論文を発表しました。正確に言うと、ラボでの検査結果の目的別分析です。まずはプレプリント、つまり、他の学者に査読されていない状態の原稿の第一弾。そこから、査読が始まり、データの統計方法などでの指摘部分や改善点があげられてきます。ここで、小さな指摘から激しい批判がでてきたとしても、ここまでは論文が発表された際のごく通常の学術的な流れです。 しかし、ここから大衆紙のジャーナリストが、一部を切り取り引用し、この研究チームをバッシングするキャンペーンをはじめました。 本来ならば、新型コロナウィルスについての新しい科学的見識について話しあいたいところですが、、、勿論、それはします。しかし、今日は、特に最新の事件について重点を絞りたく思います。 ドロステン教授とそのチームが発表した、子供のウィルス濃度について発表した論文の改善版について。モデリング計算でどれだけのことがわかるのか。学校の閉鎖の効果はあったのか。これらのテーマについて、ベルリンのウィルス学教授、クリスティアン・ドロステン氏にお話を伺います。聞き手はコリーナ・ヘニッヒです。

ウィルス濃度の論文の詳細に入る前に、この討論を初めから聞いていたなかったリスナーの為に短くまとめてみようと思いますが、、、内容の核は、感染伝播のなかでの子供の役割はなにか。大人よりも感染させるのか、させないか、同じか。これを、調べる為に、シャリテのクリスティアン・ドロステン研究チームが子供と大人の喉のウィルス濃度を比較。使われたデータは、ラボに保管されていた3300人分の陽性サンプルです。難点は、子供のサンプルが少ないこと。そこから説得力の限界が指摘されていました。第一原稿の後、統計方法での指摘はありましたが、医学的な内容についての批判はでていません。まずは、この議論を客観的な視点からみるためにも、、、一般的な質問からしますが、どの程度、このふたつは分けて考えられますか。医学的な内容は統計されてはじめて説得力を持つものとなるのではないでしょうか。

そうですね、統計なしでは、医学的な内容について話しあうのは困難です。私は、この公の議論では、統計学者からの根拠に基づいた指摘と、論文全体のデータの解釈とが、混合されてしまっている、と感じています。データ自身は、ラボ医学に通じるウィルス学者であれば、統計がなくても理解できます。ウィルス学者なら、ぱっとみてすぐわかる内容なのです。しかし、やはり、これを統計で分析してみたらどうなるのか。小さい子供のウィルス濃度が少ない、という結果がでたりしないか。 古い論文バージョンでは、荒い統計方法を使いましたが、この方法では違いは全くでてきませんでした。そこで、もっと細かで高度な統計方法を使うことにしたのです。統計学者から学術的な指摘とともに提案された改善法を使って計算しなおされています。
そこで、最終的に出てくる問いは、違いがないことを確認した、と言った場合と、違いはあるが、とっても小さな単位での違いである。と言った場合の違いはどこだろうか、ということです。重要になってくるのは、この小さな違いがある、というのはどのような意味を持つのか。医学的に重要な大きさなのか。そうではないのか。ラボのデータが読めて実際の状況に置き換えることができる経験値の高いウィルス学者であれば、こうみるでしょう。 この違いは大きな違いではない。しかしここからもっと掘り下げていかなければいけません。

確認ですが、、、基本的な部分はそのまま、ということですね。少し違う言い回しになっていますが、子供が大人に比べてウィルスの放出が少ない、という証拠はみつからなかった、と。しかし、このアップデートで少し違うこともされています。年齢のグループ分けを変えました。そして、データを検査方法別に分けています。この、検査方法についてお聞きしたほうがよいでしょうか。ここでは、2つの違う検査方法がとられていますが、どうして、2種類あるのですか?

