ぼくはあの夏、北海道で冒険していた
大学に入ってはじめての夏休み。ぼくは北海道を1人で縦断した。ルワンダに行く2週間くらい前のことだ。
東京から北海道には、18きっぷで行った。
東京から函館まで、800kmくらいをぜんぶ鈍行で進んだ。確か青函トンネルをくぐるまで東京から3日間かかった。ほとんど休憩なしで乗り続けてそれだ。新幹線が開通し、4時間で結ばれた現代とは隔世の感がある。
当時は貧乏学生だったのでホテルにも泊まらなかった。寝袋片手に、その辺の人に頼んで庭で寝かせてもらった。あまりにもかわいそうだからと、集会所で寝かせてもらったこともある。
すでに変だが、真の異常さはここからはじまる。
函館で自転車を買った。自転車で北海道を縦断する。
受験で使った帝国書院の地図帳を開いて、なんとなくの方向でひたすら北を目指した。
綺麗に思えるのはもちろん最初だけだ。
ひたすらペダルを漕ぐ作業。たまに通り過ぎるバイクが、親指を立てて挨拶してくれる。
あっちは善意でやっているのはわかっている。
でも、ふざけんなくそが、と思った。
そんなこと思ってごめん。
ご覧の通り、街灯が無い。本当に全然ない。サロベツ原野で日が暮れたときは、もうなんだか死にたくなった。ていうか死ぬかと思った。
でもときどき見えるナントカ富士はすごく綺麗だった。
平坦な道だけではない。北海道は意外と山が多い。
地図帳によれば、天塩山地と北見山地の間を縫っているはずなのだが、なぜかハードな山登りがある。
上りはかなりしんどかった。蜂に刺されそうになったり、草むらから大型動物が動く音がしたり、半泣きになりながら坂を上った。
下りは楽しかった。びゅんびゅん飛ばした。数キロ続く下り坂を、ノーブレーキで下りてった。
5日間、ひたすらペダルを漕いだ。到着したのが「抜海」という無人駅だ。宗谷岬まで40kmに迫っていた。
日が暮れると身動きが取れない。さすが北海道。
歩くのが精一杯で、自転車なんて怖くて漕げない。完全な日没前に、その日の寝床と食料を確保しなければならない。
寝床は、とりあえず駅でいい。ほんとうはダメなのかもしれないけど10年前のことなのでそこは許してください。問題は食料だ。
抜海駅周辺には、とりあえず何もない。そもそもJR宗谷線沿線の駅周辺に、お店はほとんどない。抜海にも無かった。
お腹は空く。ご飯は食べたい。自転車に乗って、その辺をふらふら彷徨っていた。
半径10km圏内を自転車でひたすら巡る。諦めかけていたところに、美味しそうな匂いが漂ってきた。
バーベキューをしている人がいた。頼み込んで、ちょっと混ぜてもらった。自転車をあげる約束で、お肉とご飯をもらった。
自転車は宗谷岬に行ったあとで渡すことになった。
抜海から宗谷岬までは、たったの40kmだ。
死にそうになりながら宗谷岬に行き、抜海駅まで戻ってきて、自転車を渡した。
抜海駅で再び寝た。8月でも普通に寒い。駅には早朝から暖房が入っていて、それがすごくありがたかった。
朝起きたら、鹿がいた。奈良の鹿より野生だった。蹴り殺されるのかと思った。
なぜだろう、ぜんぜんたのしくない。
抜海駅で、ぼくのチャリ旅は終わった。
電車に乗る。JR宗谷線。それで旭川まで突撃する。脇目もふらずに電車を乗り継ぎ、東京に戻っていった。
ほんとうに、全く、楽しくなかった。楽しかった記憶とか、走りきった達成感とか全然ない。とりあえず帰りの電車のJR宗谷線、旭川まで遠かったなあって記憶に残っている。
なんだったんだろうな、あの旅。まあ、あれだな、若さだな。
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今日、ぼくがわざわざこの記事を書いたのは、こんな情報があったからだ。
おそるおそるページを開いた。
宗谷線の南から順番に、廃止になる駅が並んでいる。
廃止になる13駅のリスト、その一番上に「抜海」の文字があった。
そうか。そうか、廃止か。
↑ここで寝ました
どうせ行くこともないだろうと思っていたけれど、廃止になったと聞くと、なんだかちょっと切なくなる。
廃止は来年の3月と聞いている。
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