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日常に期待しすぎないことがワクワクを倍増させるのかもしれない

「今日は何が起きるかな。」と、毎朝考える。

それ自体は素敵なことだし、否定する気はない。


ただ、少し考えてみると日常に何かを期待しすぎることで、自分の生活のハードルを上げすぎているような気がしなくもない。


ドラマが好きだ。

ドラマの中では、いろんな事件が起きる。毎回、何かが起きて、毎回、それがドタバタと解決に向かっていく。

恋愛ドラマなら、すれ違いがおきたり、ライバルが現れたり。突然のキスシーンも訪れる。

(ちなみにロンバケの第6話で、キムタクが山口智子に「キスしよっか」と言ってキスしたときは、それはそれは咆哮した。)

青春ドラマだって、ヒューマンドラマだって、学園ものだって、なんだって、毎回事件が起きる。それが解決に向かう。そうじゃないと、ドラマは成り立たない。


ただ、日常ではそうそう事件は起きない。面白いことばかりの毎日でもない。物事がドタバタと解決に向かうこともあれば、解決しないまま、モヤモヤを抱えてベッドに潜り込む日もある。

何事も起きずにいつも通りの仕事をし、家に帰って缶ビールを開けて寝床に入るとき、たまにいつも通りの毎日に嫌気がさす。

休みの日に特に何の予定もなく、ただ何をするでもなく過ごしてしまっていつの間にか夕方になってしまったとき、変な焦燥感にかられる。
あぁ、一日を無駄にしたーって思ったり、どうして僕の日常には何か面白いことが起きてくれないんだろうと贅沢な悩みを抱えることもある。


でも、冷静に考えてみると、何も起きなかったことってそんなに悪いことだろうか。そんな頻繁には何も起きないぞ。

それに、何気ない毎日の中にふと楽しいことや事件があるから、本当に楽しいことや幸せなことを実感できるのかもしれない。


高田純次さんの名言に

そんな楽しいことは(毎日)ない。

毎日が普通か悲しいことが多いと思えば、ちょっとした楽しいことも大きな楽しいことになりそうな気がする。

というのがあるけれど、まさしくそういうことなんだろう。
高田純次さん、さすがとしかいいようがない。


ドラマが好きだ。

でも、それは日常がいつも通りに終わった時に、テレビの中の非日常をみるからこそ楽しいのであって、毎日がドラマみたいな日々だったらドラマを観ている暇も心の余裕もないのかも。

そう考えると、缶ビールを飲みながら久しぶりに懐かしいドラマを見れる今日も幸せだし、こうしている瞬間が、何か起きた時のワクワクの倍増につながるならば、それはそれで悪くない。


日常に期待しすぎるのをやめると、意外ともう少し心軽やかになれるかも知れない。


それでも、こうやって文章を書きながら、何か次のエッセイのネタになることが起きろと願う僕は、まだまだ日常に期待しすぎている。それもそれで悪くはないし、否定することでもないが。




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