私たちのラボには、キャパが違う機材があって、キャパとは、1時間内、もしくは1日に検査できる検体数の違いです。パンデミックのはじめのほうでは、普通の機材を使っていました。他のウィルスにも使う機材です。そこから検査量がどんどん増え続けた為に、それに対応していかなければいけなくなってきたのです。私たちのラボ、ラボベルリンは、ヨーロッパで一番大きな病院供給ラボの一つなので、検査の数が大変多かった。当時は、トータルで78000件の検査をしましたから、かなりの量です。普通のラボの設備だと不可能でしょう。この頃、新しく購入した機材があるですが、これはこの先くるであろうと思われる検査規模の拡大を見越し導入したものです。これは、パンデミック初期ではなくて、3月中旬くらいから使うことができるようになっています
検査結果は、この使われた機材別に分けられて分析されていて、その理由は、分析的にも統計的にも分けるのがより正確だと思ったのと、2つの違う検査方法から同じ結果が導き出される、というのが理想的だと考えたからです。 しかし、結果は同じではありませんでした。 その理由は検査方法の違いとは直接関係はなく違う理由なのですが、、これははじめから内部ではわかっていたことです。この差があることはわかっていました。第一稿の段階で、この区別が困難であることはわかっていましたし、定量的にも明確にするために分ける必要性は自覚していましたので、これも今回改めて改正しました。 しかし、初めのバージョンで全てのデータを一緒にし荒く統計をとったのは意図的です。このざっくりとした方法で何も結果がみえないようであれば、どちらにしてもそこまでの意味はないだろう、と思ったのです。
(感染流行)初期は、ほとんどのサンプルが外来からとられたものでした。つまり、大部分が外来かシャリテのテストセンターのものです。このようなテストセンターは他の大学病院にもありますが、これは救急外来です。この人達を、ラボでは送り主、と呼びますが、ラボの顧客です。この送り主のプロフィールをみて選びました。殆どが外来で来ていた人達です。基本的に普通に健康に歩いて検査をしてもらう為だけに外来に来て、また帰っていって家で結果を待つ、という人たちです。 その反対にあるのは、病院、集中治療病棟から送られてくる検体です。

大きな違いは、病症があるか、ないか。もしくは軽症か、というところでしょうか。

その通りです。この患者はどのような状態だったのか、これを、みて分析したところある影響が あることがあることを確認しました。送り主とは常に連絡をとりあいますので。 初めの頃、2月待つから3月末までは、外来で検査をする人の数が多かったのです。基本的に感染しているかどうかのチェックをしたい、という人達ですね。それ以後は状況がいくつかの理由で変わりました。一つ目は、陽性患者が増えたこと。そして、3月末から4月末には病気になって入院する人が増えました。これは、もちろん同一人物のサンプルではなく、病院から送られてきた入院患者の検体です。つまり、この研究では、患者一人につき、ひとつだけの検体を調べています。このような送り主である病院が入院中の患者のサンプルを送ってくるわけですが、これは発症から約2週間目のものなのです。ここが決めてです。またのちに説明しますが。時間が経つとともに、調査対象が、外来から入院患者へと移行していったのです。そして、時間とともに患者数も増えていきました。
ここからまた違う要因もでてきます。感染流行の初期の段階では、私たちのラボは数少ないドイツ国内の検査ができるラボでした。そのようなラボとしての知名度も高かった。そして、かなりの数の検体が保健省からも送られてきていたのです。これは、後からわかったのですが、保健省の接触調査は時間が経つとともに、段々と負担が大きくなり実行が難しくなっていったので、本当に重要なところ、クラスターや家族や世帯などに重点をおき、隔離政策をしていったようです。これは、感染の拡大をストップさせるためにも大変重要な対策です。 検査をする為にそこまで出向いて、はい、座ってください、ぬぐい棒をいれますよ、ありがとうございます、ここに記入してください、それから、シールをはって、それをラボに送る、という一連の作業がなかなかできなくなってきた。勿論、最後まできちんとその作業をやりとげた保健所もあります。しかし、全体からみると、平均的な保健所はその余裕はなくなっていた、ということです。 つまり、どんどん保健所から送られてくる検体の数が少なくなっていた。これが、全ての年齢層に現れている影響です。そのなかでも一番影響がでているのが子供なのですが、それはどうしてなのでしょうか。 それは、子供は殆ど症状がないからなのです。幸いなことに、この感染症では子供は軽症ですむことが多いことがわかっています。殆どの子供が無症状です。では、どのように子供の検査が行われたのか。ということを考えなければいけません。大人が症状がでてからテストセンターにいく際、子供を連れていくでしょうか?

連れていきませんね

多くの患者が列をなし、熱までだしているようなところに、子供に症状がないのに連れて行きませんよね。小児科にも連れていかないでしょう。私が感染者と接触したようなので、うちの子にうつっていないかどうかと思って、、、と小児科に行ったとしたら、小児科医は頭を抱えるでしょう。私もしないと思います。症状がない、としたら。わざと、大雑把に説明しましたので、保健所の職員には、きっと、「ドロステンさん、ひどい一般化した話をされていますが、私たちはもっとちゃんとプロフェッショナルにやってます!」と言われそうです、、、たしかにそうでしょう。しかし、説明したいだけなのです。お気付きのように、、、、残念ながら、このような研究では殆ど子供は検査されない。 保健所が家にやってきて、「ここは隔離世帯なので、詳しい状況を把握する為に全員の検査をさせてもらいます」とならない限りは。そうすれば、子供のサンプルは集まります。それが、初期のシチュエーションだったのです。流行の初め、まだ保健所の余裕があった時期、そのような検査がされました。これが、私たちの子供のサンプルのベースです。

