見出し画像

ただの日記(1/26〜2/2)

1/26(日)

午前中は好きな作家のひとり、ヤマシタトモコの作品をKindle版でいくつか購入。社会人になりたてのころ人から借りて読んで手元にない過去作『ひばりの朝』『運命の女の子』など(この2作はどれだけ解像度高めのつらさを感じることができるかが楽しむポイントな気がしている)。

購入本で特に楽しみなのは、『ヤマシタトモコのおはなし本』だ。2005〜2015年のインタビューの再録集で、BLからキャリアをスタートさせた彼女が、少女漫画、青年漫画とさまざまなジャンルで活躍する変遷を追うことができる。

初期のインタビューから早速、彼女の作品に感じていた魅力の答えあわせのような内容だった(彼女の作品は、サブカルに親しんでいるたいていの女性に熱を持って受け入れられると思っているが、男性はどうなのだろう)。

彼女の作品に興味があるがおもしろさ=楽しみ方がわからない、という人にはぜひ読んでほしい。もったいないのでこの本は少しずつ読むことにした。そんなものばかりが増えていく。

1/27(月)

担当医の都合上、午後に抜けなくてはならず、先週の稼働分でカバーすることにして半日だけ仕事をした。

用事を済ませた後、メディア関係の知人が絶賛していた『さよならテレビ』を観に映画館へ。詳しくは別の機会に書こうと思うが、個人的に最近触れたコンテンツの中ではいちばんラストで動揺した映画だった。すごく好きだ。

適切な表現かわからないが、メタのメタ、メタ、本編、という三層構造に震えた。

ドキュメンタリーとは、なんて都合のいいカテゴリーなんだろう。このラベルがついただけで人は真実を期待するのではないか?事実、わたし自身がそうだった。

しかし、ドキュメンタリーも結局はメディアの報道となんら変わりないように感じる。リアルを切り刻み、再構成し継ぎ接ぎする。そんなプロセスで出来上がった映像は真実と言えるか、わたしは自信がない。

『さよならテレビ』はそんな虚構性を、テレビ局の人間が自社にフォーカスして自ら暴き出した作品だった。最後の5分間にそれが詰まっている。フィクションにしか興味がない人もきっと楽しめる。ストーリー展開が掴みやすい。ただの実録ではなくエンタメだと思う。

1/28(火)

奇しくもこの日の晩は、『さよならテレビ』を勧めていた知人主催のメディア関係のオフ会だった。

ここでは毎回オールドメディアとネットメディアの両方の関係者が集い、活発な議論が交わされる。そんな空間がシンプルに好きで、オンラインではROM専ながらも、なるべくオフ会には参加している。

ここでは自分が何を成し遂げたかなどの自慢話は横行しない。それぞれの持ちうる知識と経験を語り、お互いの疑問を解決する場になっている。それがwebメディアを離れてしまった今でも参加するモチベーションが絶えない理由なのかもしれない。

飲み会中、主催者に「どうなの新米マーケター」と声をかけられて内心ニヤニヤした。他社の人に気にかけてもらえると、社会と接続している安心感がある。

以前より自分なりの課題感を持って参加できたからか、いつもより話が弾んだかもしれない。雨がしつこく降る中、帰る足取りは軽かった。

1/29(水)

夜に同僚とわたしの恋人の3人で鉄板焼きを食べに。終始なごやかで、途中で頭が痛くて困ったこと以外は楽しかった。もんじゃ焼きを作る恋人の手元をうっとりと見つめていたら、同僚に笑われた。

まさか同僚に、恋人なんて私的な存在を紹介したくなる日がくるとは思わなかった。そういう人が職場にいるのは、仲が拗れるおっかなこわさもあるがうれしい。

そんな同僚と3人で食事をするのは今回が2度目だが、相変わらず無性にさみしくなる自分がいることに気づいた(恥ずかしいが嫉妬に近い気もしている)。

なんというか、自分はそんなにお酒が強くないので(よほどリラックスしない限り、グラス2杯以上で頭が痛くなることを今回自覚した)、お酒を浴びるように飲むふたりのテンションや、くだけっぷりについていけなくなるのだ。

そして気持ち悪くなったりしないように保とうとすると、酔いは回っているが冷静になる。それが酔ってリラックスするのを妨げるのだろう。このふたりなら分かってくれると思って思いきって話してみると、嫌な顔せず聞いてくれた。

こんなこと、他の人は笑ってとりあってくれないんじゃなかろうか。というか、「わたしはそうは思わない」と言われることがこわい。わたしはわたし、あなたはあなたなのだ。自分の苦しみを語るとき、わたしは身を固くする。

1/31(金)

