見出し画像

Life with Salsa and... Vol.3

2006年のサルサは一転して、「整理とペースダウン」の年になりました。

1. 休養時間がない

確かに、2005年は充実していました。仕事と食事以外はサルサに時間をつぎ込むような生活をしていて、楽しい時間ではあったのですが、一方で2005年の秋頃から度々体調不良に見舞われるようになりました。そして、気付いたら自宅で休養している時間がほとんどない事に「はっ!」としたわけです。家にいる時間も作らないとダメだなと思い、レッスンに行く日数を週2回に減らしました。

2.壁にぶち当たる

2つの異なる場所で、LA(ON1)とNY(ON2)という2つの異なるスタイルのレッスンを同時進行で受けて、どちらも技術的にある程度こなせるようにはなりました。しかし、ここで壁にぶつかってしまいました。確かに、適切な指導と練習で技術的に上達させる事はいくらでもできます。ただ、自分の中での基軸がぶれたままだったのです。どれか一つをメインとして定める事が必要と思うようになりました。最終的にはNYスタイルを自分のメインにしましたが、そこを見極めるまでに半年ほど悩みながら試行錯誤しました。

3.困り事

これは、初心者の頃からLAスタイルレッスンを受けているスクールでの事ですが、囲い込みのように感じる事が度々ありました。このスクールはもともとパフォーマンスチームがあったのですが、2006年頃からメンバーが急増したのです。レッスンもコリオグラフィ(振付見たいなもの)が多くなり、パフォーマンスを意識した内容に変わっていきました。挙句の果てに、通常レッスンを削ってパフォーマンスレッスンに充てるようになり、そこで違和感を感じたのです。

これをなぜ囲い込みのように(確証は持てないので)感じたのか。パフォーマンスチームのメンバーの中には先生からの勧誘で入った人も一定数いると思います。私もそうですが、ある程度上達するとクラブがメインになり、レッスンにはあまり行かなくなります。また、色々な場所へ踊りに行くようになります。そこで、生徒をつなぎ留めておく策としてパフォーマンスチームを作り、出ていかないようにする、という側面はあると思います。

4.まさかのパフォ出演

3.で色々言っておきながら、実は、2006年5月にダイヤモンドホール(名古屋市中区新栄)で開かれたラテンフェスティバルの発表会に出演しています。これは、出演予定メンバーの1人がケガで出られなくなったための穴埋めで、あくまで臨時です。人に見せるための踊りはクラブで踊るのとは全く内容が違うので大変でしたね。通常半年近くかけて覚えるのを1か月で覚えないといけなかったですから。それでも、NYON2レッスンのある日は、相変わらずスクールを抜け出してそっちに行っておりましたが、、、。

急遽出演を引き受けて参加したパフォーマンスでしたが、これはこれでやっておいて良かったと思います。人に見せる事で、身体の動き、姿勢等を再意識するようになりましたし、それは少しでも綺麗に踊る事に繋がったと思います。一方で、自分が求める方向性の違いにも気づきました。発表会終了後のフリータイムはもっぱらON2が踊れる人たちとON2で踊っていまして、こっちの方がしっくり来ると実感したのです。そして、数日後行われたチームの打ち上げ会には、タイガーカフェ(名古屋市東区東桜/NHKの横)でのサルサイベントと重なったため参加しませんでした。また、先生からはチームへの勧誘もありましたが、丁重にお断りしてスクールから離れました。

5.その後

6月から7月中旬まで、レッスンもクラブも行かず、サルサを1か月間休止していた時期がありました。ただ、何もやらなかった訳ではなく、買い込んでいたラテン音楽のCDを頻繁に聴いていました。曲をじっくり聴く事も大事ですね。これで養われる感覚もあります。他にはスポーツジムのプールで泳いだり、大学時代の友人とドライブに行ったり、クラシックやジャズのコンサートに行ったりとか、それまで止めていた楽しみも再開させて、少しづつ穏やかな日常を取り戻していきました。そこにサルサを加わるという感じになりましたね。しばらくしてサルサも再開させましたが、レッスンもON2レッスンを隔週1回に、クラブも土曜日に月2回程度になり、ようやく自分のペースで楽しめるようになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?