それが、一つ目の機材ですね。その後で、違うタイプの検査機材が導入されるのですよね。これが違いの理由ですか。

そうです。その後、感染者が大幅に増加してきた頃に違う機材をいれました。しかし、この時期に入ってきた子供、0〜9歳児ですが、この子供たちは違う種類の子供たちで、入院していた子供たちです。症状がでて入院させられた子供たち、心臓などの基礎疾患がある場合。基礎疾患があるからといって必然的に重症化するわけではありませんが、万が一の場合の為に入院させられていたわけですが、大人と同じで、入院させられる、ということは、2週間目なのです。
このポッドキャストの早い段階での回でも話しましたが、喉からのサンプル、喉の周りでのウィルスの量が2週間目には大変少ない。多くの場合に陰性反応が出るくらい少ないのです。この影響がデータにも反映されています。流行の初期にしか、普通の子供たち、世帯内の子供たち、普通に学校や保育施設に行っていただろう、と思われる、ピンピンしている、しかしそれでも感染はしている子供たちのサンプルをとるチャンスがありませんでした。

ということは、純粋な統計的な面でも、ここに違いがでているということで、修正ファクターを入れなければいけない訳ですよね。初めの頃の機材では、子供と大人の違いは殆どみられなかった。もう一つの機材での検査時には、病症が進行している入院中の子供たちだった為に、ウィルス濃度が低かった、ということでしょうか。

そうです。そのように理解してもらえるかと思います。一つ目の機材で検査していた時期は、かなり一定量の検査をしていましたが、そこでは大人も子供も違いがありませんでした。子供も世帯調査での調査対象内です。 次の機材の頃は、入院中の子供たち、症状がでて入院している2週間目の子供たちが多かった。しかし、大人のサンプルは、引き続き、入院患者と外来からのものが混じったものだったのです。この機材は、広範囲での検査、例えば、シャリテのテストセンターでの国民調査などに使われるものです。そのような理由もあて、再分析の際にはこの結果は分けて分析しています。 現実的な国内の感染状況を反映している、思われるサンプル間では、子供と大人の違いはみられません。しかし、もうひとつのほうでは違いがでています。 この違いは、統計の出し方の違い、というよりも、サンプルが集められた時期からきているのです。

分析の際の分類にも修正がされています。年齢層の比較でのグループ分けです。第一稿では、、、ここも指摘された部分ですが、0〜6歳、幼稚園児ですね、0〜19歳、子供と青少年、そして、大人、という分類。一番年齢が低いグループでは、3分の1弱が高いウィルス濃度を持ち、3分の2が低い濃度でしたが、これはどういうことでしょうか。

これは、最後に行ったまた別な分析です。ここでは、また全てのデータが一緒にされて分析されています。ここで明らかになるのは、本来、サンプルを集める際に理想であった状態での短期間の間のデータの影響と、その他のほとんど子供のデータがはいっていない期間のもの違いですが、その辺は意図的にあまり神経質にならずに処理しました。というのも、大人のデータのなかにもなんらかの邪魔な要素は含まれていると考えられ、それを全て排除するのは困難だと判断したからです。
ここで、統計的な分析が行われなかったのも意図的です。ここでの分析は、、、細胞培養でのウィルスの比較はわかりますね、ここに、上限濃度というものがあり、これは、どこから細胞内で感染性があるウィルスが増殖するか、どの段階から細胞に感染するか、つまり、生きているウィルス、感染する可能性があるウィルスです。PCRでこの位のウィルスが確認されたら、感染の可能性があるウィルス増殖だ、ということです。
因みに、これは、通常のシチュエーションで本当に感染するかどうか、というよりも、ラボの検査上の感染性です。そうはいっても、この数値には意味があって、どのくらいのRNAが検出されたら、細胞培養で感染性が確認されるのか。その最低濃度、というものがあり、それを子供と大人のサンプルで測定しました。子供では少数がこの最低濃度を上回りました。たしか、29%、30%だったと思います。大人では50%でした。ここでまた言わなければいけないのは、ここでまた2つのデータを意図的に一緒にしたことです。ここでのデータの過半数は、世帯調査があまりされず子供のデータ数が少なくなってきた時期のものです。このやりかたは、研究分野では、保守的な方法、と呼ばれています。研究の上で、子供は大人と同じ感染性を持っているのではないか、という検証をしたい場合、わざとこれに不利であろうと思われる条件でスタートさせる。このシチュエーションで、子供が30%、大人が50%、初期の段階で世帯調査から取られたウィルス濃度が高い子供のデータが薄まってしまっていることはわかっています。この条件の中みてみると、統計の分析をしなくても、大人の30%以上がラボの検査で感染力のあるウィルスをもっていた、ということです。

