死んだらお墓に入るのか?
先日、父が死去しました。享年64歳でした。本日無事火葬が終わりました。
先週の金曜に父と連絡が取れないと叔母から連絡があり、心配になって自宅を訪れたところ、倒れている状態で見つかりました。心臓発作を起こしたのだと思われます。奇しくも父の日に連絡を取ったのが最後となってしまいましたが、その時に感謝を伝えられたのは不幸中の幸いだったかなと思います。持病はあったものの、まだ歳も若いし、本人は元気そうだし、正直まだ大丈夫だろうと思ってました。もっと頻繁に連絡を取っておけば良かったと悔やまれます。
私は見た目も性格も父に似ている部分が多く、仲も良かったのでとても悲しいのはもちろんですが、父と母は離婚しており私は兄弟もいないため、実質的な家族は私のみ。父の死後のあれこれを全て決める立場に突然立たされることとなり、考えること、そして学ぶことの非常に多い1週間でした。
最初は突然のことだったし特に何も考えず、普通に「お寺で葬儀的な何かをやって何かしらの形でお墓に入る」という従来の慣習を守るべきものなんだろうなと思っていたのですが、考えれば考えるほどそれは父が本当に望んだことなのだろうか?と思えてきてしまい、悩みました。
結局、仏教式の供養や法要は一切行わず、火葬をし、お骨を囲んで親族と近しい人で送る会を行う予定で、ダイビングが大好きだった父と幼い頃に毎年のように行っていた海に散骨を行うことに決めました。寂しいといけないので、お骨のほんの一部は我が家に残しておくことにしました。うちは娘もいて賑やかなので、退屈しないだろうと。
死後のあれこれを決めるなんて初めてなので他の例との比較ができませんが、本来はお経をあげて供養するものだし、骨はお墓に納めるもので手元に残しておいちゃいけないし、私の決断はかなり型破りだったと思います。
でも正直なところ、何を信じるかなんだと思います。私は何かしらの宗教的な信仰を持っているわけでもないし、このやり方が一番父らしいと思って迷いはないので、父と私にとってこれが一番良かったんだと信じています。
今回のやり方にはもちろん賛否両論あると思いますし、周りはああしろとかあれはよくないとか勝手に色々なことを言いますが、その人たちがじゃあ具体的に何をしてくれるのか、本人のことをどこまで知ってるのか、とかを考えてみると、やっぱり一番近しい人が良いと思う方法が一番だと思うんです。
私は実際今回の決断がとてもしっくりきていて、家でも父のことを思い出せるし、海に行くたびに父のことを思い出せるし、時間がある時に海に行く理由もできるし(お墓よりも海に行く方がテンション上がるよね)下手したら生きてる時より父が近くにいるような気すらしてます。
つまるところ全てあくまで形式的なことですよね。変な話、盛大な結婚式をやってもすぐに離婚するカップルもいるし、結婚式や結婚そのものをしなくてもお互いを尊敬しあってずっと仲良く暮らすカップルもいるし、そんな感じかなと。父と近しかった人が、父のことや父との思い出を忘れずにいてくれることが何よりも大切なのかなと思います。
あと正直な話、かなりの額のお金がかかることでもあります。父の供養に大金を注ぎ込むのではなく、これからの時代を担う私の娘にその分のお金をかけた方が合理的かつ父もそれを望んだだろうと思ったのも事実です。父の携帯の待ち受け画面は私と娘の写真で、なんか泣けました。30過ぎた娘の写真を待ち受けにしてるってどうなのって感じですが笑
ただ一つ思ったのは、生きてるうちに本人の希望をもっと聞いておけば良かったということ。元気に生きてるうちから死後の話をするなんて不吉だし、失礼な気もするけど、残念ながらいずれ誰もが迎えることです。私と同世代で親御さんをすでに亡くしてる方は多くはないかと思うので、本人の希望は聞いておいてもいいのかなと思います。
そして自分が死んだ時はどうしてほしいのかを今すぐにでも考え始める必要もあるなと思いました。ちなみに私は宗教的な儀式や供養は一切不要なので、楽しくみんなでパーティーでも開いて送り出してほしいです。さながら誕生日みたいに。本人(私)はある種のリモート参加。笑。遺骨も海洋散骨で。散骨がてら船上パーティーでも良いかも。そのパーティーを主催するくらいのお金を残して死ぬことが新たな目標となりました。自分でプランニングもできたら理想的。笑
あとは写真!娘の写真は死ぬほどあるのに、最近の父の写真を見つけるのは相当困難でした。携帯で簡単に写真が撮れる時代だし、皆さんぜひ親御さんの写真も撮ってあげてください。あとみんな自分の写真もちゃんと撮ろう。
今回直面した、長男しかお墓を継げないみたいな日本の伝統とかも、時代錯誤すぎて...こういうのっていつまで続くのかなと。父は次男だったので父の両親と同じお墓には入れず、じゃあもうそもそもお墓自体に入る必要なくない?と思っちゃったのも、海洋散骨に決めた一つの理由。私も結局そこには入れないしね。もうなんかみんなもっと仲良くやろうよみたいな。
家父長制や従来のお墓を継いでいくという制度はもう限界が来てると思う。もちろん伝統は伝統で大事だけど、文化は時代にあわせて変わっていくものだし、今までこうやってきたからという理由だけで今後の全てを決めるのはどうなのかなと思っちゃう部分もあり。
とはいえ従来のやり方や宗教そのものを否定するつもりは全くなく、ただ私には合っておらず、価値を見出せなかった。父も同意してくれると思ってます。おそらく同じような考えの人もいるのではないかと思い、少しでも参考になればと思って今回の経験や思いの丈を綴ってみました。
今後もっと多様な、亡くなった本人が望む形で、遺された家族にも負担がかからないような送り出しの形が増えていくといいなと個人的には思ってます。
7月7日が夫と私の7年目の結婚記念日でしたが正直それどころではなく...でも適切な助言をしつつも私の意見を尊重して、嫌な顔一つせずに煩雑な手続きにも同行し、そばで支えてくれた夫には本当に感謝です。1人でこれを全てやっていたらと思うと気が遠くなる...
職場のみんなもいつも通りくだらない話で笑わせてくれたり、私の愚痴に辛抱強く付き合ってくれたり、温かい言葉をかけてくれたり、ソーシャルディスタンス無視してたくさんハグをくれたり、みんな優しくて泣きそうでした。もちろん友人のみんなも。本当にありがとう。
32歳にして親の死後の手続きを全て行うというライフイベントが起き、人生の経験値が上がりました。もっと先延ばしにしたかったけど、嫌なことが早く起きてしまった分、今後は楽しく生きて行こうと思います。
ちなみに手続き関係がまだまだ死ぬほどある。マジでやることが大量にある。何これ。聞いてない。って感じですが、ひとまず火葬が無事済んだので気持ちをまとめてみました。
色々なことが早く無事終わるといい。そして早く平和で楽しい世の中になりますよう。皆様もお体ご自愛ください。暑くなってきたからみんな適度に冷房つけようね。
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