見出し画像

開けっぱなしの窓から冷ややかな風がカーテンを揺らした。東の窓から差し込む日差しの眩しさで反射的に瞼をぎゅっと閉じた。
朝か。
身体がとても怠い。昨日友だちに瞼が浮腫んでると言われたけど、本当に浮腫んでるのかもしれない。微睡の中で旦那と緩く抱き合ったあと、バタバタと彼も仕事に出た。
土曜だが子どもたちはすでに学校へ出たようだ。

なんとか布団から這い出て身なりを整えて家を出る。5月の終わり、まだ梅雨前だと言うのに太陽に視界を奪われた気がした。
同じ名札をつけた人の列に加わり、ゾロゾロと門をくぐって末っ子と土曜参観へ向かう。目当ての教室ではみんなが前を向いてノートを取る中、次男はひとり後ろで手を組んで天井を見上げていた。土曜だからか、いつもの参観は8割が母親だが今日は半数が父親だった。
少しだけ様子を見てから次の教室へ向かう。三男は下を向いて懸命にノートを取っている。先生は黒板の前で話しているが全く聞いている素振りはない。国語の授業のようだった。教室後方の出入口には張り紙がしてある。「引き取り訓練は11時半からのため、11時過ぎには校庭にお集まりください」
数日前に引き取り訓練参加の確認プリントがあったが、面倒なので参加しないにチェックを入れた気がする。知り合いに頭を下げてそっと教室を後にした。

家に帰ってコーヒーを飲みながら、アダルトチルドレンの12ステップという本を広げる。
「このワーク、オエってなるけどとてもいいみたいよ」恩師の紹介にその場でAmazonのカートに入れた。
アルコール依存の親に育てられた子どものケアで実際に使われていた集団ワークを本にしたようだった。そこには親がどんな様子だったか、自分たち子どもにどんなことをしてきたのかを冷静にみるように書いてあった。親元しか選択肢のなかった無力な子どもだった自分たちは、生き抜くためにどういった思考やふるまいを身につけて、嗜癖に身を投じてきたのか、今の自分の行動や選択、感情の癖は自分自身の自由な選択ではなく、そういった過去の体験からもたらされる可能性があることが記されていた。

「ただいまー!」
「ママが迎えに来んかったから、オレだけ最後まで教室おってん。時間になるまで帰られへんかった」
いつもは半数くらいしか来ない引き取り訓練も土曜だからかほとんどの家庭が参加していたようだった。胸がちくっと痛む。

洗い物を終えて洗濯機を回し、また本に戻る。子どもたちはゲームをはじめた。どこまで読んだのかわからなくなり同じ箇所を何度も読んだ。昔の記憶が、ありありと思い出される。次男三男はよく保育所に行くのを嫌がっていた。ギリギリまで説得していつも時間がなくなり、怒りが止まらなくて保育所へ向かう車の中で、毎日のように子どもたちを怒鳴りつけた。怒りに震える手でハンドルを握り、彼らの存在そのものを否定してきた自分を思い出して呼吸が浅くなる。

自分のどうにもならない人生から逃げるために、人や状況をコントロールしようとして躍起になる。コントロールは不安を最小化しようとする行為であり、自分の過去や現在の不快な感情から逃げようとする行為である。

アダルトチルドレンの12ステップ ステップワークブック Twelve Steps of Adult Children: ステップワークブック The Japanese Translation

思わず本から目を逸らせた。立ち上がり伸びをして、洗濯機が終わったか確認しに向かう。洗濯物をIKEAの袋に詰め込んでまた本を開く。読み進めたいのだが今度は欠伸が止まらない。本に集中できず、諦めて寝室のドアを開けた。窓を大きく開けて扇風機を回し、ベッドに横になるとまだ衣替えが終わらない山積みの服が見えた。部屋の隅に置かれたキャットタワーには、猫が爪を研いだささくれたロープの切れ端と綿埃のような猫の毛が視界に入る。

"自分のどうにもならない人生から逃げるため"という一節が脳裏に過ぎる。
指1本も動かす気分になれず、窓から聞こえる工事の音を聞きながら重たい瞼を閉じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?