ここから、年齢が上がるにしたがって、ウィルス濃度も上がっていく、という関係性はみられませんね。年齢層を細かくわけていないからでしょうか。

それは、また別に分析しました。ここでは、多くの統計学者からすすめられたように、回帰分析法を使っています。第一稿でも使ってはいますが、そこでは、年齢カテゴリーをつくり、10年ごとにわけていますが、ここからは違いがでてきませんでした。ここが一番、統計学者から指摘された部分なのですが、これでは荒すぎる、と。回帰分析において、年齢は10年ごとにわけるのではなく、連続変数的に扱わなければいけない、と言われました。

そして、ペアごとの対比ですね。

そうです。このカテゴリーを、平均値と比較するのではなく、もっと細かい比較をしなければいけない、と。そして、その方法でやり直しましたが、出てきた結果は想像していたものと一致しています。リアルな国内の状況を反映しているだろうと思われた検査では、回帰線は完全に平らでした。一番小さな年齢から、高齢まで、同じ高さ。つまり、年少者と高齢者との間の差はない。

平均値で、ということですね。

そうです。これは平均値、です。X軸が年齢で、Y軸がウィルス量ですね。ここに、完全に平な低いグラフィックだった。そして、もう一つの検査機での結果は、回帰線が年少から高齢にしたがって、ゆるく傾斜で上がっている。こちらの検査機は、世帯内の子供や外来の子供がほとんどいない代わりに、入院している子供たちの比率が上がってきていた期間のものです。大人に関しては、様々な影響がありますが、ここでのウィルス量も高く見積もられていると思います。結果は次の予測と一致します。健康で元気であっても感染していて高いウィルス濃度を持ちながら動き回っている子供たちは見逃されている、ということです。

大人は検査数が多かっただけではなく、様々な患者が混じっていますよね。

その通りです。それが1つ目の検査機での結果に多様性が表れている理由です。2つ目の検査機では、回帰線が大人にむかって少し上がっている方ですが、ここでは、検体が入院患者のものだったことと、この機械が本来、急性の感染者を大量に検査するためのものである、ということもあり、大人のウィルス濃度が高くなる傾向がでているものとみられます。

論文内の最後の結果の部分で、少し文章を変えられていますよね。結論の部分ですが。 ここには、「この研究からは、子供が大人よりも感染性が少ない、という検証はほとんどでなかった。」二重否定です。とても注意深く読まないと、この意味を正しく理解できないかもしれません。その前のバージョンは、「子供たちは大人と同じような感染性を持っているかもしれない」というものでしたが、違いはどこにあるのでしょうか。言語学的な面はおいておいて。

違いはありません。研究の解釈はそのままで、より明確になりました。解釈はこの方向でよりはっきりとしたものとなり、短く言うならば、、、大人と子供の違いはない。と言えるでしょう。しかし、これは短くした場合です。新聞などでは、もっと短くなって、誇張され、新聞によっては、まったく反対のことを書くところもあります。それでも、やはり研究の原点に戻らなければいけません。はじめのバージョンで用いた方法はウィルス学的なやり方でした。とても客観的に解釈されていますが、ここから導いた結論は、あの当時は4月末でまだロックダウンが解除されていなく、今後の発生数がどうなるか、なども全く先がみえなかった状況でしたら、無条件で学校を再開することが果たしてできるのかどうか。 これは、その時の日々の課題でした。 まさしく、マイ・ティ・ニュエン・キム(注 ドイツの科学ジャーナリスト)が言っているように、what?と so what? です。
whatは、これはウィルス学的なwhatです。つまり、(私たちの粗雑な統計方法では)違いは証明できない。そして、それに続くso what?は、その解釈です。この時点、4月末ですが、まだ学校が完全に閉鎖されていた状況で、無条件に学校を再開することは推奨できませんでした。このような推奨、このso what?は、科学的な作業の一部で、政治的な助言ではありません。政治の助言は、全く別のものです。これは、個人が行うものではなく、必ず、複数の専門家からなる委員会が発足され、自分の研究からだけではなく、文献の全体像からの分析から判断されます。これは、so what?の段階よりも遥かに先の話です。

