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白雪のゲルダよ、どうか忘れないでくれ。

 なんの主張もせず、ただひっそりと。静かにたたずむ君のことを、僕はじっと見つめていました。かじかんだ手を、すぐに暖めたい衝動に駆られましたが、そんなことをすれば君は驚いて、恋に破れた人魚のように、泡となって消えてしまうだろうから、僕が君にできることは、君と同じ温度で、そっと君をすくってあげることだけなのだと、分かりきっていたのです。
 熱も知らず、氷河の国にたたずんで、君は誰を待っているの?
 真っ白な雪に、埋もれるようにして、深いアメジストの瞳が僕を見つける。
 そのとき確かに僕たちは、視線を交わし合ったと思います。けれど、冷たい世界しか知らない君は、そっと僕から目を外し、遠くの空の、そのまた先を、見つめてしまいましたね。
 だからそのとき、僕は決めた。
 決して、僕が君を一人にしない。
 僕には、たくさんの友人がいるけれど、望めば、たくさんの暖かい手を手に入れることが出来るけれど、君が静かに、そこにいるしかないのならば、寂しいなんて、思うこともなく、君が冬の中に溶けこんでしまうならば、銅貨や銀貨だけでなく、金貨でさえもなげうって、その瞳を手に入れて見せるから。
 大丈夫だよ、と救い上げた僕の手に収まって、ようやく君は僕を見た。瞳の向こうに春が生まれる。小さく頼りなげに見える萌木の芽をちょんとつつくと、ころり、君の瞳が首を傾げた。
 外は寒いけれど、熱を知らない君と歩くにはちょうどいい温度だ。僕は君の手をしっかりと握る。僕しか知らない秘密のテラスに君をご招待。特別に許された、束の間の休息だ。
 ホットティを淹れて、君の前に座る。僕が微笑めば、君も微笑む。それはかけがえのない僕と君だけの幸福だ。
 氷の世界で生まれた君が、初めて外の空気を吸う。太陽を知らない肌は、おとぎ話で読んだ白雪姫のように澄んだ真白をしていた。白磁のようだ、とよく知りもしない磁器に例える。驚かせないようにと優しく、白い頬を撫でれば、思いがけなくふんわりとした感触がした。
 笑っている。くすくすと。僕は思い切って君の頬を舐めてみた。柔らかい。そして甘い。頬では足らなくなった僕は、貪欲な猫のようだ。雪玉を齧るように、柔らかな耳たぶを食む。
 歯を立てないように、気をつけて。舌の上でゆっくりと転がす。抵抗はない。けれど、続ければ恥じらうように消えていく。
 しゅわしゅわ、泡になる。人魚でもないのに、僕の体温だけで君は溶けて居なくなる。
 嗚呼、なんという悲劇。
 嗚呼、なんという哀愁。
 アメジストが僕を射抜く。それさえも掬ってしまえば、彼女はなすがままに僕の口づけを受け入れた。
 つんと瞼の奥が震える。
 仄かな甘さは、粉雪のよう。
 けれど僕は知ってしまった。氷の世界で生まれた白雪姫は、甘いだけではないことを。
 最後にこぼれた涙のような、ほんのり酸っぱい恋の味。
 忘れないでと若葉を残す、君の最期の言葉は儚い。おとぎ話か伝説か、訳も分からず、ただ僕は君を想うことをやめられない。
 願わくば、また会おう。空を見上げたその先に、白い泡を僕は見た。
「それめっちゃ高いやつ! 財布の中身、残り七百四十六円じゃなかった!? つか、寒! なんてとこでケーキ食べてるの、ここ公園だよ!?」
 そんな幼馴染の言葉なんて、君の前には降り初めた雪のように淡く融けて消えてしまうものだ。




あとがき

今回のケーキはレアチーズケーキでした。
ちょこんとブルーベリーが乗った、よくあるレアチーズケーキです。

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