生殖(子孫繁栄)が生きる意味なのか

カマキリのなかには、交尾をし終わると雌が雄を食べるものがいるらしい(蜘蛛にも同じ現象が見られ)。
このことについて、『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』という本でこう述べられていた。

「自然淘汰を、生存率を最大化するプロセスとみなすなら、共食いのような自殺行為はまったく馬鹿げている。しかし実際には、自然淘汰は遺伝子の伝達を最大化するプロセスであり、ほとんどの場合、生存するということは遺伝子を伝える機会を提供する戦略のうちの一つにすぎない。ここで、遺伝子を残す機会がめったになく、しかもそれがいつ訪れるか予想がつかず、またその機会によって生まれる子供の数はメスの栄養状態がよいほど多くなると仮定しよう。個体密度の低い地域に生息するある種の蜘蛛やカマキリは、まさにこのケースに当てはまる。オスは一匹のメスに出会えただけでも幸運で、その後別のメスに出会える可能性はほとんどない。したがって、オスにとって最良の戦略は、幸運な出会いを利用して、自分の遺伝子を引き継ぐ子孫をできるだけ残すことである。メスの栄養貯蔵量が大きいほど、メスが卵に与えることの出来るカロリーやタンパク質が多くなる。オスは交尾が終わってこのメスと別れても、おそらく別のメスと出会うことはないだろうから、それ以上生きていても意味がない。そこで、オスは自ら進んでメスの餌食となって、自分の遺伝子を引き継ぐ卵をより多く産んでもらうのである。このオスグモの進化の論理は道理にかなっている。

私はこれを読んですごく違和感を感じた。それはこの発言が、まるで「生物の生きる理由というのが子孫繁栄のためである」という前提のもとに、なんの疑念もなく立っているように感じられたからだ。よく、生物は子孫繁栄のために生きているというのを見聞きするが、私はそれがどうにも納得しきれないと感じていた。その違和感が、このカマキリの性的共食いの事例を通して激しく顕在化してしまった。

しかもオスのカマキリや蜘蛛は、メスに捕食されることに明らかに同意している態度を示すらしい。オスは自らメスに近づき、逃げようともせず、それどころか頭部や胸部を折り曲げて、メスの口元に寄せたりして食べられやすく気遣うらしい。そんなこと有り得るのだろうか。これは子孫繁栄というものが最上位の生存理由として、本能のレベルに設定されてなければ起こりえない現象であると思う。死にたくないという欲求よりも、生殖することが上位な欲求として、生物にはやはり設定されているのだろうか。私は自分の体感から、このことが理解できなかった。

作者のジャレド・ダイアモンドは次のように続けている。

われわれがそれを奇妙に思うのは、たんにヒトの場合はほかの生物学的な理由によって性的共食いが不利に働くからにすぎない。ほとんどの男性は一生のうちに何度も性行する機会があるし、非常に栄養状態のよい女性でも普通は一度に一人の子供、あるいはせいぜい双子しか産まない。また女性は、妊娠中に胎児の栄養状態を著しく良くしたいからといって、男性の身体を食べるようにはなれなかったのだ。」

ヒトが性的共食いをしないことも、それが子孫繁栄のために合理的でないからだと述べている。
ではもし仮に、ヒトのオスも蜘蛛やカマキリのようにメスと出会える確率が限りなく低く、メスが栄養を十分にストックしておけるような場合であれば、性的共食いに同意するのだろうか。

主観的な生きる理由、生きていたい理由は人の数だけ存在する。自分もワンピースの正体がわかるまでは死にたくないから生きている。
しかし、生物は子孫繁栄のために生きているという主張は、それが普遍的で絶対的な生きる理由であるというように聞こえてならない。私はそんなわけがないだろうと思っていた、そんなことのために自分は生きているなどとは考えられないと。

しかしこの蜘蛛の事例を見ると、そうではないと言いきれないような気もしてきた。現にここまで生命の歴史が続いているのは、そういった本能的な部分にインプットされた設定のせいであるのかもしれない。それくらい生殖本能というものが根深いところにあるものでなければ、生命の歴史はここまで続くことはなかったとも思う。
このようなことから、一概に子孫繁栄が生きる目的ではないと言いきれないと思うようになった。

そこで仮に、子孫繁栄が「生物が生きること」の目的であると一旦は仮定するならば、では「子孫繁栄」の目的とは何なのか。子孫繁栄こそが最上位の目的なのか。つまり、厨二病チックに一つ例をあげるならば、例えば「究極の生命体」のような存在の誕生が目的であり、そのために子孫繁栄が手段としてあるのだろうか。ではその究極の生命体は何のために存在すべきなのか。これもゴールとはいえない。
話が逸れたが、生きることの目的が仮に子孫繁栄であったとしても、子孫繁栄がゴールでは無いと私は思う。そうであれば、そのゴールとは何なのか、つまり生きることの理由とは何なのか、すごく背後に壮大なものの存在を感じて怖くなった。
今自分がどこに向かう大きな流れの中にいるのかを知りたい。何をゴールとしてこの生殖本能は生物の根深い部分に設定されたのか、なんのために生殖本能が存在してるのかを知りたい。

ps:子孫繁栄だけでは、自分たちが今どういう大きな流れの過程にいるのかを説明できないと思う。ダーウィニズムがそれを説明しているように思えるが、ダーウィニズムも宗教と同じでそれっぽい生きていることの理由に過ぎず、気休めでしかないように思えた。ただ宗教とは違ってダーウィニズムはこれまでの子孫繁栄の過程を説明するものとしては事実だけど、それがどこに向かっているのかということには答えを与えてくれない。

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