仕事でお世話になっている統計に詳しい他社の人に、Rのハンズオンをしてもらう。Rは統計に特化したプログラミング言語だ。

コンソール画面を触ったのは5年ぶりくらいだろうか。もう使わないだろうと思って、コマンドもプログラミングの基本的なこともほとんど忘れてしまった。

しかし話を聞くうちに少しずつ思い出して、うれしさと安堵を噛み締めた。デザイナーとしてコーディングをやっていた20代、詳しくないなりにGitなどを触るのは楽しかった。

ハンズオンはよくわからない沼にハマってしまい、次回に持ち越しになった。これをひとりでやっていたらきっと心が折れていたと思う。人に教わる機会はありがたいことだ。

世間話もいろいろとした。わたしのこのガツガツとした感じはどこから来るのか分析してみてと言われて答えに窮してしまった。この前も勉強会で何人に聞かれたが、まだ腑に落ちる答えが出ていない質問なのだ。

しかし言語化できないなりに、幼いころからの気質として原体験を話してみた(よく人からストイックと呼ばれる側面がこの感じにあたるのではと思う)。まだしっくりこない。

2/1(土)

午前中は恋人とブランチを食べに。大きい窓からあたたかい日差しがさんさんと差す空間で、しばらく無言でホットサンドをふたりで頬張った。

いつも思うが彼はわたしのどんな選択も正解に変えてくれる才能の持ち主だ。それは彼の優しさでもある。そして筋トレ以外のことで彼はわたしを一切否定しない。
(元アスリートでトレーナーもしていたのもあり、筋肉に関してこだわりが強すぎるため、彼には筋トレの話題をふらないようにしている)

引越し先はまだ決まらないが、不動産屋からの物件リストを見ていろいろアドバイスをくれた。360度どこから見ても飽きないし、声も好きだし、何より気が合うこの人を、可能な限り大事にしたい。

***

午後からは知人主催のメディア系のイベントへ。講演自体はよかった。しかし懇親会がまるで男女の出会いの場のようで面食らってしまった。

メディアの今後を自分ごととして熱量高く活動してる人と、大小さまざまな単位のメディアの今後についてフラットに話ができる機会を期待していた。これが勝手過ぎたかもしれない。

現実はわたしの仕事にあまり興味がなさそうな人と無闇に連絡先だけ交換することに徒労感を覚えた。

***

帰りに久しぶりに立ち寄った大型書店で、たまたま手にとった『データサイエンティストの秘密ノート』という本がよさそう。少し気が晴れた。

2/2(日)

前日の社交で疲れたのか、睡眠トラッキングアプリによると深い眠りがトータル6時間もあったようだ。しかし気力が湧かず朝食後も昼過ぎまで布団で横になっていた。

居室に敷いている大きいラグの掃除を怠っていたので、ブラシをかける。使うのは無印の洋服ブラシ。これが正しい方法かはわからないが、大小さまざまな粒度のホコリを掻き出してくれるのでつい夢中になってしまう。

***

2週間ぶりくらいに猫のいる喫茶サロンへ。昨日買ったデータサイエンティストの失敗事例集と、『寄生獣』の新装版を読む。

前者はデータ分析歴3年以内の人向けとあって、耳が痛い話ばかりだった。しかし社内に同じ職種がいない分、先輩の失敗談を聴けるようなこの本は非常にありがたい。ざっと一読した程度なので今週少しずつ再読して業務に活かしたい。

猫は黒い方がだいぶ人間に慣れてきたようだ。何度かこちらに来たので顎と背中を触ることに成功した。真っ黒なかたまりが上目遣いでこちらを見つめてくるとなんとも言えない気持ちになる。かわいい。

***

Amazonで頼んだものがなぜか宅配ボックスに入らず、サポートに電話。たらい回しにされてドッと疲れた。カスタマーサポートの仕事はわたしも学生時代も含めて1年弱したことがあるが、顧客に「どのみち」と言うのは地雷だ。過去に戻ってやり直す方法が知りたい訳ではない、リカバリーのためにサポートを必要としているだけだ。自分も気をつけたい。

***

なんのけなしにKindleアプリで積読本を眺めているうち、ふと今週のキーワードであるヤマシタトモコの作品とドキュメンタリー映画が急に脳内で重なった。これがいわゆるクロスオーバーというものなのだろうか。

ドキュメンタリーという作品形態は、編集次第で虚構になり得るとは言え、リアルな人間の営みをつなぎ合わせたストーリーだと個人的に解釈している。

また、ヤマシタトモコの作品の魅力は、彼女自身もマンガを描く上でのおもしろさと感じる、日常の描写だ。彼女は日々の些細な会話や暮らしも拾い上げ、作品にしている。

そしてヤマシタトモコもドキュメンタリーも、両方好きだ。要するに、それぞれが好きな理由として日々の営みの描写が共通しているのだろう。

明日がんばれば明後日は有休だ。申請がまだだったことを思い出した。

わたしをサポートしたつもりになって、自分を甘やかしてください。