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欣浄寺について


夕陽と欣浄寺

みなさま、こんにちは。
創作系寺嫁のゆかでございます。

何について書こうかな、とともみさんと話していたところ、
そういえば、うちのお寺について書いていなかったな、ということに気が付きました。

ということで、ご紹介。

欣浄寺は、三重県四日市市尾平町にある真宗高田派のお寺です。

欣浄寺は「ごんじょうじ」と読み、
真宗高田派は「しんしゅう たかだは」と読みます。

浄土真宗の高田派、という意味ですが、なぜか「浄土」を省略して、
真宗高田派と言うそうです。

日本という国には、仏教とひとことに言っても、多くの宗派があります。
有名どころですと、真言宗、天台宗に始まり、浄土宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗などがありますね。

浄土真宗は、浄土宗から派生した宗派ですが、その中に、さらに宗派分けがあります。

浄土真宗の中の宗派は、全部で11ありまして、その中で有名なのは、
西本願寺が総本山の「本願寺派」と、東本願寺が総本山の「大谷派」が上げられるでしょう。

真宗高田派は、その次の三番目に多い宗派に当たります。

本山は(総本山とは言いません)、三重県津市にある専修寺です。
専修寺は、「せんじゅじ」と読みます。

本堂である御影堂(みえいどう)と如来堂(にょらいどう)が、三重県初の国宝となりました。かなり大きな建物ですので、ご覧になった方は驚くと思います。

欣浄寺に話を戻しまして。

お寺の多くは、修行のため山間に作られていたため、
〇〇山 〇〇寺、と名前が付いています。

欣浄寺も、正式には「厭穢山 欣浄寺」です。
厭穢山は「えんねさん」と読みます。

読めない字ばっかりで大変ですね。
欣浄寺も、参拝記念絵を始めた当初、誰にも正しく読んでもらえませんでした。
大概の方は「きんじょうじ」とお読みになります。
「欣」が「きん」と読むのが普通ですから、そうなりますよね。
かくいう私も、最初は「きんじょうじ」ですか?と聞いたひとりです。

さても分かりにくい名前ですが、
「欣求浄土(ごんぐじょうど)厭離穢土(えんりえど)」
という経典の一節に由来します。

それぞれの単語の頭文字を取った名前だそうです。
そんな、組合名の略称みたいにお寺の名前をつけるんだ、と驚きましたが、欣浄寺という名前のお寺はよくあるようで、
近隣のいなべ市にも「欣浄寺」があるそうです。

遠方から参拝に来られる方が、そちらのお寺と間違えてたどり着き、
遅れますとの連絡をいただいたことから発覚しました。
奇しくも、目印となる建物(高速のインター降りてすぐにイオンがある)まで似ていたそうで……。

ともみさんと二人そろって「あったんだ!?」と驚いたものでした。

さて、欣浄寺の縁起を見ていきますと、どうやら正保3年(1646)にはすでにあったそう。

嘉永7年(1854)の安政の大地震によって、旧本堂が倒壊。

安政5年(1858)に再建を始め、二年後の安政7年(1860)に完成したようです。

現在の本堂は、この安政7年に完成した本堂を、平成初期に改修したものとなります。
彩色豊かな本堂は、浄土真宗の特色をよく表すものです。

今でこそ、素の木材が見える質素なお寺の方が古く、ありがたがられていますが、お寺はそのほとんどが赤や青や白などの極彩色に彩色されており、実は今見ている姿はその彩色がはげ落ちたものである、ということがよく分かります。

と、ともみさんに言ったら、そんな柱の隙間を見て、顔料を確認する観光客は稀だと言われました(´・ω・`)

大英博物館に所蔵されているパルテノン神殿の像なども、後ろに回って隙間を見れば、元は彩色されてあったのがよく分かりますので、
こういう見方は面白くておすすめなのですが……。

欣浄寺に参拝のおりには、ぜひ視線を上にあげていただいて、豪華絢爛な装飾も楽しんでいただければ嬉しいです。

もうひとつ、欣浄寺には興味深いものがあります。
どこのお寺にもあるものなのですが、ちょっと特殊です。

境内入って左手側にあります、鐘楼堂。
そこに掛かっている鐘です。

いえ、間違いではございません。
あの、大晦日に百八つ打ち鳴らす、あの鐘でございます。

実はこの鐘、四日市で最も古い鐘なんです。

その理由は、戦争です。みなさまご存知、第二次世界大戦。

昭和14年(1939)から始まった第二次世界大戦は、世界のどの国でも、物資に喘いだ戦争でした。
当然、日本では何もかもが足りません。
それでも戦争の道具にするために、ありとあらゆる場所から金属を徴収しました。

そうです。
鐘楼堂の鐘は、金属の塊です。
国中から差し出された金属の中には、お寺の鐘も含まれていました。

すくなくとも四日市中の鐘がそうやってなくなっていった中、なぜ欣浄寺の鐘だけが無事だったのかは、定かではありませんが、
ともかく、そういった理由で、欣浄寺の鐘は四日市最古となりました。

そんな欣浄寺ですが、今では地域の方に支えられ、
檀家寺(観光ではなく、法事などを主に仕事とする寺)としてのんびりとやっております。

どこのお寺も同じように、お寺離れや同行さん(檀家さん)の減少、墓じまいなどの悩みは尽きないものですが、

4年ほど前から、ともみさんの絵を御朱印にしてはいかがですか、というお声をいただき、参拝記念を始めました。

ありがたいことに、素敵な方とのご縁をたくさんいただいて、ほそぼそと口コミなどで広がっていき、遠く関東からも毎月お参りに来てくださる方がおられます。

夏は暑く、冬は寒い本堂ですが、絵が完成するまでの間のひとときを、参拝者様とご一緒させていただき、得難い時間を過ごさせていただいております。

そんな日々を過ごすにつけ、

今まで積み重ねてきた欣浄寺と言う歴史や、
同行さんと共に歩んだ信仰を守るためにも、
伝統・文化を大切にしていきながら、
これからの時代に合った方法を模索していきながら、
出来る限り長く、できればこのさきずっと、
欣浄寺と言う場所を守っていきたいという思いが強くなります。

目まぐるしく変化していく世の中で、少しばかりのやすらぎを齎す存在になれるよう、まずはこのNOTEにて、みなさまに欣浄寺のことを知っていただければと思います。





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