つまり、「結果」と「この結果から何をするか」「so what?」が、私たちの日常でどのような意味を持つか、ということですね。

そうです。これが、メディアでこの数週間、もしくは、この10日間、様々な新聞で誤解され、全てがごちゃまぜにされてきた部分です。最終的には、政府がこの論文を決断の参考にした、とまで書いてありましたから。本当に馬鹿げたことです。そんなわけがあるはずがありませんし、そのようなことにはなるはずがないのです。そうではなくて、これは、この論文のなかの、so what?の部分です。ここから、この論文の what?は何か、そして so what?はどこか、ということを考えていけると思いますが、新しいバージョンでは、先ほども指摘があったように、二重否定がされています。これは、この結果が、大人と子供での違いがある、ということを考える原因が全くない、という意味です。実際には、統計的に更に厳格に示している方向性ですが、つまり、統計学者が、ここにある違いというものは、もしかしたら全て偶然ではなかったのか、という視点のもとでデータを要求してきましたが、私たちの見解は、「偶然とは考えにくい。」

統計的な有意、ですね。

これは、有意検査です。重要な検査機での結果をみてみても違いがみられませんでしたし、統計的な方法で確認しても、、、その違いがみられなかったので、このように表現しているのです。

子供がウィルスを外に運ぶ場合、ウィルス濃度、つまり喉にあるウィルスの量だけが重要なのではなく、行動様式も重要な役割をはたす、ということですね。咳を頻繁にするのか、しないのか、息をたくさん吐き出すのか、動きが激しいのか、、などこれら全てのことが関係してくる。このような全体との関係性を踏まえてデータをみていかなければいけませんよね。

この研究の so what?は、少し複雑です。ここが一番議論されている部分ですが、古いso what?は、今のシチュエーションでは、完全な学校の再開には注意が必要だ。 新しいso what?は、もう少し具体的で、複雑なものです。このウィルス濃度をみる際に、ウィルス濃度の持つ意味を考慮して考えてみる必要があって、それは、感染するために必要なものはなんだろうか。それは、ウィルスが喉にある、ということだけではない。もちろんウィルスがなければ感染することはなく、ウィルス濃度は測ることは可能であるが、それ以上の因果関係がある。

それだけではない、と。

そういうことです。ウィルスがあること、一定量があることはもちろん基本条件です。しかし、そこから、どのくらいの量のウィルスが放出されるのか。そこでも、子供は無症状の場合が多いから、咳はしないだろう。肺も小さいので出てくる息の量も少ない、ということが考えられますし、同じ量のウィルスを持っていても、最終的に出てくる量は少ないかもしれない。しかし、子供は接触が多い。距離対策も守れない。そのような子供の行動様式からみてみると、ウィルスをばら撒く可能性は大きい、ということになります。最終的には、これらの様々な要因を総合的にまとめなければいけません。子供と大人を比較したモデルなどがあればそこで観察することができるでしょう。なぜなら、SARS-2に関する現時点での観察は、残念ながら、いろんなところが抜けています。子供の感染性を調査するためには学校が開いていることが前提ですが、この研究は学校が普通に開いている状態ではできませんでした。 そのようなこともあり、so what?の部分は違う考察をしなければいけなく、、、インフルエンザのウィルス濃度とウィルスの放出形態との類似点を掲示することにしたのです。旧型SARSウィルスでは、そのようなことはわかりませんでしたし、SARS-2ウィルスも2ヶ月前まではそこまでわかっていませんでしたが、今、やっとデータが集まってきました。ポッドキャストでも何度も取り上げてきていますが、ウィルス濃度の変化時によるウィルス量研究や、ガブリエル・リャンの素晴らしい伝播モデリング研究などです。そして、このso what?ですが、私たちが検査機で、統計的に有意に出した結果、統計分析別に、0、2log〜0、7log、つまり、ファクターで5〜3の違いがでた、という意味はなにか。

濃度で、ということですね。

そうです。もう一つの検査機では、統計分析の方法によって、ですが、検証できないほどの大きさでした。分析方法によっては、子供のほうが多く出たこともありますし、他の方法ではまた少し少なく出たりしていますが、この違い、このウィルス濃度の違いというのは、ウィルス濃度の%としてみてみると、インフルエンザの感染割合と比較しても違いがないくらいのレベルなのです。この検証結果をみても、この研究内のso what?はさらにはっきりとすることでしょう。ただ、考察面では少し、このso what?を文章でまとめるのは容易ではなく、メディアでも、科学分野に、そして、私のような科学者を個人的を攻撃し、極端に短縮し、最終的には偽造される原因になってしまいました。

それでも、少し短くまとめてみようと思うのですが、、、so what?は、「学校や保育施設の再開は注意深く観察し監視しなければいけない」と言えますか?

