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今日は虫供養です。

みなさま、おはようございます。
創作系寺嫁のゆかでございます。

本日、7月21日は、虫供養という法要が行われます。

農家の方にとってはなじみ深いものかもしれませんね。
逆に、よく知らない、という方もおられると思います。
かくいう私も、欣浄寺に嫁ぐまでは聞いたこともありませんでした。

まあ、読んで字のごとく、虫を供養する法要です。

農薬を使わない有機栽培でも、作物の天敵となる虫は速やかに取り除かれる運命にあります。
虫供養では、そういった農業の中で必然的に行っている「殺生」に対してお参りをし、供養いたします。

と、聞いておりました。

が!!!

つい先日、ともみさんから新たな情報を聞きだしました。

なんでも、この欣浄寺がある尾平町という地区は、昔は養蚕がさかんで、欣浄寺の虫供養は、農業における害虫ではなく、この「お蚕さん」の供養がもともとだった、というのです。

現在新興住宅地として開発が進んでいる一帯が桑畑だったそうで、
先日法事に行った先の御主人が、「そういえば昔、自分が小学生くらいの頃に、家で養蚕をやっていた記憶がある」とのこと。

その方のお話では、家の玄関から仏間までの広い空間は全てお蚕さんを育てていた空間となっており、
自分たちはといえば屋根裏や奥の小さな部屋などのちょっとしたスペースで寝起きをしていたらしいのです。

まさに、人間よりも上等なところで寝起きするため「お蚕さん」と呼ばれているのだなあと思った、というお話でした。

なんとも、歴史の生き証人のようなお話です。
みなさま、どんどんこういう話をしに来てくださいませよ。
わたくし、手ぐすね引いてお待ちしておりますよ、こういうお話を!!

この辺の方のおうちは、とんでもなく広くて立派だと常々思っていたのですが、通りで、ですよ。

お米だけの農家にしては、おかしいと思ったんですよ。
いくらここら辺が天領だったといっても、どうにも大きなおうちが多いなあ、と思ってたんです。
養蚕できちんとした収入がおありだったんですね?
はあ、納得です。
嫁いで5年目になりますが、ようやっと謎が解けました。

最近は、桑畑もなくなり、養蚕をしていたという話ですら伝聞になっています。
若い世代である私たちが
(ジェネレーション的に、というお話です!)
地域の歴史を未来に伝えていくためには、まずこうした生きたお話を聞く機会に恵まれなければなりません。

紙の上に書かれた史料は、とても大事ですが、経験者が語る生々しい情報は、まざとその光景を思い浮かべることができるという点で、文字史料をはるかに凌ぐのです。

お寺に嫁ぐという奇縁を頂いた歴史好きとしては、少しでも生きた史料を受け継ぐ者として、いろんなお話を聞きたいと思っています。

さあ、というわけで、本日行われる「虫供養」。
お暑い中の法要となりますが、参加しに参りたいと思います。



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