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#1871 「こなすこと」が当たり前の社会

今の世の中は、情報化が進み、何不自由なく生活を送ることができる「消費社会」になっている。

テレビをつければ、面白い番組が放送されている。

スマホを開けば、いつでも楽しい動画を視聴することができる。

このような娯楽を目まぐるしいスピードで謳歌することができるのが、「当たり前」の世の中になっている。

このような消費社会に生きている私たちは、目の前の活動をただ「こなす」ことに終始している。

面白い番組がやっていなければ、チャンネルを切り替える。

手間暇かけて作られた料理を「栄養補給」のために消費する。

目の前に問題があれば、ケータイですぐに検索して解決する。

このような「こなす」習慣が身に付いてしまっている。

これは、大人でも子どもでも変わらない事実である。

そのため、学校教育もその弊害を受けている。

授業内容がつまらなければ、聞く耳を持たない。

ノートに書く字は必要最低限で終わる。

ペアやグループでの話し合いも、自分の意見を短く言って終わりにする。

決められた問題を解けば、あとは暇つぶしをする。

宿題は「こなす」ことに終始する。

自分が間違えた問題をそのままにし、分析しようとしない。

給食で嫌いなものが出たら減らす・残す。

相手の目を見て、コミュニケーションしようとしない。

現代の学校では、このような「目の前の活動をこなす」姿が当たり前になってしまっているのだ。

これは「消費社会の弊害」としか言いようがない。

この窮地を打破するためには、子どもたちに染み付いてしまっている悪しき「こなす習慣」を改善しなければならない。

そのために「学級担任」という大人が存在するのである。

目の前の活動をただ「こなす」のではなく、その活動に秘められている意味や価値に目を向けさせることが必要だ。

そして、その活動の意味や価値を重視し、本質的な活動・学び・振る舞いが習慣化するように指導していく。

それも、一度や二度の指導では改善されない。

日々、繰り返し指導していくのだ。

この道でしか、悪しき「こなす習慣」を打ち消す方法はないのである。

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