その通りです。それも so what?のなかに細かいサーベイランスの推奨として入っています。これは、PCR検査による診断で行われなければいけません。どのようにやっていくか、というアイデアについてはポッドキャストでも話したことはありますが。

現時点での、"so what?をみていくと、、、学校は制限付きで再開したほうがよいのでしょうか?例えば、シュレスヴィック=ホルシュタイン州など、州によっては無制限に再開していますが。他にも考察する方法はありますが、例えば、モデリング分野では、学校の閉鎖がどのくらい意味がある対策だったのか、というものがあります。この論文がプレプリントの段階だった時にも、もうすでに学校の閉鎖は決定され閉鎖されていたので、問題点は、どちらかというと、再開についてです。それについては、ゲッティンゲンのヴィオラ・プリーゼマンの研究チームがモデリングをしました。ここからの知見を論文と照らし合わせることは可能でしょうか。

そうですね。これは、論文内のso what?を超えて、さらに、具体的な推奨、という方向にいきますが、文献をまとめると、どのような意味があるのか。因みに、このモデリング研究の他にもモデリングはありますが、データが豊富にある今、段々、説得力のあるモデリングができるようになってきました。ここで話したほうが良いと思われる研究は2つあって、1つ目は、ヴィオラ・プリーゼマンのとても素晴らしい研究でサイエンス誌に掲載されています。しかもこれはドイツが対象なので私たちにとってもとても興味深い内容です。伝播のモデリングの際に普通のパラメーターモデル、R0値やRT値を出す際に使われる方法で、ドイツの対策がどのような影響を感染状況にもたらしたのか、ということを、時間軸とともに分析されています。最終的には、R値を時間と共にサブパラメーターまで遡っていますが、この拡散割合がこのサブパラメーターのひとつです。拡散割合が、ここからさらに、伝播のダイナミクスと拡散の割合の変化によって3段階になっていています。時間的にも、ドイツではこの3段階に分けることができ、大きな集会の禁止が3月7日。学校の閉鎖が3月16日。接触制限が3月22日。まだ記憶に新しいと思いますが、このような順番で対策が実行されてきました。ここでの拡散割合をみていくと興味深いことに、大きな集会の禁止令とともに、拡散割合が、0、43から0、25に下がり、その後の学校の閉鎖によって、0、25からさらに、0、15まで下がっています。かなりの減少です。ここから、接触制限が始まって、0、15から0、99まで下がりました。これが、段階を踏んでの効果です。ここでは集計ですので、対策は個別に分析はされていません。もちろん、計算することはできなくはないでしょうし、どうしても数値にしたい、と思うならば、、、、計算機で0、25割る0、15は、、、ヴィオラは多分、頭を抱えると思いますが(笑)、、、、そうすると、答えは0、6。40%の減少です。このような計算で数値を出すのはかなり滑稽なのはわかっています。しかし、そのようにだしてもいいとは思うのです。 さて、このように大雑把ですが、複雑な学術研究をまとめてみました。

全体図ですね。

こちらは違う興味深い研究ですが、方法的には少し違う方法をとられて、階層型データモデルです。ここでは、要因を別々にみることができます。この論文はまだプレプリントの段階で、ヴィオラ・プリーゼマンのすでにサイエンスに掲載された研究ほどではありませんが、大変丁寧に検証された研究ですので、今後評価されるでしょう。オックスフォードの研究チームが中心となっておこなわれた研究ですが、世界中のモデリングチームが参加しているのものです。6月2日に発表されたので、まだ新しいものです。ここでは9つの異なる薬学分野ではない介入、つまり対策ですが、例えば学校の閉鎖、とかですね。このような対策が9つ、、、すぐに、どの対策か、ということは教えます、、、これらの対策の効率が分析されています。ここでの単位はリダクションのR、つまり、伝播の減少です。これを、データから個別に分析していき、登録数、登録の精度なども確認分析しつつ、ここに十分な説得力がなければ、その国は除外されるかたちで、最終的には41カ国が残されました。システムがしっかりとしたヨーロッパの34カ国と他の7諸国です。ここでは、集計をとるのではなく、対策ごとの分析がされています。因みに、対策は時間順に行われたので、この関連性はまとめて考えないといけないところはあります。

