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#1.ショークラブ歌手の発声学び直し

シンガー平山てりです。

 約20年以上、毎日ステージに立つクラブ歌手をやって来ました。その中で声帯を壊した体験を皆様と共有することで、声で悩んでおられる方のお役に立てればと思います。



 私は、浜松市立高校(当時女子校)に学び、全国大会に出場している合唱部に入部、そこで発声の基礎概要を学びました。

 大阪芸術大学に入学、オリジナルのポップスバンドを結成して活動、ヤマハポプコン東海大会優秀賞を受賞。卒業後上京して、歌の仕事を探しました。行き着いたのが、赤坂の老舗高級ショークラブ歌楽歌良屋でした。

当時、月曜から土曜日までの、19時から24時までの勤務時間内に、ショータイムが3回から4回あり、目の回る忙しさ。100人キャパの広さに、女性シンガー達が十人ほどで、接客とショータイムを30分おきに繰り返すような状態。それでも、毎日歌える嬉しさと、ピアノ、ベース、ドラムスのプロのバンドマンに伴奏していただける感激で、楽しく通っていました。

音楽監督の島田敬穂先生(ミュージカルスター島田歌穂さんのお父様)が、コーラスアレンジ、バンドアレンジを担当されていて、コーラスの音取りには大変お世話になりました。

私も、メインで歌えるようになりたいと頑張っていたのですが、新しく入る女の子達に先を越されて行きました。ウケそうな曲を自分でアレンジしては、曲を聴いてもらうのですが、一度はショーにのせては貰えるものの、二度と再び使ってもらえない。それが繰り返されました。

この頃、声の出にくさを感じ、初めてカメラで声帯を診察。声帯に結節ができ始めていることを知りました。結節とは、ペンだこみたいなもので、声帯同士を強く叩きつけるように使い続けるとできる、硬いしこりのようなものです。ひどくなると血豆になったりもします。ペンだこの様に出っ張っているので、声帯が綺麗に閉まらずに隙間が開き、声が掠れるのだそうです。

声が疲れていても、一日寝ると治っていたのが、なかなか治らなくなり、掠れたまま、喉の違和感が取れなくなりました。息もどんどん続かなくなり、耳鼻咽喉科では、「歌わないことと、吸入」を勧められました。ショックだったのは、完全に結節を治すには、発声法を変えなければいけないと言われたことでした。「腹を決めないといけない。」そこから私の発声法行脚が始まりました。二十八歳の時です。

初めは、クラッシックの先生、ミュージカルの先生、などに教えて頂きましたが、ピンと来ませんでした。その中で、アメリカから来日した、ネイザン・イングラム氏と出会うこととなりました。これが私の転機となりました。

歌うために、体の筋肉をどう使っていくか。これを徹底的に教えていただけるということでした。毎日ただその呼吸法とエクササイズを繰り返し、必死で習得しようと頑張りました。

三ヶ月後のある日、店のオーナーから「声が変わってきたね」と言って頂きました。これだ!と実感。二年通い、アシスタント、イベントのバンドアレンジまで担当させて頂きながら、発声を学びに学びました。

それからも、ソルフェージュの勉強のため、東京藝術大学出身のバスシンガーに師事。他、オペラ歌手のボイストレーンングを専門にしている先生に師事して、完全に軟口蓋を開ける方法を習得。自分に足りない隙間を埋めるように、学んで行きました。

学びながら、毎日ステージで試す、それを繰り返しながら、現場で学ばせていただいた事に、感謝の思いはつきません。
2024年現在は、声は完全に治っています。声帯はつるつるです。笑。