基本的な状況が変わっていった、ということですよね。

そうです。詳細にたどり着くまえに、つい、前置きが長くなりました。 最終的な大きな効果は、、Rの50%の減少、つまり、半分の減少です。これは大変大きな数値です。学校の再開を検討する際には慎重になるべきです。2つに分かれたカテゴリー、例えば、小売店と、事務業務、など。ここでは、34%か26%の減少。そして、集会、これも大きさによって違いますが、10人以下、100人以下、1000人以下、といった。ここでは、10人規模で、28%、100人規模で、17%、1000人規模で16%です。 ここで、またこの部分だけに固着しないで欲しいのですが、「ここまでしないと1%の効果は得られない」とドロステンが言った、などと言われると困ります。そういうことをここで言っているわけではありません。しかも、この研究結果を説明しているだけで、私の研究ではないので。「ドロステン教授曰く」という引用はどちらにせよ間違っています。

「ドロステン教授が解釈するところによると」とは言えるでしょうか。

お気付きのように、私はどんどん注意深くなってきています、、、さて、次は、ステイホーム対策では、14%。自宅にいる、といっても、世帯内で感染は続きます。当然ですね。時間が経つにつれて対策も厳格になっていきましたが、それも分析がされた期間ごとに配慮されています。 分析期間では、41カ国で学校の閉鎖によって50%の減少がみられましたが、これは事実そのものではなく、科学的な根拠に基づく、事実の理解、ということです。

しかし、基本的な意図として一般的に言うならば、先生がおっしゃっていた、学校の閉鎖に関するものに一致しますよね。つまり、スペイン風邪のような歴史的なデータからみても、大きな効果が期待できるだろう、という。このモデリングから、かなり効果があったのは明確だ、と言えるのではないでしょうか。

その通りです。常に思考モデルを持ってみていかなければいけません。スペイン風邪では、子供の数から、学校の閉鎖が大きな効果をもたらした、ということがわかっています。他にも、インフルエンザのデータがあります。SARS-2ウィルスのラボでの研究でも同じですし、インフルエンザでも子供は大人と同じようなウィルス濃度を持っています。
しかし、世帯内の伝播調査では、子供は大人と比べて2、88の感染性です。これは接触行動と関係しています。これは当時、スペイン風邪の場合も基本となるポイントで、学校を個別にみて、大変重要な点であることに気が付いたのです。

今、学校の再開を検討する際に、感染者数などを考慮すると、3月の段階の状況と比べると基本的な条件が今は良いのではないでしょうか。

そうですね。今は違うシチュエーションでしょう。その点が、私をはじめ多くの学者が考えているところです。 つまり、誰も、学校は再開してはいけない、などとは言っていないのです。その反対で、社会的な理由からも(再開する)方向で進めなければいけない。しかし、その為には、きちんと準備をし、思慮深く、何をしなければいけないか、ということを考えなければいけません。今現時点の状況は良いでしょう。あの当時、、、モデリング分析がされた時、学校の閉鎖が感染の拡散にブレーキをかけることに影響したのか、ということ。今は、発生数が低い状態です。今は、その良い状態のもと、学校内でのアウトブレイクまでには多少の伝播の時間がかかる、という状況です。誰か一人感染すれば、(アウトブレイクに)なる、というわけではなく、まず充満しなければいけませんから。ここがポイントです。夏休み明けに問題点となりうるポイントを考慮しながら、夏休みにはいるまで、学校内でのシチュエーションの予行練習をする。 つまり、どのくらいはやく、学校内に持ち込まれた感染を発見することができるのか。そして、感染伝播を断ち切ることができるか。

ゲッティンゲンのケースをみても、学校の閉鎖、というのは集中的な対策としてありえる、ということですよね。感染の連鎖があったゲッティンゲンを見ると、段階的で選択的な対策として、学校の閉鎖はまだ完全には解決されていないことがわかります。

そうです。あれはその場しのぎの対策だったと思います。しかし、広範囲で考えていかなければいけないことは、学校を全てまた閉鎖することなく続けていく為にはどうしたらよいのか。どうすれば、維持できるのか。このことに関しても、以前この場で話したことがありますが、例えば、教師を目印として使う。教師は大人ですから、保護者の承諾もいりませんし、自分で選択することができます。きちんと理解し、対策に協力してくれるでしょう。さらに、症状が出た教師を速攻に優先的に検査すること。そして、1週間に一度、無症状の教師も全て検査すること、などです。これが、ウィルス学的にもラボ医療的に実行が可能であることは、ここでも説明しました。唾液での検査は初期の段階では適していますし、プール検査法もできるでしょう。伝播様式の分析からもわかっているように、学校内でのスーパースプレッディングイベントの初期の阻止が全体の感染伝播に大きな影響を与えます。つまり、感染が発生したクラスを閉鎖する、その教師がいた学級ですね、クラス内の生徒構成は常に同じなわけなので、状況の把握と制御は可能です。 秋からは、学校全体を閉鎖しなくてもよいようにしなければいけません。
ゲッティンゲンでは、感染をストップさせるために、全ての学校が閉鎖されました。これは、今これから考えていかなければいけないシチュエーションとは異なります。例えば、教育者の代弁者と科学者と保護者団体の間での議論は行われるべきです。それによって、共に許容できるアルゴリズムにのっとり、定期的に検査によるサポートをしながら、秋から小さな感染集団の初期発見に努める。大きなクラスターに発展する前に、です。

常に、感染状況にどのように対処するべきか、という学びがある、ということですね。最後に、もうひとつ。短い質問ですが、、、先生の論文に関する大きな討論が始まった時、、、もしかしたら、発表するのを焦りすぎた、はやすぎた、というようなことはお考えになりませんでしたか?それとも、今でも同じようにされますか。

私は、、多分、もうあのようにはしないだろうと、、、思っています。科学的な理由から、ですが。あの時、私は科学的なところしか目にはいっていませんでした。 私がしたことは、他の研究チームも同じようにしていることで、単純にプレプリントを査読に提出する前に自分のHP上にアップする、ということでしたが、これ自体には全く問題はありません。内容的にはプレプリントも最終的な論文も同じなのですが、ここでのデメリットというのは、COI番号がもらえない、ということです。つまり、プレプリントはプレプリントサーバーでオフィシャルに科学的に引用することができますが、HP上でのプレプリントはそこまで簡単に引用することができない。これが、仮の論文、という印象を与えてしまう原因でもありますが、これについてはわかった上で発表していますのでここにも問題ありません。荒く急いでまとめた論文だ、ということは常に言っていましたし、これに最終版というハンコに押すつもりもありませんでした。ここから、また速攻で再編集して提出しようと思っていましたし、それは、これからしますが。 そこからのSNSを通じて始まった科学的なディスクールは大変よいものでしたし、指摘された部分や過程というのは、往来の査読の段階と全く同じです。それが、(閉鎖された査読ということではなく)SNSという場で行われた、という点では個人的には実験的なものでした。どのようになるのか、というのが知りたかったのです。はじめはかなりうまくいっていましたが、想定外だったのは、、、それを特定のメディアが報道し始めた、ということなのです。特定、というのは、きちんと報道したメディアもありましたので、ここを強調したいと思います。

客観的に、ですね

その通りです。客観的にそしてとてもよくまとめられていた記事もありましたし、特に、大きな新聞では、科学編集部だけではなく、文芸欄や政治欄まで正しく理解されていました。ただ、メディアのなかには、意図的に短縮したり、粗雑で間違った研究である、というような報道をしたところがあって、、、、これは事実に反します。これが事実ではないことは証明できることです。これは、私だけが言っていることではなくて、他の全く関係のない専門家たちの意見でもあります。ざっくり間違っているわけでも、少し間違っているのでもありません。そもそも、間違い、という言葉自体がこの場合正しい言葉ではないのです。 科学的なディスクールのなかで、改善面がでてきて、それが論文内での視点の指摘であり、統計的な方法であった。このことについては全く問題ありません。研究自体が間違っている、ということが、進めていく段階でほんの少しでもどこかでみつかったのであれば、、真っ先にHPから取り消し、公にも、論文を撤回する旨を発表したと思います。しかし、そのような理由はまったくありませんでした。 改善点を指摘してきた専門家たちの意見も一致しています。 この、メディア討論のなかで報道された歪んだ記事は、科学の分野だけには止まらず、大きな不安と損害を生み出しました。しかも、個人攻撃というかたちで。論文がどうとか、そういうものだけじゃなく、はっきりと、私、という個人にむけての攻撃だったからです。そのようなことが起こるなどとは、夢にも思いませんでしたし、正直いって、いまだに、どうしてそのような事態になったのか。理由はなにか、という説明がつきません。

その影響はこのポッドキャストにもでましたから。様々なテーマ、たくさん取り上げたい研究があるのにも関わらず、それをそのために延期しなければいけませんでした。これからまた、通常の知見にあふれる内容になっていくことを願います。今日もどうもありがとうございました。


ベルリンシャリテ
ウィルス研究所 教授 クリスチアン・ドロステン

https://virologie-ccm.charite.de/en/metas/person_detail/person/address_detail/drosten/

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